Rでの新たな闘いの始まり
   1987年に、国鉄は民営化され、六つのJR旅客地域会社と一つのJR貨物会社に分割された。
 JRでの新たな闘いは、次の4つの課題をもって開始された。
@ 国鉄分割・民営化によって解雇された仲間たちの解雇撤回の闘い
A 多くの組合員の強制配転、拠点職場の廃止等、激しい組合破壊攻撃との闘い
B 極限的な人員削減によって荒廃した職場での反合理化・列車の安全運行確立の闘い
C 国鉄の民営化と平行して進んだ政治反動、軍事大国化に反対し、労働運動の再生をめざす闘い

 JRでの闘いは、1988年5月、組合破壊のために運転士から駅売店やファーストフード店などへ強制配転された組合員の職場復帰を求める断続的なストライキをもって開始された。組合破壊攻撃粉砕の闘いは、1995年のわれわれの拠点であった勝浦運転区廃止攻撃に対する72時間スト、組合破壊攻撃を未然に封じ込めるための、1996年以降の恒常的スト体制の確立、1997年の佐倉機関区廃止攻撃粉砕闘争、2003年12月の習志野電車区廃止反対ストなどを焦点として、永続的に闘いぬかれている。
 特にわれわれは、定年に近い組合員の強制配転攻撃をきっかけとして突入した2004年2月の無期限ストによって、国鉄分割・民営化以来の組合破壊攻撃により強制配転され続けていた組合員の職場復帰を実現した。

 反合理化・列車の安全運行確立の闘いは、1988年12月に起きた列車衝突による運転士の死亡事故(JRが輸送混乱を防ぐために停止信号を無視しろという違法な指示を行なったために発生した)一周年を期した抗議ストを皮切りに、1991年の運転士の労働強化反対闘争、毎年のダイヤ改正での労働強化反対闘争、車両検査修繕業務の全面的な外注化を阻止している2002〜2004年のストライキ、非協力闘争等を今日まで闘いぬいている。
 今JRでは線路破断の続発など、民営化、外注化、規制緩和の結果として、「安全崩壊」は危機的水準に達しており、われわれは、安全運転闘争への突入など、運転保安闘争を強化・再構築する方針を2004年5月20日の第51回定期委員会で決定した。


 解雇撤回に向けた闘いは、1990年1月-3月のストライキを出発点として、ほぼ毎年のストライキ、大衆的抗議行動、労働委員会や裁判闘争等を闘いぬくなかで、1997年に、国鉄の分割・民営化に反対した第一波スト、第二波ストに対する報復とし解雇された28名全員の解雇を撤回させる大きな勝利をかちとった。
 しかしJR東日本は、この過程でも、1990年3月18日から21日に渡って闘われたストライキに対して、事前に組合事務所を封鎖するなどの攻撃を加え、われわれがこれに対抗してスト突入時間を当初の予定より繰り上げたところ、それを「違法スト」だとして、組合に対して2100万円余りの損害賠償訴訟を起こすなどの攻撃を行なっている。
 現在は、国鉄の民営化が強行された際に新会社JRへの採用を拒否されて解雇された組合員(動労千葉、国労、全動労)1047名の解雇撤回の闘いが今もなお継続している。

 さらに動労千葉は、戦争と軍事大国化、雇用や賃金・権利・社会保障制度の破壊に反対し、労働運動の再生をめざす闘いに全力を傾注している。
 1989年に、総評が解体され、労働運動のナショナルセンターが政府や資本と一体化し、反動的組織に変質させられる状況のなかで、全国に呼びかけて労働運動の再生をめざす労組活動家組織を結成し、1991年には、湾岸戦争以降戦争の危機が現実化する情勢のなかで、反戦共同行動委員会を結成した。また、1998年には、全日建関西生コン、全国金属機械港合同という、現在も最も原則的かつ戦闘的な労働運動を闘いぬく二つの労働組合とともに、「闘う労働組合の全国ネットワーク」を呼びかけて、闘いを続けている。
 この取り組みは、2003年の11・9集会で、アメリカからILWUローカル34代表、「タフト・ハートレイ、抑圧と民営化反対キャンペーン」代表、UTU労働者、韓国から民主労総ソウル本部を招いた日・米・韓の国際連帯集会に発展し、労働運動全体に大きなインパクトを与えている。


 とくに、2003年3月20のイラク開戦と、日本での有事立法制定の動きの急速な台頭は、われわれに大きな衝撃を与える事件であった。一方、この間のイラク反戦闘争の国際的な高揚はわれわれに大きな勇気を与えるものであった。
 動労千葉は、イラク開戦から1週間後の2003年3月27日、世界の労働者との連帯の思いを込めて、イラク戦争反対、有事立法制定阻止、労働法制改悪(全労働者を不安定雇用化し、解雇の自由を法制化するもの)阻止を掲げてストライキに突入、30日まで90時間にわたる闘いを貫徹した。
 また2004年春闘にも、三波にわたるストライキに起ちあがり、日本におけるこの間のイラク戦争反対―有事立法制定反対の闘いの最も中心的な役割を果たした陸・海・空・港湾労組20団体や、止めよう戦争への道百万人署名運動と共に、イラク開戦1年の国際反戦行動を、ナショナルセンター等の違いをこえた労働者の統一行動として実現することを全力で訴え、1989年に総評が解散に追い込まれ連合が結成されて以来、はじめての大統一行動が実現することができた。

 今動労千葉は、2003〜2004年の両国会で戦争遂行のための有事立法が成立し、2005年には憲法改悪を強行する動きが具体的な政治日程にのぼるという重大な事態に直面している。動労千葉はさらに闘いを強化する決意である。

4つの課題

@解雇撤回・原職奪還の闘い
A不当配転など激しい組合破壊攻撃との闘い
B反合・運転保安の闘い
C闘う労働運動の再生の闘い

動労千葉サークル協議会 家族会

結成20周年にあたって 山口顧問
追悼   悲しみをのりこえて 
関川さん 大須賀さん、磯部さの思い出


1989年4月13日
長期波状ストライキ
4・13幕張拠点スト

1997年3月27日
公労法解雇28名全員の解雇撤回勝ち取る
第24回動労千葉臨時大会

2003/12 習志野電車区廃止弾劾!検修基地の大再編攻撃粉砕!(動画


2003年11月9日
動労千葉、関西生コン、港合同の3労組共闘の11・9国際連帯集会で日比谷野音からデモに起つ日米韓労組の代表

国鉄労働者1047名の解雇撤回を求める04/4・13東京大集会