第一波ストライキ突入
11月17日には全国鉄労働者総決起集会を呼びかけ、3400名の労働者で埋めつくされた日比谷野外音楽堂で、「第一波ストは11月29日。総武緩行線・快速線を中心に24時間ストに突人する」と宣言した。
反動も熾烈を極めた。11月21日、千葉鉄当局は、組合員全員の家庭に、「ご家族の生活基盤の確立において、極めて不幸な事態を招くことは明らか」などと傲慢不遜な言葉を連ねて「ストに参加すれば全員解雇」という前代未聞のスト禁止令を送りつけた。また国家権力は、このストライキに対し、全国から実に一万人の機動隊を動員した。津田沼電車区の周囲などは、機動隊の装甲車で埋めつくされ、まさに景色が変わってしまう状態となったのである。

 

 

山下・津田沼支部長

一方国労本部は、「国労としては5000万署名を実現し、86年7月の総選挙後に一大闘争を構える」というのが公式の対応であったが、しかし陰にまわっては「動労千葉のストは5000万署名に敵対するもの」と主張し、あろうことか「ストに際しては業務命令に従う」という方針を決定する。スト破りの決定は国労結成以来初めての裏切り方針であった。これは、スト拠点となる津田沼電車区、千葉運転区の国労組合員にとっては、地に叩きつけられるような意味をもつものであった。「俺たちにスト破りをやれというのか!」。職場では、国労の仲間たちが顔面蒼白になって、執行部の指導に対して怒鳴り合いの激論を交わす状況がつづいた。

 動労千葉は、当局・権力の闘争破壊策動を予測し、「スト破りや官憲の介入があった場合は、スト突入時間を繰り上げ、スト対象を拡大する」との方針を決めていたが、27日の段階で、スト突入を28日正午からに繰り上げることを決定した。

突入! 確かな手応え
 11月28日、動労千葉は正午を関して整然とストに突入した。当局は国労のスト破り方針をもテコとして、他労組への業務命令を乱発しスト破りの強要を開始した。職場に緊張が走り、息詰まる攻防がつづいた。
 だがでなんとしてもストの影響を削ぎ、無力感を醸成しようとしたこの策動も、国労の労働者の決起によって打ち破られた。28日午後、国労津電分会の2名の仲間が「スト破りだけは絶対嫌だ」といって国労を脱退し、動労千葉に加盟したのである。
 28日昼から29日未明にかけて、国労分会の議論は沸騰した。国労本部からのり込んできた中執の説得は、怒りの声に包まれかき消された。千葉転では5名の分会役員が、貴任がとれないとして辞任し、津田沼の分会事務所では未明まで怒号が飛びかう状態がつづいた。そして二九日未明、ついに現場の激しい怒りの声は国労本部をつき動かし、「業務命令には従わない」という方針転換を確約させたのである。この第一波ストの大きな目的のひとつは、国労の決起を実現することであったが、動労千葉はその確かな手応えを感じとることができた。

国労組合員もついに決起

動労千葉と共に闘った国労津田沼電車区分会
第一波ストは、それまでは一方的な攻撃にさらされながら歯を食いしばって耐えつづけるだけだった敵と国鉄労働者の関係に劇的な変化をもたらした。もちろん動労千葉は、一波のストぐらいで分割・民営化攻撃をつき崩せるなどとは考えていなかった。総体の力関 係を変えていく以外に勝負はつかない。しかし、少なくともこの闘争によってわれわれは、動労千葉をナメてかかったら大変なことになるということを敵に認知させたのである。国家をあげた攻撃に真正面から挑み、互角の勝負ができることを示したのだ。


国労共闘のデモ