国鉄分割・民営化反対闘争
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動労千葉の闘いの歴史のなかで、最も激しい攻防戦となった闘いは、国鉄分割・民営化−10万人首切り反対闘争であった。 中曽根内閣は、1983年に国鉄を分割・民営化する方針を打ち出し、以降、嵐のような組合破壊攻撃が吹き荒れた。 この攻撃の激しさは、国鉄の最大組合であった国労が、1983年から民営化が強行された1987年までのわずか4年間で、224,000人から44,000人まで減少したこと、同じ間に130,000人の国鉄労働者が職場を追われたことに示されている。 また中曽根首相は、全日本労働組合総評議会を潰すために国鉄労働運動を潰すことが民営化の目的だったと後に公言した。この攻撃は、民営化によって十数万人の国鉄労働者を解雇し、その権利を破壊するだけでなく、労働運動を解体するために仕組まれた国家的不当労働行為であった。 激しい攻撃のなかで労働組合の対応は、民営化反対:動労千葉・国労・全動労、民営化推進:動労本部・鉄労と二つに割れた。とくに動労本部は最悪の組合破壊の手先となっ
た。(民営化推進派の組合は、後に解散−統合して現在のJR総連となった) 動労千葉は、国鉄分割・民営化攻撃との闘いは、全ての労働者の未来と労働運動の存亡をかけた闘いであることを訴え、家族を含めた討論を重ねるなかから、1985年11月第一波スト、1986年2月第二波ストを中心とした組織をあげた闘いに起ちあがった。 |
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★動労の裏切りと国労の同様 | |
★スト方針決定 | |
★史上空前の大量解雇処分 | |
★第2波スト突入 | |
★嵐のような攻撃 86年の攻防 | |
★人活、修善寺大会 | |
★団結を守りぬき、そして全国へ | |
★12名JR不採用=清算事業団送り | |
★民営化反対闘争の教訓 | |