動労千葉は、88年四月の第14回臨時大会で長期波状ストをもってたたかう方針を決定し、理不尽きわまる不当労働行為に対する職場からの反撃を開始した。 たたかいの焦点は強制配転問題であった。 5・18千葉駅、5・20亀戸駅、5・27千葉みなと駅、6・16銚子駅、6・22館山駅と連続的に打ちぬかれたたたかいは、JR発足後初めてのストライキであった。 だが例えば、5・20亀戸駅ミルクスタンドでのストは、たった一人の組合員のわずか一時間のストにすぎなかったが、動労千葉の動員者100名に対して、機動隊、私服、職制約600名がホーム、コンコースをうずめるという常軌を逸した弾圧体制のなかでのたたかいとなった。
当局・権力は、あってはならないはずのJR体制下でストライキと動労千葉の存在に憎悪を
むきだしにしたのである。われわれにとっては、逆に自らが貫いてきたたたかいの大きさをあらためて実感することができた闘争であった。
また、長期波状ストヘの決起の過程は、満身創痍となった傷を癒し、役員・活動家のばとんど全てが解雇され、配転された現場でさまざまな苦労を重ねながら、新たな組織体制をつくりあげていく過程でもあった。
|