DC通信No.23 03/10/31
世界に翔びたとう2 訪韓報告 民主労総とともにへ(一部紹介)
 民主労総・タンビョンホ委員長との会談
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民主労総本部 タンビョンホ委員長との会談

◆新たな運動の核がアジア圏にできることを待ち望んでいた◆

 民主労総本部は、ソウル・永登浦(ヨンドゥンポ)区にある10階建てのテヨンビル五階にある。このビルには民主労総本部以外にも、全教組、全国運送荷役労働組合など民主労総傘下の単組や、全国民衆連帯の事務所が入っている。今年の春以来、警察が捜索令状を発行しているものの、組合員が実力で防衛しているため、当局は捜索を強行することができない状態にある。訪問した23日は、キムジュイク烈士の追悼集会の翌日、しかも11・9労働者大会の準備であわただしい中だった。タンビョンホ委員長は、前日プサンで開かれた「キムジュイク労働解放烈士追悼および労働弾圧糾弾全国大会」に共同代表として参加した直後、とんぼ帰りでソウルに戻り、動労千葉との会談の時間を確保してくれた。

出席者名

民主労総本部 委員長      タンビョンホ氏(金属産業連盟)
       副委員長     キムヒョンタク氏(事務金融労連)
       事務総長職務代行 イジェウン氏(化学繊維連盟)
ソウル本部  本部長      コジョンファン氏
       首席副本部長   イジェヨン氏
       副本部長     キムチャンソプ氏
       組織次長     ムンムンジュ氏

訪韓団    動労千葉委員長  田中康宏
       動労千葉常任顧問 中野洋
       動労水戸副委員長 辻川慎一

 タンビョンホ 日本語の勉強はちょっと始めたんですが、やめてしまって。(一同笑い)
 キムヒョンタク (日本語で)キムヒョンタクです。副委員長です。
 イジェウン 民主労総事務総長のイジェウンです。
 キムチャンソプ 私から若干紹介させていただきます。今夏、日本から招待を受けて8・15五集会に行ってきました。日本には動力車労働組合がありまして、ここが民営化に賛成しました。それに反対して脱退したのが動労千葉です。ストライキを闘い、市民団体や弁護士などで支援する会をつくり、日本の戦闘的労働組合の求心になっています。11月9日に日本でも労働者集会をやるとのことで、民主労総も招待されました。今回はその準備と、タン委員長にお会いするために民主労総にいらっしゃいました。
 タン 民主労総を訪問してくださったことを、大変光栄に思います。
 田中 私どもも、こんなすばらしい闘争をやっている民主労総の委員長にお会いできたことを、心から光栄に思います。
 中野 11月9日にはソウルでも10万人集会をやるそうですが、そういう忙しい中、ソウル本部から本部長をはじめ3人が参加してくださることになり、心から感謝しております。アメリカのサンフランシスコからも、アメリカで最も闘っている労働組合の代表が参加することになりました。

◎日本の国鉄民営化の闘争に関心

 タン 八七年に国鉄が民営化されたとき、解雇は何人くらいでしたか。
 中野 40人ですね。
 タン 1000人以上だと思っていましたが。
 中野 分割・民営化の時は解雇ではなく、希望退職を強制されたんです。5年間で約20万人でした。それに反対して動労千葉はストライキをやったという理由で、公労法で28人が解雇されました。国鉄時代は公労法によりストライキを禁止されていましたから。そしてJRという新会社に採用を拒否された組合員が動労千葉では12人で、計40人が解雇されました。国鉄全体では、JRに採用を拒否された労働者のうち、90年4月に整理解雇された1047人が、解雇撤回闘争を13年間闘い続けています。
 タン 私は日本の国鉄についてよく知りませんが、国鉄民営化の闘争が有名になって、少なからず関心を持っていました。その過程で確か強制解職された人が1500人程度になると聞いています。その人たちはみな組合が分かれているんですよね。全労協に所属している人もあり、全労連に所属している人もあり、一つに集まることができていないと聞いています。
 田中 国鉄の解雇撤回闘争は、国労と、私たちの動労千葉と、全動労という三つの労組が解雇撤回闘争を闘っています。今ようやくこの三つの組合の解雇された仲間が一緒に闘いを呼びかけるという、本来の姿が取り戻されようとしています。私たちは、この三つの争議団が一緒に闘った時に初めて勝つことができるという立場で、全力で取り組んでいます。
 中野 この解雇撤回闘争はもう13年も続いているんですが、その闘いの最大の弱点はJR資本と闘わないということなんです。政府に対して政治解決を求めて、首を切った資本と闘うことができていないことが最大の弱点ですね。
 タン 日本の国鉄民営化の時の過程や闘いには、大きな関心を持っていました。
 中野 国鉄分割・民営化の攻撃に対して、日本の労働組合運動は闘えなかったんです。これで敗北してから日本の労働運動がだんだん労資協調になって、連合ができました。だから11月9日に集会をやって、なんとか闘う労働運動のナショナルセンターをつくろうと思っています。
 タン 日本でのそういった活動についてよくわからないなりに関心を持っていたんですが、今日お会いできて、具体的にお話をうかがって参考になりました。日本には連合があり、全労協があり、全労連があるんですよね。
 中野 ええ。私たち動労千葉はそこに所属しておりません。(チラシを示し)11月9日の集会を呼びかけている三つのの組合は、いずれも所属していません。
 タン 新たに組織をつくるということですが、どういう形態で、どのように。
 中野 形態を考えているわけではありませんが、今、連合も全労連も資本の攻撃と闘えませんから、現場からものすごく不満が出ています。ですから、連合に加盟している組合でも、全労連に加盟している組合でも、全労協に加盟している組合でも、闘う意志のある組合はネットワークをつくることから始めようということです。
 タン 業種は様々みたいですね。
 田中 はい。

◎連合には批判的な問題意識

 タン われわれも、連合など日本の労組と民主労総の傘下組織との交流があります。しかし連合の活動に対しては、非常に批判的に問題意識を持っています。実際には全労協や全労連との交流のほうが多い状況です。日本において、これまでの運動方針に対する批判的な問題意識を持ちながら新たな運動の求心体をつくろうということについては、私も肯定的です。特にアジア圏の中でそうした運動の核ができていくことは、われわれ韓国でも待ち望んでいたことで歓迎します。一緒に連帯することもでき、力になるものと信じています。
 田中 そうですね。

◎ソウル本部は姉妹血縁を結ぶ

 タン (コジョンファン・ソウル本部本部長に向かって)ソウル本部と動労千葉は、姉妹血縁を結ぶというような形で……(一同笑い)。ソウル本部と今後緊密に交流して行き来できれば、お互いのためにもなるし、力にもなる。そういうきっかけになると思います。
 田中 特に日本の労働者が頑張らないとだめだと思います。アジア中に全部資本が進出して、労働者を搾取しているわけですから。FTA(自由貿易協定)の問題も有事立法の問題もありますし。
 タン そうです。
 中野 日本は今、危機的な状況にあります。(11・9のビラを示し)この日に総選挙が行われるので、あえてぶつけたんです。自民党と民主党という二大政党が両方とも有事法賛成ですし、憲法を変えようとしています。日本には共産党もありますが、共産党は労働者の闘いからどんどん遊離しています。労働者はどの政党を選んでいいのか困っています。だからこの日、なんとか労働者の団結を示して、その反撃の糸口にしたいと思っています。そういうことで、あえて投票日に集会を設定しました。日本はけっこう議会制民主主義が定着しているものですから、もうすでに選挙真っ盛りです。その中で、労働者に向かって「こっちの集会のほうがおもしろいぞ」と呼びかけています。
 タン 非常に意味のある大会のようですね。
 中野 はい。
 タン 「全国労働者総決起集会」、「総決起」とありますが、どれくらい集まるんですか。(一同笑い)
 中野 5000人です。まだ小さいですけれど、なんとか集めたいと思っています。
 タン 日本で5000人集会と言ったら、かなり大きい規模なのでは。
 中野 ええ、大きいですね。しかし、民主労総は若い労働者が多く闘っているのがすばらしいと思いますよね。
 タン そうでもありませんよ(一同笑い)。幹部には若い層が多いですが、現場に行くと、鉄道労働者や自動車労働者はみな40代後半です。けれども幹部は若いです。
 田中 若い幹部を輩出しているのが、すばらしいですね。
 中野 日本も僕らの世代が労働運動を始めたころは、やはり20代、30代が主力でした。その層がそのまま年をとって。それが今非常に大変ですね。若い労働者が労働組合運動に関心を持たない。
 タン われわれも幹部たちは、現場にいる若い層にもちろん粘り強く意識的に教育しているんですが、若い層が労働組合活動に意欲を持っていないという厳しさはあります。
 中野 日本も今、若者たちの失業率が非常に高い。全体は五%くらいですが、若い世代は約一割が失業してますから、若い労働者が労働組合に団結する条件はできてきていると思います。
 タン 日本でも今後、若い層が幹部として活動する中で、新たな気運が形成されていくのではないでしょうか。
 田中 そうですね。こういう取り組みをとおして、その中心になるものをつくりたい。中心ができれば、おのずと枝も生えてくると思っています。
 タン そうです。
 田中 先ほどの国鉄闘争の流れは複雑ですが、この資料集の「動労千葉の闘いの軌跡」の中に簡単に書いてありますので、あとで読んで参考にしていただければと思います。
 中野 今度11・9集会にアメリカから来る組合は、ILWUという港湾労働者の組合で、「全米最強の組合」と言われているところです。

 タン (他の幹部に)こんなにみやげを持ってきてくださったのに、こっちからさしあげる物はないのか。(キムヒョンタク副委員長が取りに行く)
 中野 (動労千葉から落花生などみやげの説明)千葉県は落花生の産地で、とてもおいしいんです。動労千葉の解雇者の生活を支えるため、十数年にわたって物資販売運動をやっています。ちょうど今もその時期ですから、組合事務所はみな出払っていて誰もいません。北海道から九州まで、これを持って労働組合まわりをやってます。

 タン 解雇者は日本でも韓国でも、みんなこうやって生きているんですね。
 田中 こういう運動をやっているため、年に2回必ず全国の労働組合をまわっています。その時に自分たちの闘いを訴え続けられるというのは、大きな意味を持っています。連合系の労働組合などでも、現場の組合は協力してくれます。
 タン これは民主労総のバッジです。このハチマキは、われわれがいつも闘いのたびに使っているものです。
 中野 このハチマキは昨日、リベラホテル労組のろう城テントを訪問した際にもいただきました。
 タン 「団結・闘争」と書かれています。
 キムヒョンタク バッジは、全世界の労働者の団結。黒人、白人……。
 タン 三人の人の顔を表しています。
 キムヒョンタク 人種や地域などの差別を乗り越えて、という意味です。
 田中・中野 (記念品を受け取り)ありがとうございます。
 キムチャンソプ 私たちはバッジをもらったことありませんよ。(一同笑い)
 キムチャンソプ 記念撮影をしてはどうですか。
 コジョンファン タン委員長は本来、モデル料は非常に高いんですが。(一同笑い)
 タン (動労千葉の資料に目をとおして)労働者学習センターとは?
 中野 動労千葉だけでなく、いろいろな労組から労働者が参加して学習しています。今年で三期目ですが、だんだん若い労働者が参加するようになっています。連合傘下の組合員も、全労連傘下の組合員も来ています。
 田中 この前、キムチャンソプさんに動労千葉の事務所に来ていただいた時も、帰る日がちょうど労働学校の日で、「参加したい」とおっしゃっていました。
 タン (コジョンファン氏のひざを叩きながら)今度その労働学校にこのコジョンファン同志を呼んで、講演してもらったらどうですか。(一同笑い)
 田中 ぜひお願いします。
 タン 今日は本当にありがとうございます。今後も頻繁にお会いすることができればと思います。
 中野 恐れ入ります。ぜひ日本へもいらしてください。
 タン 機会があったらぜひ。
 田中 今日は本当にありがとうございました。私たちも日本で誇れる労働運動をつくるために頑張りますので、よろしくお願いします。
 タン 何かお役に立てることがあれば、よろこんで。
 田中 光栄です。

段炳浩(タンビョンホ)委員長 プロフィール

1949年 慶尚北道 浦項(ポハン)生まれ
1987年 東亜建設チャンドン工場労働組合初代委員長
1988年 ソウル地域労働組合協議会議長
1989年 ソウル地下鉄ストライキに関連し1度目の拘束
1990〜94年 全国労働組合協議会(全労協) 1〜4代委員長
1990年 全労協関連で2度目の拘束
1993年 全国労働組合代表者会議(全労代)共同代表
1995年 現総連(現代グループ労働組合総連盟)ストライキに関連し3度目の拘束
1995年11月 民主労総発足
1996年 4・19革命賞受賞。民主金属連盟委員長、民主労総副委員長
1998年 金属産業連盟委員長、民主労総副委員長。民主労総総力闘争に関連し4度目の拘束(韓国通信など大規模事業所でのゼネスト主導の容疑)。控訴審で懲役1年を受け、服役
1999年 金属産業連盟常任指導委員。8・15特赦で、刑期2カ月を残して刑執行停止で釈放
1999年9月 民主労総第2期委員長
2001年1月 民主労総第3期委員長
   6月 民主労総の総力闘争に関連して手配を受け、明洞聖堂で35日間の座り込み
2001年8月 警察に出頭。金大中政権が7月に「残余刑以外に責任を問わない」と約束したことを受けたもの。これに伴い刑執行停止が取り消され再収監。残余刑期は約2カ月
2001月10月 残余刑期を終えるも、金大中政権は約束を破って再収監。容疑は99年12月から01年7月までに28回にわたり民主労総のゼネストと都心「不法」集会を主導したというもの
2002年3月18日 ソウル地裁は「特殊公務執行妨害致傷罪」などで懲役2年を宣告。控訴審で懲役1年6月確定
2003年4月3日未明 ソウル拘置所から1年8カ月(01年8月時点での残余刑2カ月を含む)の刑期を終えて満期出獄


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