DC通信No.46 04/07/
サンフランシスコ・インターナショナルレイバーパネルでの動労千葉からの報告 |
2004年7月18日
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世界に飛び立とう3 ・・・・サンフランシスコ労働者評議会のウォルター・ジョンソン事務局長らとの討論の場では、事務局長自身が、「飛行機をチャーターしてパラシュートで会場に飛び降りよう」と、冗談ををまじえながら11月集会のことを呼びかけてくれるなどという情況でした。・・・・ (報告集より) |
目次
T.はじめに
U.04春闘ストライキと労働運動の新たな高揚
(1)動労千葉の基本的な立場
(2)04春闘第1波ストライキ
(3)04春闘第2波、第3波ストライキ
(4) 画期的な統一行動として実現された3・20イラク反戦闘争
(5)教育労働者の決起
(6)新たな地平をきりひらいた1047名の解雇
撤回闘争
(7)全国に大きなインパクトを与えた国際連帯集会
V.日本における労働者のおかれた状況
(1)有事立法の成立
(2) 労働運動への治安弾圧攻撃の激化
(3)言論封殺と排外主義の扇動
(4) 憲法改悪をめぐる決戦
(5)日本の労働者と労働運動の現状
(6)日本経団連「奥田ビジョン」
W.この現実にたち向かう!
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本日はこのような大切な集まりの場で発言の機会を与えていただき大変ありがとうございます。
私は動労千葉の執行委員長の田中康宏といいます。私たちの組合は、主に千葉県と東京地区を運転するJRの運転士と車両エンジニアで組織する労働組合です。
今日の集会にお招き下さったS・ゼルツァーさんをはじめ関係者の皆様に心から感謝いたします。また昨年11月には、労働者の諸権利への激しい攻撃と戦争に反対し、闘う労働運動の全国ネットワークをつくることをめざした日本での私たちの集会にサンフランシスコの闘う同さ2志の皆様が参加して下さったことに改めてお礼を申し上げます。
日米韓の国際連帯集会として開催されたこの集会は、3000名ほどの集まりでしたが、日本の多くの労働者に大きなインパクトを与えました。ここで撒かれた種子は全国に飛んで、激しい労働運動への攻撃や労働運動の幹部たちの屈服に抗して芽をだし、葉を広げようとしています。私たちは今、戦争や抑圧、民営化、政府・資本と必死で闘いを貫く各国の同志との国際連帯がもつ力の大きさを改めて感じています。
また、昨年のレイバーフェスタでも訴えさせて頂いた「コクロウエイト」の仲間たちに対する不当弾圧ですが、昨年12月22日、ついに1年3ヵ月ぶりに私たちのもとに奪い返すことができました。全員職場に復帰し、今も元気に1047名の解雇撤回と国労再生に向けた闘いを続けています。この闘いの勝利のために支援決議をあげて下さったサンフランシスコ労働者評議会をはじめ皆様のご支援に心から感謝致します。
もう一点報告させていただきます。今日この場の参加する予定であった韓国民主労総ソウル本部の同志たちからは、6−7月総力戦に突入している状況のなかで残念ながら参加できなくなったとの連絡が入っています。しかし、そのメッセージには「韓米日労働者の国際連帯の思いは何ひとつ変わるものではありません」と記されていることをご報告しておきます。韓国民主労総の同志たちも、まさに今、激しい弾圧に抗してイラク派兵撤回、非正規雇用差別撤廃、最低賃金要求戦取、韓日自由貿易協定交渉中止等の要求をかかげて大ストライキ闘争に起ちあがっています。
(1)動労千葉の基本的な立場
次に、この間の私たちの闘いについて報告させて頂きます。
動労千葉は、04春闘を中心とした04年前半の闘いに、次のことを訴えて起ちあがりました。
それは第1に、04春闘は、政府−財界が賃金のベースダウンや大多数の労働者の非正規雇用化、年金制度の改悪、労組法改悪による労働者の団結権そのものの否定に向けて激しい攻撃を加えている状況のなかで労働組合の存在価値が問われる決戦であること。
第2に、日本政府が、「戦力の不保持」、「戦争の永久放棄」をうたった憲法を踏みにじって自衛隊をイラクに派兵し、国会には有事関連法が提出される事態のなかで、「内なる階級戦争」と、「外への侵略戦争」を完全にひとつのものとしてとらえ、これと真正面から闘う立場が求められていること。
第3に、職場からのストライキ闘争と結合して、3月20日、イラク開戦1周年の国際反戦行動を、小泉政権に一矢を報い、階級的力関係を変えるきっかけとなるようなあらゆる労働者の大統一行動として実現できるか否かに04春闘の攻防の最大の焦点があること。
そして第4に、民営化、業務の全面的な外注化、規制緩和の結果としてもたらされているJRにおける安全の崩壊、激しい組合破壊攻撃、1047名の解雇撤回闘争への弾圧に対し、ストライキで闘うこと。
(2)04春闘第1波ストライキ
闘いは、退職間近の組合員の不当配転をきっかけにして、2月10日から開始されました。直ちに配転通知を受けた組合員のストライキに指定し、全組合員に非協力闘争を指令しました。また非協力闘争に対する業務命令に対抗して指名ストライキへの突入者は日々拡大しました。この第一波闘争は2月25日まで16日間の闘いを貫徹し勝利しました。
この闘いは1名の組合員の強制配転にとどまらず、国鉄の民営化の結果噴出する矛盾に対する闘いでした。JRは今、線路や電気施設の保守、車両の検査・修繕、駅、車掌業務等、鉄道輸送に係わるほとんどの業務を外注化し、雇用、権利、労働条件、そして安全を解体してしまおうとしています。私たちはこの4年間、幾度ものストライキや職場からの抵抗闘争によって、私たちが組織する千葉エリアでは車両の検査・修繕業務の外注化を完全にストップさせてきました。その結果、検査・修繕部門に大幅な欠員が生じかねない状況を会社に強制しています。
一方、国鉄が民営化されてからすでに17年が経ちますが、その過程で運転士や車両エンジニアの仕事を外されて強制配転された組合員が、今も変わらない動労千葉敵視政策のなかで、数十名の組合員が様々な職場に孤立させられた状態でがんばり続けています。
今回の闘争では、新たな強制配転を事実上撤回させるとともに、ついに彼らの職場復帰を実現したのです。未だ小さな風穴をこじ開けたに過ぎませんが、40名の不当解雇者、百名に近い強制配転者をだしながら、国鉄の分割・民営化に反対してストライキに起ちあがり、その後も解雇者・配転者を守りぬいて闘いを継続したことによって、私たちの闘いは、民営化体制そのものを揺るがそうとしています。その意味で今回の勝利は決定的な意味をもつものだと考えています。
(3)04春闘第2波、第3波ストライキ
第二波闘争は、3月12日〜14日、JRのダイヤ改正の当日にぶつけて全組合員を対象としたストライキに突入しました。この闘いの中心的課題は、民営化の結果としてもたらされている鉄道輸送の安全の崩壊に対する反合理化闘争でした。この間JRではレールの破断、下請けの外注会社にまる投げされた工事による輸送混乱などが続発しています。私たちは抜本的な安全対策の実施等を求めてストライキに起ちあがり、会社によるレール破断事故の隠蔽工作を謝罪させるなどの成果をかちとりました。
第三波ストライキは3月29日でした。この闘いの中心課題は賃金制度の改悪を阻止することでした。私たちの組合は旅客列車を運行するJR東日本とJR貨物で組織されていますが、貨物会社はこの4月から、人件費の抑制と、賃金による労働者の分断・団結破壊を目的として、これまでの賃金制度を撤廃し、能力主義に基づく賃金制度を導入しようとしていました。今もこの闘いは継続されていますが、私たちは4月からの新賃金制度導入を阻止しました。
(4) 画期的な統一行動として実現された3・20イラク反戦闘争
さらに私たちは、ストライキを構えた職場からの闘いとともに、3月20日のイラク開戦1周年の反戦行動にナショナルセンター等の壁をこえた労働者の大統一行動をつくりあげるために全力尽くしました。
連合、全労連という日本の二つのナショナルセンターの幹部たちは、屈服と変質を深め、政府や財界の代弁者になり下がっています。労働組合が労働者の賃下げや解雇に賛成し、戦争法案に賛成し、政府や資本と一体となって労働者を抑圧する手先となっているのが日本の労働運動の現状です。しかし、我慢することのできない怒りの声が高まり、現場からの労働者の大反乱が始まろうとしています。私たちはこうした声をひとつに結集し、労働運動の新たな潮流を登場させることこそが、今問われている最大の課題だと考えています。
とくに、有事立法の制定等、戦争に向けた労働者支配のあり方、国家のあり方の大転換が進む状況のなかで、陸・海・空・港湾労組20団体という、労働組合の重要な共闘組織が生まれています。ここに結集しているのは、航空・港湾・海員・鉄道・医療等、有事立法が完成した場合、業務従事命令によって戦争への協力が法的に義務づけられる職種の労働組合が、ナショナルセンターの枠組みやそれぞれの方針の違いこえて有事立法反対、戦争反対の一点で結集した共闘組織です。
私たちは、陸・海・空・港湾労組20団体など、3・20反戦集会を、屈服を深める日本の労働運動の転機なるような大きな統一行動として準備すること、その条件は間違いなくうまれていることについて討議を重ね、全国に闘いを呼びかけました。
結局、この呼びかけは連合も全労連も無視することのできない運動となって、東京・日比谷公園に6万人、全国各地で開催された集会に100万人の労働者が結集する画期的な成功をおさめました。連合傘下、全労連傘下の労働組合が統一行動を実現したのは、1989年に政府の手によって当時のナショナルセンターであった総評が解散に追い込まれ、右翼労戦統一と呼ばれた連合が結成されて以来初めてのことでした。
(5)教育労働者の決起
さらにこうした闘いの高揚のなかで、二つの重要な決起が生まれています。
ひとつは教育労働者の闘いです。3月の小・中・高校の卒業式では、「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱に対する抵抗闘争が大きな焦点となっていました。「日の丸」「君が代」は、かつて日本帝国主義が朝鮮、中国、アジアへの侵略戦争を遂行したその象徴であったがゆえに、そして「君が代」は日本を天皇が統治する国として讃える歌であるがゆえに、日本の労働者にとって、「日の丸」を掲げさせないこと、「君が代」を歌わないことは永年にわたる闘いの課題となってきたのです。
政府はこれを国旗・国歌として法制化することで国家への忠誠を義務化し、とくに、北朝鮮に対する戦争を公然と煽るようなファシスト・石原が知事を努める東京都では、卒業式を前にだされた通達で、不起立、不斉唱の教員は厳重に処分することが指示されました。
一方都教組等の組合もこれに屈し、業務命令には従うことを組合員に指示しました。しかし、現場の教育労働者はこれに激しく抵抗し、東京で300名、全国では優に1000名をこす教育労働者が抵抗闘争に起ちあがりました。この闘いは、その後の処分や不当な通達そのものに対する480名の裁判闘争の原告団を生みだし、労働運動の再生に向けた新たな闘いの拠点になろうとしています。
(6)新たな地平をきりひらいた1047名の解雇撤回闘争
もうひとつは、国鉄民営化の過程で解雇された組合員(動労千葉、国労、全動労)1047名の解雇撤闘争が新たな地平を切り開いたことです。17年に及ぶこの解雇撤回闘争は困難な事態に直面していました。それは最も多くの被解雇者を抱える国労本部役員らが、闘争の長期化と困難さに屈して急速に変質を深めたのです。
事の発端は、政治折衝による和解路線にのめり込んでいった国労に対して、自民党などが「JRに解雇の法的責任がないことを認めるという大会を決定し、裁判を取り下げれば、政府がJRに話し合いの場につくよう要請する」という、全面降伏を迫るに等しい「解決案」をつきつけ、国労本部がこれを受け入れたことに始まります。
当然にも多くの組合員が激しい反対の声をあげ、大会は流会となり、国労は分裂状態に陥りました。そしてついに国労本部は、自民党との「約束」を履行するために、大会に警察機動隊を導入して反対派を排除し、統制処分し、解雇撤回闘争の継続を訴える組合員を警察に売り渡して逮捕させるに至ったのです。
こうした状況のなかで動労千葉は、@1047名の解雇撤回闘争は、単に解雇問題のみならず、国労とJRにおける労働運動の解体か再生かをかけた正念場を迎えているという認識にたって、国労本部の裏切りと対決して、原点に帰って一から闘いを再構築しなければならないこと、Aそしてそのためには、1047名を構成する三労組の被解雇者が、立場の違いをこえて団結し、一体となって全国に闘いを呼びかける必要があること、Bさらに1047名闘争に加えられた不当逮捕−長期投獄攻撃粉砕闘争を全国規模の大運動にしなければならないこと等を訴えつづけてきました。
そして4月13日、動労千葉争議団、国労闘争団、全動労争議団が演壇に並ぶもとに、首都圏の労働組合が総結集して画期的な統一行動を実現することができました。この集会は、1047名の解雇撤回闘争の新たな出発点を築いたといえます。
(7)全国に大きなインパクトを与えた国際連帯集会
この春の闘いの過程で起きたことは、「戦争と大失業」に対する危機感と怒りの声、既成の労働運動の幹部たちの屈服に対する怒りの声が噴きだし、これまでの枠組みを突き破って、新たな闘いが生まれでようとしていることです。また私たちは、未だ端緒を切り開いたにすぎませんが、全力をあげて闘いぬき、こうした状況をつくりあげてきたことを自負しています。
そして何よりも、この闘いをつくりだす大きなインパクトとなったのが、昨年11月9日の日・米・韓の国際連帯集会でした。3千数百の集会でしたが、ここに結集した無数の労働組合の活動家たちが、全国に散って闘いを組織したのです。
(1)有事立法の成立
次に日本の労働者がおかれた状況について簡単に報告します。
今、日本では戦後の支配のあり方を根本から覆すような激しい政治反動が吹き荒れ、日本の労働者は深刻な試練に直面しています。
昨年6月に有事関連3法が成立し、12月にはイラク派兵法が成立して、戦後初めて自衛隊が派兵され、イラク侵略戦争に参戦しました。そして今年6月にはさらに有事関連7法の制定や日米物品役務提供協定の改悪などが強行され、法的には戦争のできる体制がほぼ整えられたのが日本の現状です。これらの諸立法は、有事に際しての首相への一切の権限の集中にはじまり、土地や家屋、交通・通信施設等の徴用や統制、労働者への業務従事命令等、国家総動員体制の確立とそのための日常的な諸準備、米軍との物品・役務の相互提供、捕虜の取扱い等、あらゆる内容を含むものです。
(2) 労働運動への治安弾圧攻撃の激化
またこれと平行して、この5年ほどの間に治安弾圧立法が矢継ぎ早に制定されています。具体的には、盗聴法など組織的犯罪対策3法、国旗・国歌法、団体規制法、一切の個人情報を国家が一元的に管理することを定めた諸立法、カンパ禁止法、保安処分新法、入国管理法や警察法の改悪、共謀罪の新設、司法制度の抜本改悪等です。
最大の問題は、野党の屈服によって、こうした法案の多くが、国会議員のほとんどの賛成をもって次々と制定されてしまうという恐るべき事態が生まれていることです。マスコミの翼賛化も急速に進んでおり、それらの法案の正確な内容さえ国民にはほとんど知らされていません。日本最大の労働組合のナショナルセンターである連合までが、有事関連法に賛成する見解を発表するなど、多くの勢力が再び国家主義、挙国一致主義に転落し、戦争の協力者になろうとしています。
また、こうした社会状況への抵抗者への治安弾圧攻撃がエスカレートしています。例えば、*自らの組合の大会へのビラまき・抗議行動を「暴力行為」として逮捕(コクロウエイト事件)、*自衛隊官舎へのビラ入れを「住居不法侵入」で逮捕、*公務員が政党支持のビラまきをしたことを「公務員法違反」で逮捕、*国会前でのハンドマイクによる訴えを「音量が暴力」として逮捕、*全く平和的な反戦デモでの参加者の逮捕等、これまでであったらば全く考えられなかった些細な理由による不当逮捕−起訴−長期投獄攻撃が相次いでいます。
(3)言論封殺と排外主義の扇動
この間今の日本を象徴する事件が起きました。イラクで日本人3人が拘束され、その後さらに2人が拘束され、解放されました。拘束された5人は全員平和活動家でした。拘束された理由は明確でした。日本政府がイラクに自衛隊を派兵したからであり、ファルージャでの大虐殺が強行されたからです。しかし、日本では拘束者の家族が政府に自衛隊の撤退を要求したとたんに、政府の主導で拘束者や家族に対する非難の声が意図的に組織され、マスコミをあげてつるし上げる状況が生みだされたのです。「自己責任の自覚を欠いた無責任な行動が政府の多大な負担を強い、迷惑をかけている。深刻に反省せよ」「国益を考えよ」という非難です。結局、家族はテレビなどでただひたすら「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と謝りつづけるしかない状況に追い込まれ、解放された当事者は犯罪者にように帰国せざるをえませんでした。「政府の政策に同調しない者は非国民として排除する」という論理がまかり通り、戦前の言論封殺と全く同じ構造が跋扈しています。
さらに日本では今、北朝鮮への敵愾心や排外主義が洪水のように宣伝されており、誰もがそうとは気づかないうちに、憎悪と恐怖が時代の精神になろうとしています。
有事立法や治安弾圧立法の制定、これに抵抗する戦闘的労働組合や反戦活動家への不当弾圧、そして排外主義の組織化によって、社会の毛穴をすべてふさいでしまうような強権的な統治形態への大転換が始まろうとしています。
(4) 憲法改悪をめぐる決戦
このような政治反動との闘いは、今年秋から05年に向けて正念場を迎えようとしています。それは憲法改悪に向けた動きが、ついに政治日程に上ろうとしているからです。日本の憲法は第二次大戦後一度も変更されたことはありませんでした。最大の焦点は、戦争及び武力の行使を永久に放棄すること、陸海空軍その他戦力を保持しないことを定めた第9条を変更することにあります。また、それに向けて、この秋の臨時国会では憲法と一対をなしている教育基本法の改悪が画策されています。平和の希求を教育の第一目的とした法律を解体し、愛国心の育成が教育の第一の理念にされようとしています。
私たちは、この春の闘いの成果にふまえ、05年に向けて改憲阻止闘争の大きなうねりをつくりあげる決意で闘いを準備しています。
(5)日本の労働者と労働運動の現状
一方、こうした攻撃と表裏一体で、労働者と労働運動に全面攻撃が開始されています。
日本の失業率は政府統計では5%余りですが、これは日本独自の基準に基づくもので、国際的な基準に直せば優に10%をこえており、年間の所得が13,000ドルに満たない世帯が1割をこえ、雇用者全体に占める非正規雇用労働者の比率が激増し、03年時点で32%に達しています。賃金は4年連続で下がり続け、実に40%が国民年金(公的年金の基礎部分をなすもので20歳以上の国民の全員が加入を義務づけられている)の掛金を払うことができなくなっています。毎年の自殺者は3万人をこえ、その内1万人が経済的理由によるものです。こうした現実の一方で、この3月期決算では大企業の多くが労働者の賃下げと首切りの結果、史上空前の利益をあげました。
昨年から今年にかけての国会では、解雇を使用者の権利として定め、短期間の有期雇用や派遣労働等の非正規雇用を全面的に解禁し、年金制度を抜本的に改悪し、失業手当ての給付期間や給付額を大幅に減らす等の法改悪が雪崩をうつようにおし進められました。まさに生きる権利そのものが奪い尽くされようとしているのが日本の労働者のおかれた現状です。
しかも連合はそのほとんどを、「国際競争力を維持するためには仕方がない」と称して、政府や財界と全く同じ論理で容認し、また全労連は「資本主義の枠内での民主的改革を要求する」という主張のもとに、ストライキ等闘いの組織化を一切放棄しました。今、労働運動のこうした現状に対して激しい怒りの声が噴き出そうとしています。
(6)日本経団連「奥田ビジョン」
日本経団連は、昨年12月と今年1月にだした二つの報告書によって、労働者への支配のあり方を抜本的に転換しようとする財界の青写真を明らかにしました。会長名を付した「奥田ビジョン」と呼ばれるこの報告では、「日本は崩壊の危機に瀕している」「森を繁らせるためには枝を落とし下草し刈り取らなければならない」と言い、「安定した小さな幸せが今も存在し、それがあたかも未来永劫つづくように誤解している人たちがいる」「そのような者は異星人としか思えない」と主張して、労働組合の根本的な変質を迫っています。
この報告書などで日本経団連が主張しているのは、終身雇用制を解体し労働者の9割を非正規雇用・不安定雇用化すること、賃金水準を「発展途上国並み」に下げること、年金制度や医療制度などの社会保障制度を解体し、競争原理を導入して「自己責任」としてしまうこと、徹底した民営化と規制緩和を進め、弱肉強食政策を徹底すること、グローバル競争にかちぬくために「東アジア自由経済圏」の形成をめざすこと、そのための軍事力強化と憲法改悪等、まさに帝国主義的野望をむきだしにしたものです。
グローバル化した資本による利潤の追及がもたらしたものは全世界で飢餓もしくは失業状態におかれた数十億もの民衆と戦争でした。日本でも全く同じ現実が進行しようとしています。
小泉や奥田など強盗たちは、労働者に徹底した犠牲を強いる一方で金融資本や独占企業の救済のために湯水のように国家財政を注ぎ込みつづけた結果、10兆ドルも累積赤字を抱え、まさに破たんの危機に瀕しています。そして唯一の出口をアジア−中国市場の独占的確保に求めています。そのために有事立法を制定し、憲法改悪への布石をうち、北朝鮮への戦争を視野に入れた準備をしています。
私たちは、日・米・韓労働者の団結した力こそがこの戦争を止める力であることを確信しています。
私たちの闘いは未だ困難を強いられています。しかし私たちは決して絶望していません。屈服と変質を深めるこれまでの労働組合の指導部に対する我慢のならない怒りの声が日々大きくなり、労働運動の現状を変革し、団結を取り戻さなければこの現実は何ひとつ変わらないという意志となって、新たな闘いの戦列、新たな労働運動の潮流が確実に生まれ出ようとしています。
イラク侵略戦争が、全世界で燎原を焼き尽くすような労働者、民衆の闘いを生み出し、アメリカや日本の支配者たちが果て知れぬ泥沼にはまり込んでいるように、これまで述べてきたような激しい攻撃は、間違いなく労働者の団結と闘いを生み出そうとしています。私たちは、労働者の団結した闘いこそが、戦争を止め、生きる権利すら奪い尽くそうとする攻撃を打ち砕く唯一の力であることに揺るぎない確信をもっています。
アメリカでも、労働運動の再生をめざしてこの秋10月17日にミリオン・ワーカーズ・マーチが計画されていると聞いています。心からの連帯の意志を込めてこの素晴らしい闘いを支持します。全世界の労働者のこうした闘いが結合したとき、間違いなくそこから新たな歴史が生まれでることを確信します。
私たちは小さな力に過ぎませんが、ILWUローカル10、ローカル34をはじめとしたサンフランシスコ、そしてアメリカのすべての闘う労働者の同志と固く連帯し、日本における労働運動の現状を変革するために、そして未来への希望を自らの手で築きあげるために今後も全力を尽くして闘いつづけることを誓い、報告にかえさせていただきます。
2004年7月
前史
1978年2月 助役機関士線見阻止闘争 |
動労千葉の前身は、国鉄動力車労働組合(1950年に機関車労働組合として結成され、1957年に名称を変更)千葉地方本部である。
千葉県と東京都新小岩地区の運転士と車両のエンジニアで組織した労働組合である。われわれの組合員の職場は、千葉県全域と東京駅を含む東京一部地域に及んでいる。現在組合員数600名。その他にリタイア労働者もOB会として組織している。企業側の新規採用の徹底抑制が続き、新規採用再開後も企業の差別政策で、採用時に動労千葉への不加入を強制されている。だがわれわれは民営化後も30数名の組織化に成功している。
結成当初はけして戦闘的労働組合ではなかったが、60年安保闘争や、320人もの死者をだした62-63年の三河島・鶴見における鉄道事故への怒り、機関助士廃止−5万人合理化反対闘争、ベトナム反戦−70年安保・沖縄闘争、さらには「生産性向上運動」による激しい組合破壊攻撃(わずか2年余りの間に動労・国労の組合員が6万名も減少した)との闘いの勝利のなかで、今日の土台が築かれていった。
また、動労千葉地本にとって重要な意味をもつ二つの闘いがあった。
ひとつは、合理化や人員削減によって列車の安全運行が脅かされ続けている職場の現状に対する闘いである。72年千葉県船橋駅で列車衝突事故が発生し、組合員が逮捕された。われわれはこれに対し「資本の利潤追求の結果安全性の確保が軽視されたことによって起きた事故である」という立場から、数波によるストライキ、減速闘争をもって闘い、当該組合員の解雇を断念させ、職場復帰をかちとった。以降、「闘いなくして安全なし」はわれわれの最も重要なスローガンとなっている。
もうひとつは、軍事空港建設に反対して闘い続けられている、日本における戦後最大の農民闘争であり、反権力闘争である成田(三里塚)空港反対闘争との連帯である。われわれは空港の開港に向けて、国家権力による激しい弾圧が反対派農民に加えられる状況のなかで、労農連帯をかけて1977〜78年、空港へのジェット燃料の貨車輸送を拒否する「100日間闘争」を闘いぬいた。
1979年3月30日
動労千葉結成大会 |
このような闘いのなかで、動労千葉地本は組織と団結を強化し、動労内の最も戦闘的・民主的地方本部となっていったが、一方、動労本部は1970年代の後半から急速に変質を深め、1978年の全国大会では、@ストライキ闘争の放棄、A成田空港反対派農民との連帯闘争の中止等の方針が提起され、それに反対した千葉地本の大会参加者をロビーでリンチし、発言を封じるという状況に至る。
そして1979年3月には、闘いを放棄する動労本部方針を拒否した千葉地本執行部全員の執行権・組合員権を停止し、さらに委員長以下4名の執行部を除名するという暴挙に走った。こうした状況のなかで、1979年3月30日、われわれは動労本部からの分離・独立を決定し、動労千葉を結成した。
以降2年近くの間は、国鉄当局公認のもとに繰り返された動労本部の組合破壊のための職場への襲撃に対して、多くの重軽傷者をだしながら団結を守りぬくための闘となる。
国鉄当局も、1979年12月に書記長を解雇、1980年5月に組織部長を解雇、1981年には3月2日〜6日まで闘いぬかれた成田空港へのジェット燃料貨車輸送阻止−6万人人員削減反対のストライキを理由に副委員長など4名の役員を解雇するなど、激しい組織破壊攻撃をしかけた。
1985年11月17日
国鉄分割・民営化阻止! 日比谷野音でスト突入を宣言 |
動労千葉の闘いの歴史のなかで、最も激しい攻防戦となった闘いは、国鉄分割・民営化−10万人首切り反対闘争であった。
中曽根内閣は、1983年に国鉄を分割・民営化する方針を打ち出し、以降、嵐のような組合破壊攻撃が吹き荒れた。
この攻撃の激しさは、国鉄の最大組合であった国労が、1983年から民営化が強行された1987年までのわずか4年間で、224,000人から44,000人まで減少したこと、同じ間に130,000人の国鉄労働者が職場を追われたことに示されている。
また中曽根首相は、全日本労働組合総評議会を潰すために国鉄労働運動を潰すことが民営化の目的だったと後に公言した。この攻撃は、民営化によって十数万人の国鉄労働者を解雇し、その権利を破壊するだけでなく、労働運動を解体するために仕組まれた国家的不当労働行為であった。
激しい攻撃のなかで労働組合の対応は、民営化反対:動労千葉・国労・全動労、民営化推進:動労本部・鉄労と二つに割れた。とくに動労本部は最悪の組合破壊の手先となっ
た。(民営化推進派の組合は、後に解散−統合して現在のJR総連となった)
また、国鉄分割・民営化に反対した国労も、1986年の大会で、民営化に妥協する方針を提起・決定し、組合員の激しい怒りの声によって、3ヵ月後の臨時大会でこの妥協方針が覆される等の動揺のなかで、ぼう大な脱退者が続出し、組織が分裂して闘いを構えることができなかった。
われわれは国鉄分割・民営化攻撃との闘いは、全ての労働者の未来と労働運動の存亡をかけた闘いであることを訴え、家族を含めた討論を重ねるなかから、1985年11月第一波スト、1986年2月第二波ストを中心とした組織をあげた闘いに起ちあがった。
この闘いは、全国に大きな波紋を広げた。われわれは、意図的な政府発表やマスコミの報道によって隠されてきた国鉄分割・民営化攻撃の本質を、この闘いによって初めて社会問題化することができたと考えている。また攻撃は当初から妥協の余地のないものであったが、そうである以上犠牲を恐れずに闘いぬくことによってしか組合員の団結を守ることができないということが、われわれの基本的な立場であった。
警察権力はスト拠点職場を1万名の機動隊員で包囲するという弾圧体制をとり、一方 国鉄当局は、第一波ストで20名、第二波ストで8名の組合員を解雇し、さらにこのストライキに対し約300,000ドルの損害賠償訴訟を起こすなど、これまでに前例のない激しい
攻撃をしかけた。また、1987年の国鉄の民営化の時点でも、このストライキ時に停職処分を受けたことを理由にさらに12名の組合員が、民営化された新会社=JRへの採用を拒否された。しかしわれわれは、組合員が毅然とした闘いを貫いたがゆえに、団結を維持したまま民営化されたJRにのり込んで、さらに闘いを継続することに成功した。なお、このストライキは、国鉄分割・民営化に反対した国鉄労働者の唯一のストライキであった。
1989年4月13日
長期波状ストライキ 4・13幕張拠点スト |
1987年に、国鉄は民営化され、六つのJR旅客地域会社と一つのJR貨物会社に分割された。
JRでの新たな闘いは、次の4つの課題をもって開始された。
@ 国鉄分割・民営化によって解雇された仲間たちの解雇撤回の闘い
A 多くの組合員の強制配転、拠点職場の廃止等、激しい組合破壊攻撃との闘い
B 極限的な人員削減によって荒廃した職場での反合理化・列車の安全運行確立の闘い
C 国鉄の民営化と平行して進んだ政治反動、軍事大国化に反対し、労働運動の再生をめざす闘い
JRでの闘いは、1988年5月、組合破壊のために運転士から駅売店やファーストフード店などへ強制配転された組合員の職場復帰を求める断続的なストライキをもって開始された。組合破壊攻撃粉砕の闘いは、1995年のわれわれの拠点であった勝浦運転区廃止攻撃に対する72時間スト、組合破壊攻撃を未然に封じ込めるための、1996年以降の恒常的スト体制の確立、1997年の佐倉機関区廃止攻撃粉砕闘争、2003年12月の習志野電車区廃止反対ストなどを焦点として、永続的に闘いぬかれている。
特にわれわれは、定年に近い組合員の強制配転攻撃をきっかけとして突入した2004年2月の無期限ストによって、国鉄分割・民営化以来の組合破壊攻撃により強制配転され続けていた組合員の職場復帰を実現した。
反合理化・列車の安全運行確立の闘いは、1988年12月に起きた列車衝突による運転士の死亡事故(JRが輸送混乱を防ぐために停止信号を無視しろという違法な指示を行なったために発生した)一周年を期した抗議ストを皮切りに、1991年の運転士の労働強化反対闘争、毎年のダイヤ改正での労働強化反対闘争、車両検査修繕業務の全面的な外注化を阻止している2002〜2004年のストライキ、非協力闘争等を今日まで闘いぬいている。
今JRでは線路破断の続発など、民営化、外注化、規制緩和の結果として、「安全崩壊」は危機的水準に達しており、われわれは、安全運転闘争への突入など、運転保安闘争を強化・再構築する方針を2004年5月20日の第51回定期委員会で決定した。
1997年3月27日
公労法解雇28名全員の解雇撤回勝ち取る 第24回動労千葉臨時大会 |
解雇撤回に向けた闘いは、1990年1月-3月のストライキを出発点として、ほぼ毎年のストライキ、大衆的抗議行動、労働委員会や裁判闘争等を闘いぬくなかで、1997年に、国鉄の分割・民営化に反対した第一波スト、第二波ストに対する報復とし解雇された28名全員の解雇を撤回させる大きな勝利をかちとった。
しかしJR東日本は、この過程でも、1990年3月18日から21日に渡って闘われたストライキに対して、事前に組合事務所を封鎖するなどの攻撃を加え、われわれがこれに対抗してスト突入時間を当初の予定より繰り上げたところ、それを「違法スト」だとして、組合に対して180,000ドル余りの損害賠償訴訟を起こすなどの攻撃を行なっている。
現在は、国鉄の民営化が強行された際に新会社JRへの採用を拒否されて解雇された組合員(動労千葉、国労、全動労)1047名の解雇撤回の闘いが今もなお継続している。
さらにわれわれは、戦争と軍事大国化、雇用や賃金・権利・社会保障制度の破壊に反対し、労働運動の再生をめざす闘いに全力を傾注している。
1989年に、総評が解体され、労働運動のナショナルセンターが政府や資本と一体化し、反動的組織に変質させられる状況のなかで、全国に呼びかけて労働運動の再生をめざす労組活動家組織を結成し、1991年には、湾岸戦争以降戦争の危機が現実化する情勢のなかで、反戦共同行動委員会を結成した。また、1998年には、全日建関西生コン、全国金属機械港合同という、現在も最も原則的かつ戦闘的な労働運動を闘いぬく二つの労働組合とともに、「闘う労働組合の全国ネットワーク」を呼びかけて、闘いを続けている。
この取り組みは、2003年の11・9集会で、アメリカからILWUローカル34代表、「タフト・ハートレイ、抑圧と民営化反対キャンペーン」代表、UTU労働者、韓国から民主労総ソウル本部を招いた日・米・韓の国際連帯集会に発展し、労働運動全体に大きなインパクトを与えている。
とくに、2003年3月20のイラク開戦と、日本での有事立法制定の動きの急速な台頭は、われわれに大きな衝撃を与える事件であった。一方、この間のイラク反戦闘争の国際的な高揚はわれわれに大きな勇気を与えるものであった。
動労千葉は、イラク開戦から1週間後の2003年3月27日、世界の労働者との連帯の思いを込めて、イラク戦争反対、有事立法制定阻止、労働法制改悪(全労働者を不安定雇用化し、解雇の自由を法制化するもの)阻止を掲げてストライキに突入、30日まで90時間にわたる闘いを貫徹した。
また2004年春闘にも、三波にわたるストライキに起ちあがり、日本におけるこの間のイラク戦争反対―有事立法制定反対の闘いの最も中心的な役割を果たした陸・海・空・港湾労組20団体や、止めよう戦争への道百万人署名運動と共に、イラク開戦1年の国際反戦行動を、ナショナルセンター等の違いをこえた労働者の統一行動として実現することを全力で訴え、1989年に総評が解散に追い込まれ連合が結成されて以来、はじめての大統一行動が実現することができた。
今われわれは、2003〜2004年の両国会で戦争遂行のための有事立法が成立し、2005年には憲法改悪を強行する動きが具体的な政治日程にのぼるという重大な事態に直面している。われわれはさらに闘いを強化する決意である。
この間、17年にわたって闘いつづけてきた解雇撤回闘争が、新たな困難な状況に直面している。ともに解雇撤回闘争を闘いぬいてきた仲間であった国労の本部役員らが、闘いの長期化と困難さに膝を屈して、急速に変質を深めているのである。
事の発端は、政府・自民党を中心とした4党が、「国労がJRに解雇の法的責任がないことを認めるという大会決定を行い、裁判を取り下げれば、政府がJRに話し合いの場につくよう要請する」という案を国労につきつけたことに始まる。そして国労本部は、組合員の激しい反対の声をふみにじって、この受け入れを大会で決定したのである。
しかも政府・自民党は、大会決定に従わずに解雇撤回闘争を継続する組合員の除名を要求するに至り、国労本部はそれも受け入れて、何と解雇された組合員を査問委員会にかけるところまで行き着いた。
さらには、2002年5月27日の臨時大会で、闘いの継続を訴え、本部に抗議した組合員を警察にビデオを渡して売り渡した。不当逮捕された7名の国労組合員と1名の支援の労働者は実に13ヶ月間にわたって拘束され、警察権力による前代未聞のデッチあげ不当弾圧を許さない運動が全国に広がる状況の中で、ようやく2003年12月22日に釈放された。
動労千葉は、こうした事態に対し、1047名の解雇撤回闘争は自らの解雇という問題のみならず、国労とJRにおける労働運動の解体か再生かをかけた正念場であることを見据え、現状を打開し勝利の展望を切り開くためには、1047名を構成する3労組(動労千葉、国労、全動労)の被解雇者が、立場の違いをのりこえて団結し、統一した闘いを全国に呼びかけることが何よりも必要であることを訴え続けている。
2004年4月13日に開催された「国鉄闘争支援大集会」は、闘争が始まって以来はじめて3争議団が演壇に並ぶなかで、これまで解雇撤回闘争を支援し続けてくれた首都圏の労働組合が総結集する画期的な集会となった。われわれはこれを新たな出発点として、1047名の解雇撤回闘争を労働運動の再生に向けた結集軸として展開していく決意である。
2004年7月