まず国鉄分割・民営化攻撃との攻防の全体像を俯瞰しておく。
第一にこの攻撃は、いうまでもなく全国単一の公共企業体としてあった国鉄を、「赤字解消」などのペテンを弄して、7つのJRその他に分割し、民営化した。
第二にこの過程で、35万人体制合理化が始まる直前の80年には42万人だった国鉄職員が21万人(87年4月時点)にまで削られた。つまり2人に1人というすさまじい要員削減・首切り攻撃が進んだ。
そして第三に最も重要なことは、国鉄労働運動を解体しつくそうとしたことだ。マル生攻撃の失敗で骨が折られた鉄労に代わって、その尖兵となったのが革マルが牛耳る動労本部であった。
第四に、最大の焦点であった国労は、指導部の無方針のもとで一戦も構えることなく大きな後退を強いられた。動労千葉は渾身の力をつくしたたたかいへの決起によって満身創痍となったが、政府・自民党は動労千葉・国労の解体に失敗し、国鉄労働運動はその骨格を守りぬいて、JR体制下での果敢なたたかいが継続されることになった。
こうして国鉄の分割・民営化は強行されたが、この攻撃とのだたかいは、87年4月JR体制以降後、そして今日まで、何ひとつ決着を見ることなく、延長戦がたたかいぬかれているのである。
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