国鉄分割・民営化攻撃は熾烈をきわめたが、結局敵の思惑は外れ、JR発足までに動労千葉や国労を解体することはできなかった。だが、国鉄労働運動解体攻撃はそれで終わったわけではなかった。 組織破壊攻撃の最大の手段としてふきあれたのが、強制配転―配属差別攻撃である。当局は、3月10日に人活センターを廃止するとともに、JR発足時の配属発令を行ったが、それはより拡大された新たな人活センターに、動労千葉や国労の組合員・活動家を送り 込む攻撃であった。 とくに動労革マルが尖兵となった運転職場での実態はまさにひどいものであった。例えば東京南局では、国労所属の電車運転士229名全員が職場を追放され、ハンドルを握る国労組合員はゼロになった。事態は南局ぽかりでなく、東京全域でばぼ同様であった。 配転先は、うどん屋、駅売店、ミルクスタンド、オレンジカード売りやセールス、ラッシュ時の尻押しなどを行う「要員機動センター」、野ざらしされた老朽貨車の解体作業、無人駅の草取り作業などであった。東京では関もなく「大清水」を扱うペンディング職場 が、その受け皿として各地につくられた。運転職場の穴は、広域採用で北海道や東北地方等から送られてきた動労組合員によってうめられた。 つづいて強制出向攻撃が襲いかかってきた。鉄道弘済公等の関連会社への強制出向は、「関連事業の育成」「人材養成」のうたい文句とは裏腹の、新たな余剰人員対策であり、新たな選別的首切り攻撃以外のなにものでもなかった。ここでも、東京の運転職場から強制出向を命ぜられたのは国労組合員だけだったが、この背後には明らかに資本と鉄道労連革マルの結託した意思
があった。
ベンディング職場
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