襲撃をはね返して、団結署名、支部結成大会
動労千葉は、直ちに新組合結成の趣旨を全組合員に趣致徹底させるために、@職場集会の開催、A各支部大会の開催B団結署名の完遂、に全力をあげた。これに対して、本部革マルは、79春闘そっちのけで「オルグ」と称する大規模な組織破壊攻撃を繰り返した。 朝日新聞(1979・4・13) 「中央本から分離独立した形となっている動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)に対し12日、中央側が約600人のオルグ団を派遣し、勝浦市の勝浦支部では建物のガラスを割って強行策にでるに至った。・・・本部側のオルグはこの日で2回目。前日の11日には錦糸町駅前で総評青年協の集会に参加しようとした動労千葉青年部の組合員に対し、革マル派約400人が取り囲んで殴るけるの暴行を加えた・・」

4/17津田沼電車区襲撃事件

4月17日、津田沼支部結成大会を翌日に控えたこの日、石、竹竿、バール、かけやなどで武装した150名の革マル襲撃部隊が職場に襲撃をかけた。頭蓋骨骨折の重傷を負った支部長をはじめ、労働安全衛生委員会のために職場にいた支部役員全員が重軽傷を受けた。しかも庁舎は破壊され、総武緩行線約100本が運休した。しかし国鉄当局、そして権力は何一つ問題にしようとはしなかった。襲撃部隊は、武器を肩に機動隊の前を堂々と引き上げたので圧。まさに当局、警察権力容認のもとの襲撃である。



破壊された玄関

 
新小岩支部結成大会へ「本部」600名が襲撃

だがこのような革マルの暴挙は、未だ分離・独立への不安を抱えていた組合員のなかに、激しい怒りを巻き起こした。「あれはもはや労働組合でがない。あんな連中とは一緒にやれるか」という怒りが全職場に広がり、全ての逡巡を吹き飛ばした。  こうして翌日、4月18日津田沼支部結成大会を皮切りに、19日館山、21日新小岩、24日千葉運転区、25日木更津、26日勝浦、27日幕張、5月20日成田、6月28日蘇我支部と各支部の結成大会が次々と開催された。

 

千葉日報(1979・4・18)  津田沼電車区に17日、動労本部の“オルグ団”約100人が旗ザオなどをもって乱入し、同庁舎内にいた動労千葉組合員8人に重軽傷を負わす事件があり、緩行電車72本が遅れるなど、動労内の対立は暴力を伴って本格化した。・・・この日午前11時、革マル派学生を先頭に本部側中執4人を含め、100人の“オルグ”団は国鉄津田沼駅に下車した後、一気に津田沼電車区に乱入した。同駅からの千葉側組合員の通報で同庁舎で労働安全衛生委員会を開いていた8人が1・2階の階段にロッカーなどでバリケードをつくり応戦体制をとったが、バールや、かけや、投石を繰り返す本部側に破られ、結局電車区の8人が監禁される形で殴るけるの暴行を受けた。船橋市内の病院で手当を受けたが、全員が1〜2週間のケガを負い、一人は鼻の骨を折るなどして入院した。

玄関前に押しかけた「本部」オルグと対決する館山支部

「本部」オルグと対決する木更津支部

破壊された詰め所の前で怒りの勝浦支部組合員