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国鉄分割民営化攻撃が吹き荒れていた1984年3月30日、外房線細代踏切事故が発生した。動労千葉勝浦支部の平野さん35才が殉職、車掌及び乗客多数が重軽傷を負った。
紋章を付けて団交 |
1984年4月6日 |
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国鉄解体・JR移行とともに職場は一変した。国鉄労働者に襲いかかったのは、なによりもすさまじい要員削減攻撃である。80年代初めに42万人たった国鉄職員は、JR発足時には21万人にまで削られたが、その後も人減らし攻撃は、JR総進の全面協力のもとで、拍車がかかったように進み、最も深刻な経営危機にあえぐJR貨物の場合、現在の中長期計画(新フレイト21)では、当初の採用粋であった13000人を6000人にまで削り込む目標がゴリ押しされている。「黒字経営」を自慢しつづけてきたJR東日本においても、当初の九万人という定員粋が、JR体制5年目を迎えるころから「鉄道部門5万人体制」という目標が立てられている(フューチヤー21)。しかもこの計画では当初鉄道部門と並ぶ「総合生活部門」と称するデパート、ホテル、リゾート開発などが宣伝されたが、文字どおりバブル崩壊とともに泡と消えた。そしてこの人減らしは、例えばJR東日本の場合、今後10年間に毎年4000人が退職していくのに対し、新規採用はわずか1300という構図のなかで問答無用で進められている。 しかも今日のJRは、83年度から90年度まで8年間にわたってつづいた新採停止の結果、職場に大きな年令断層、技術断層が生じ、それ自体が鉄道業務の通常の運営に大きな障害をつくりだすにいたっている。これに対応してJRが血道をあげてきたのが、機械化・コンピューター化・システム化、大幅な業務委託・外注化、車両検修から保線・電気等全ての分野に及ぶ検査周期の延仲・保安部門の切り捨て、使い捨て車両の導入、業務の融合化、勤務制度の改悪、駅の無人化等、あらゆる種類の合理化攻撃である。
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安全は俺たちの手に 土砂崩壊で脱線(82年6月外房線)
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●動乗勤の改悪 とくに、どうしても一定の要員が不可欠な運転職場では、動力車乗務員勤務制度(動乗動)改悪攻撃がJR東日本の5万人体制合理化攻撃の中心環となった。そこでは運転労働の特殊性を一切無視し、動力車乗務員(運転士)と列車乗務員(車掌)の勤務制度を同一化したうえで、労働時間の概念を根本からくつがえすような制度改悪が強行された。乗務中の各行先地での折り返し待ち合わせ時間を一切労働時間としてカウントしないという制度が導入されたのである。これによって、地方のローカル線担当区などでは、日勤勤務で拘束時間が17時間、18時間という、信じられないような勤務が多数生みだされた。各折り返し駅で労働時間が切られてしまうため、拘束時間は17時間でも、労働時間は所定内に収まってしまうのである。当局は、このような人間の眼界をこえた労働条件を強制しながら、「JRになってから労働時間短縮は大幅に進んでいる」と称して恥じない。 さらには、休日勤務が制度化され、二ヵ月後の休日勤務が常時募集されるようになった。そして、職場の所要員はこの休日勤務を見込んだ数しか配置されないのである。 |
成東駅 |
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