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尼崎事故の現場を訪ねて
安全を無視した軽車両の恐ろしさをまざまざと感じる

1両目が駐車場に突っ込んで原型をとどめないほど破壊され、2両目が線路側の角に側面から激突してペシャンコに潰れた
あれほどの衝撃があったマンションの柱はほとんど損傷していない!いかに車両が弱かったのかということだ
マンションは、無人となって今もそのまま建っている
闘いなくして安全なし!

あらためて怒りが込み上げる

 4月26日、尼崎現地闘争に参加し、事故現場を初めて見た。1両目が駐車場に突っ込んで原型をとどめないほど破壊され、2両目が線路側の角に側面から激突して、まるでブリキのおもちゃのようにペシャンコに潰れたあのマンションは、無人となって、今もそのまま建っている。
 現場を見て改めてショックを受け、怒りが込み上げてきたのは、2両目が激突したマンションの角の柱が、ほとんど無傷に等しかったことだ。献花台に花を手向け、間近でみたが、タイルが多少剥がれ落ちているといった程度の傷しかない。あれほどの衝撃があったマンションの柱はほとんど損傷していない!
 いかに車両が弱かったのかということだ。見た目だけはスマートに仕立てられているが、事故や人命のことなど何ひとつ考ず、スピードアップやコスト削減のために徹底的に軽量化されたペラペラな列車が今も危険と背中合わせで突っ走っているのだ。
 事故調の報告によれば、車両毎の死者数は、1両目/43人、2両目/57人、3両目/3人、4〜7両目は0人、乗車車両不明/4人、である。つまり、尼崎事故で殺された107名の乗員・乗客のほとんど(100〜104人)が1両目か2両目に乗っていて生命を奪われたのである。

車両の強度さえしっかりしていれば

 車両の強度さえしっかりしていれば、これほど多数の犠牲者をだすことはなかったのだ。
 軽量化されたステンレスやアルミ製の車両が一斉に投入されるようになったのは国鉄が民営化されて以降のことである。
「質量(重量)半分、価格半分、寿命半分」「これまでの車両の設計思想から発想の転換を図る」「とにかく考えられる最も軽く単純な構造の構体」が設計のかけ声であった。
 例えば、JR東日本の標準タイプである209系やE231系の構体重量(車体そのものの重量)は、103系と比べると、150o拡幅されたにも係わらず57%しかない。強度などほとんど無視された車両がつくられたのである。

「こんなもの使っていいのか」

 当初は車両メーカーからも「こんなものを使って大丈夫なのですか」という意見が沢山あったというのだ。ある鉄道工学の研究者は「最近の車両は、敗戦直後に造られた木造車両と同じ位の強度だ」とも指摘している。
 しかしJRは、団交などで「充分な強度を計算して製造している」「安全上問題はない」とウソをつき続けてきたのである。そして尼崎事故に行き着いたのだ。

ボルスタレス台車の導入

 同時に、台車も、1台車あたり1t以上も軽いボルスタレス台車が導入された。中心軸も、台車を支える「はり」も取り払い、ゴム制の空気バネだけで支えるようにしてしまった台車だ。以前から危険性、不安定性が指摘されていた台車である。次のように言う鉄道アナリストもいる。「転倒脱線が計算値よりもずっと低い速度で起こったのは、まさしくボルスタレス台車が要因であると言うのに等しい。だが、…… ボルスタレス台車そのものに問題があるとは、鉄道業界をあげて口にしたくないことなのである。台車メーカー、鉄道会社、さらには国土交通省もボルスタレス台車を開発・改良し、導入を推進してきたので、…… 欠陥があることを認めたくないのである」(川島令三/「なぜ福知山線事故は起こったのか」)。

全てはコストと利潤のため

 JR東日本の車両設計者は、「軽量ステンレス車両の経済効果」と称して、@直接的には運転動力費の節減、A間接的・長期的には軌道保守費の節減、Bスピードアップ−運転時分短縮、C無塗装化による経費節減、Dメンテナンスフリー化による車両保守費の削減等をあげている。結局、コスト削減・利潤追及一本槍で突っ走ったということである。
 だが、実際はそれ自身も矛盾をきたしている。車両を軽くすれば、通過トン数管理されている軌道保守費も削減できると見込んでいたことは逆目にでている。軽量化とボルスタレス台車の使用、スピードアップは予期せぬ事態を引き起こしたのだ。列車が暴れてレールがたちまちガタガタになり、レール破断が多発するという事態である。
 日本の鉄道技術は、トータルな視点を失い、技術上の破綻点に行き着いたと言っても過言ではない。

断じて「想定外」ではなかった

 過日、NHKで、鉄道車両の安全性についての特集番組が報道された。「日本では、鉄道車両についての安全性の基準や強度の基準は何ひとつ設けられていないが、アメリカなどでは事故等の経験にふまえ、衝突実験なども行って、安全や強度に関する基準が定められている」という内容の番組である。車両メーカーでは、107名の犠牲者を出したあのペラペラな車両を造っているすぐ脇で、アメリカの鉄道会社から受注した頑強な車両が製造されている皮肉な場面が映し出されていた。
 「日本ではあのような事故は想定外」だというのだ。だが、本当に「想定外」だったのか。そんなことはない。2000年に起きた日比谷線脱線衝突事故の後も、鉄道総研は「ステンレス鋼制車両の側面衝突時の衝撃破壊挙動」について実験を行い、「比較的低い速度でも車体が破損し、破損うした構成部材が車内に入り込む恐れがある」という評価をしているし、ボルスタレス台車の安定性も問題にされていた。1997年の大月駅事故の経験もある。また余部鉄橋からの列車転落事故でも、軽い14系客車だけが転落し、思いDD51機関車は鉄橋上に残ったという経験ももっている。
 よう要するに、危険だということを百も承知しながら、コスト削減と利益のために、その事実を隠し、一切何の手も打ってこなかっただけのことだ。

闘いなくして安全なし!

 こうした必然的な結果として起きたのが尼崎事故だった。線路脇のマンションのあの柱は、何よりも明確にそのことを語っていた。
 「懲罰的な日勤教育」という言われる問題も、その帰結に他ならない。安全を徹底して無視し続けた結果、安全を担保する唯一の手段は運転士を締めあげることしかなくなったということだ。
 事故調の報告書も、本質的な問題については何ひとつ触れていない。それは、「市場原理に委ねる」などと称して、安全の解体を後押し続けた国土交通省自身に責任が及ぶからである。
 尼崎事故を忘れてはならない。尼崎事故で問われた問題は今も何ひとつ解決していない。闘いなくして安全なし! 運転保安確立に向けた闘いをさらに強化しよう。

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
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