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日刊動労千葉
反合・運転保安闘争路線とは何か

幕張構内事故闘争の教訓・上

幕張構内事故闘争の教訓・下

 

動労千葉は労働者への事故責任転嫁を許さなかった これこそ労働運動の原則を貫く闘いだ

 。動労千葉は1987年の国鉄分割・民営化に反対して1985〜86年2波のストライキを闘いぬき、40人の解雇者を出しました。組合員全員が解雇覚悟でストライキを貫徹することで団結を守り抜き、J R東日本千葉支社の運転職場の多数派として現在も闘っています。解雇者を支える物資販売もすでに20年を越える取り組みとなり、解雇者・組合員総動員で全国の労働組合の現場を回って歩き、全国にネットワークを作ってきました。
 今、動労千葉は、J R東日本による合理化攻撃を「第2の民営化攻撃」ととらえ、「反合理化・運転保安闘争」を闘いぬいています。この闘いの渦中の2006年4月6日、幕張車両センターで電車の入れ替え中に、構内運転士が電車を脱線させて洗浄機を壊す事故を起こしました。動労千葉は「一切の責任は会社にある」と当局を追及して責任を認めさせ、処分攻撃を粉砕しました。この闘いは、あらゆる職場でも「他人事ではない」生きた実践としての教訓に満ちています。この闘いから、動労千葉が実践する労働運動の原則を学び、職場闘争に生かそう!

 「一切の責任は当局にある」と言い切ることからすべては始まった
 幕張車両センターにおける入れ替え車両脱線事故は、幸いにもけが人は出ませんでした。しかし、先頭車両がレールの上に乗り上げて傾き、ブラシを回転させて列車を洗う洗浄機を壊し、「会社に与えた被害総額は4億円になる」と言われました。
 当局と激しくやり合ってきた動労千葉幕張支部の山田護支部長でさえ、事故の一報を聞いた時、「腰が抜けた。現場に行く気になれなかった」とショックを隠しきれず当局に迫って当該の運転士を身柄を取り戻すこともままならない状況でした。
 何日かすると当局から「懲戒解雇にする」という声が聞こえてくるし、前年の05年6月に、運転台で携帯電話を使っただけで、JR東労組所属の運転士が一発解雇されたこともあって、現場には重苦しい空気が漂っていました。
 しかし、その重圧をはねかえして、動労千葉本部が一丸となって原則を守り抜いて踏ん張りました。繁沢敬一副委員長は「ショッキングな事故だったけれど、『会社の責任だ』と言い切ることができたから闘いになった」と総括しています。田中康宏委員長も「指導部が原則や路線を貴くということが、本当に物事を左右する」と自分自身がストライキを構えて当局と全面戦争をやる腹を固めたことがすべてを決したと総括しています。
 動労千葉は、日頃から「労働者と資本家は非和解の関係だ」と組合員に訴えてきました。しかし、幕張脱線事故で、当該の運転士が責任を取らされ解雇されるかもしれないギリギリの緊張の中でこそ、この原則を守れるかどうかが問われたのです。理屈抜きにスパーンと“当局は労働者の敵だ。1%でも当局の言い分を認めたら100%の降服しかない”“構内で起こったことのすべては当局に責任がある”という階級闘争の原則に立ち切ることが一切の勝負を決めたのです。


 現場が本気になったら次々に当局の問題点が出てきた
 本部が腹を固めて、現場が「これは本人の責任じやない。一切の責任は当局にある」と本気になって構えた瞬間、現場のことは誰よりも現場の労働者が知っているから、問題点が次から次へと浮き彫りになって行きました。
 昔から「事故が一番多いのは構内だ」と言われてきたのです。保安装置はないし、日常的に業務量が非常に多く入れ替え作業は複雑なのに、十分な要員がいなかったのです。
 しかも事故の起こった場所は、洗浄機の動作ランプの手前に入替信号機があり、運転士から見る目線に二つが重なるのです。動労千葉は以前から入替信号機と洗浄機の動作ランプを見誤る危険性を指摘して、改善を要求していたのです。
 さらに構内は一番事故が起こる危険性があるのに、当局はATS(自動列車停止装置)を設置しないで放置してきました。
事故が起きた場所は、動労千葉が3年前から安全衛生委員会で危険箇所として、ATS設置を要求してきた場所でした。支部の交渉メモには要求が残っていました。当局が提出してきた議事録には不自然な空白の一行がありました(右写真)。当局は要求を握りつぶしたのが事故原因だと責められることを恐れて、動労千葉がATS設置を要求した部分を抹消したのです。
 さらに人員削減が原因で「1通告・1作業」という当局が定めた安全規律を守れないくらい仕事量が増えて、現場では「1通告・3作業」が当たり前になっていました。動労千葉本部は「1通告・1作業」をきっちりやるように支部に指示しました。当然、作業速度は落ちるし、仕事量も増えます。
 しかし、「事故の責任は当局にある」ことをはっきりさせるために組合員は一丸となって「1通告・1作業」をやり、仕事が回らない現実を当局に突きつけました。

 「職場規律」を問題にする当局の巻き返し策に職場全体で反撃
 4〜5月過程で事故に至った当局の責任がどんどん暴かれていくと、当局はそれを巻き返すために、事故を「職場規律問題」にすりかえて、幕張支部をたたきつぶそうとしました。
 「幕張は職場規律が乱れている。だから事故が起きた」とデマ宣伝を行い、6月10日から連日25人もの管理者を幕張に張りつけて監視しました。千葉支社だけでなく、JR東日本の本社の部長まで幕張に「視察」に来ました。
 監視団は一日中職場に張りつき、古い作業着を着て作業していたのを見つけて「新しい作業着を着なかったら処分する」と言いがかりをつけてきました。新しい作業着の枚数が足りなくて洗濯が間に合わないから、代わりに以前支給された作業着を着ているだけの話です。国労やJR東労組も巻き込み職場全体の問題として、徹底的に争いました。
 こうして当局の「職場規律」に問題をすりかえる攻撃に対して、職場全体で反撃して動労千葉の組合としての団結を視察団に見せつけたのです。

合理化絶対反対を貫いて安全確立をかちとろう
 「出すぞ。出すぞ」と当局が言い続けた処分が出たのは9月29日。「出勤停止15日」という処分でした。当日、ただちに弾劾集会を開きました。運転士に責任を負わせる不当な処分ですが、誰も負けたと思いませんでした。懲戒解雇のどう喝をぶっとばし、当局の責任を徹底的に追及し、ATSを幕張構内に設置させ、当局の管理責任を認めさせたのです。
 幕張事故との闘いを通じて、動労千葉はあらためて反合理化・運転保安闘争の路線を確立しました。
 安全問題は資本にとって決定的な矛盾点であり弱点です。資本は儲けにならない安全への投資を徹底して切り詰めます。
 その矛盾を労働者の「がんばり」で乗り切らせるために、「事故を起こせば、それは当該の労働者の責任」という自己責任論を押しつけてくるのです。
 この攻撃に対して、資本と労働者は絶対非和解であること、職場での事故はすべて当局に責任があることをはっきりさせた時、はじめて本物の職場の団結を作れるのです。この団結に依拠して、合理化絶対反対を貫いて安全確立をかちとろう。
 動労千葉・幕張事故闘争の生きた教訓をわがものとして闘おう。