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尼崎事故・車両横転とボルスタレス台車 bS

(6145号からつづく)

横転した原因はボルスタレス台車?

 これまで、車両の軽量化問題を中心として、いかに安全がないがしろにされてきたのかを見てきたが、尼崎事故を107名の生命を奪う大惨事に至らしめた最大の要因は、ボルスタレス台車にあったと考えられる。
 ボルスタレス台車とは、その名のとおり、軽量化のために「ボルスタ(枕ばり)」(別図1参照)をとって、車体と台車を左右二つの空気バネ(枕ばね)で直接つなぐ構造にした台車の総称である。 国鉄ーJRでは、国鉄時代の末期にはじめて導入され、この10年余りの間に急速に普及するようになったが、重さ1tほどもあるボルスタを省くことで一気に軽量化を図ることができ、かつ部品点数が大幅に減ってメンテナンスコストを下げられるというのが採用の理由であった。そして台車は「(構造の簡素化、部品点数の減という点では)これ以上は構造的にどうしようもない程度まできている」と言われるようなものになったのである。
 またそれは、車両の重心を押し上げることも意味する。先にも述べたように、重心高さを抑えるためには車体側も軽くするしかなく、台車が軽量化されればされるほど、車体の軽量化も止めどなく追求されることになる。ボルスタレス台車の採用が車両軽量化に拍車をかける一因となったことは間違いない。

危険だと指摘する声

 だが、危険だと指摘する声は次のとおり当初から上がっていた。

転倒脱線が計算値よりもずっと低い速度で起こったのは、まさしくボルスタレス台車が要員であると言うのに等しい。だが、・・・・・ボルスタレス台車そのものに問題があるとは、鉄道業界を・・・・・挙げて口にしたくないことなのである。台車メーカー、鉄道会社、さらには国土交通省もボルスタレス台車を開発・改良し、導入を推進してきたので、我が子のようなボルスタレス台車に欠点があることを認めたくないのである。しかし、鉄道業界でも一部の人はボルスタレス台車を危険視しており、また鉄道会社のなかにはボルスタレス台車を採用しようとしないところもある。(川島令三『なぜ福知山線脱線事故は起こったのか』)

 ここで言われている「ボルスタレス台車を採用しなかった鉄道会社」とは、阪急、京阪、京浜急行などである。とくに阪急は、一度試験的に採用したが、「台車はレールに吸い付くような構造にしなくてはならない。どんな条件でも脱線しない台車がいい」という理由で、その後の新車はすべてボルスタ付きの台車にしているという。

これだけの問題が起きている

 実際、初期のボルスタレス台車は低速で走る急カーブで何度も脱線している。原因は、台車の構造上の欠陥による「輪重ヌケ」であった。1両2台車、計8つの車輪に、曲線でもいかに均等に輪重がかかるように設計するかが、安全に走行する車両の基本であるが、直線〜緩和曲線〜本曲線〜緩和曲線〜直線と移行する過程でのカント変化、レールのねじれのために輪重がアンバランスになり、輪重ヌケを起こして乗り上がり脱線を起こすというケースである。低速で起きたのは、「輪重がアンバランスになる時間が高速時よりも長いため」だと言われている。
 最近では、01年の日比谷線脱線事故でボルスタレス台車との関連が指摘されていたが、「最終的に事故との関連性は報告されておらず、メーカーや鉄道事業者に対しての指導や通達は行なっていない」(国土交通省)と、因果関係は闇に隠された。
 だが、営団地下鉄は、その後事故と同形台車の空気バネや軸バネ等を、輪重ヌケを抑えるように改良しており、実際上は台車に欠陥があったことを認めている。
 今回の尼崎事故でも、事故直後に、国土交通省の事故調自身が、「空気バネが異常な振幅を繰り返し、脱線を誘発した可能性が高い」(5月5日付毎日新聞/別図2)と発表し、水平についているヨーダンパが垂直になって破損している写真を公表した。
 だが、最終的には事故との関係性を否定する報告書がだされる可能性が高いのではないかと思われる。なぜか。車体の軽量化問題もそうだが、それに触れることは、コスト優先で突っ走ってきた現在の日本の鉄道技術全体の根本的欠陥に触れることになるからだ。それは、国鉄分割・民営化以来20年間の鉄道政策そのものや、もっと大きく言えば、市場原理主義、民営化−規制緩和という基本政策にも連なる問題である。

反復横跳びするような揺れ

 またボルスタレス台車は、次のような指摘もされていた。

 ボルスタレス台車特有の問題が、反復横跳びをするような揺れを指摘する声もある。ポイントの通過や、ロングレールではない曲線で、波長の長い揺れが発生し、しかも増幅するように感じるという意見だ。一部の揺れについてはJR東日本でも検討の俎上にあるそうだが、地上の路盤やレールの問題か、車両側の問題か明確にならない部分もあり、その都度調査しているという。(鉄道ジャーナル/2000年9月号)

 これは日々われわれ自身が経験していることである。「運転していて、ガクーンと強く横にもっていかれる」という声は、組合員からずっとあがり続けている。また組合には「乗客が将棋倒しになるほど大きく揺れる」「激しく手すり棒に叩きつけられた」という声まで寄せられている。こうした車両の揺れについては、何度も申し入れを行なっているが、会社からは、その都度「調査の結果問題はない」という回答が行なわれるだけであった。

ボルスタレス台車の特性

 ボルスタレス台車とは先にも述べたとおりボルスタ(枕ばり)をとってしまった台車ということだが、それに伴って、車体と台車の中心に回転軸があって、それを中心に台車が回転し、曲線に対応するという構造も無くなった。台車の回転は、左右のバネが横方向に歪むことで確保する仕組みだ。そのために横剛性の低い(歪みやすくした)特殊な空気バネが開発された。空気バネ自体は、以前から使用されていたが、それまでのものとは全く違う性格のものとなったと言っていい(別図3)。
 つまり、やわらかいゴム風船の上に車体が乗っていると考えればいい。駅で乗客が乗り降りするだけで車体が大きく揺れるようになったのは、誰もが知っているとおりである。ちなみにボルスタ付き台車の場合は、空気バネ自体の構造が違うというだけでなく、堅固なボルスタアンカによって、その変位を抑え込む構造となっている。
 だが、そうしたことの代償としてボルスタレス台車は、「蛇行動」(ヨーイング)が起りやすくなった。蛇行動とは、台車が振れて車輪のフランジが左右のレールに当たりながら走る状態のことを言う。
 蛇行動は、ごく低速では起きないが、ある一定のスピードで第一の不安定域に入って発生し、これを過ぎると再び安定域に入って収まる。さらに高速になると第二の不安定域に入って激しく振動し、再び安定することは無いという特性をもっているという。
 これも、普段現場からあがっている声と合致する。「同じ箇所でも激しい揺れを感じるという運転士と、そんな揺れを感じたことはないという運転士がいる。運転の仕方にもそれぞれ個性があるから、同じ箇所でも、運転士によって走る速度が違ってくる。そのせいなのか?」という声である。
 尼崎事故で「カーブに入る前に直線でいつもと違う激しい揺れを感じた」という乗客の証言も、激しい蛇行動が起きていたためだと思われる。そして、蛇行動と遠心力によって空気バネが大きな振幅を起こして横転したのではなかったのか。
 しかし、ボルスタレス台車がこうした不安定な特性をもっていることなど、現場には、転士にも検修職にも全く知らされてはいない。

極めて不安定な構造

 それを抑えるためにつけられたのが「ヨーダンパ」で、両サイドで台車を引っ張って左右に振れないようにしたのである。しかし、それは曲線での走行性を逆に犠牲するものだ。蛇行動の防止と曲線での走行性能の向上は相反する関係をもつ。
 しかし、そのヨーダンパも、例えば総武快速線を走るE217系
では、初期製造車両は取り付けられていたが、なぜかその後は取り外されている。逆に尼崎事故の207系は、始めは付けられていなかったが、スピードアップをするために後から取り付けられている。
 さらには、空気バネを制御するために、自動高さ調節弁だとか、差圧弁(左右の調節)、上下動ダンパ、左右動ストッパー、異常上昇ストッパーなどを取り付けることによって、異常な振幅を抑え込んでいるのが現実である。このように取ったり付けたりが繰り返されているということ自体、ボルスタレス台車が、基本設計上いかに不安定な構造をもつのかを示していると言わざるを得ない。
 また、左右の空気バネで支えるという構造により、台車の前後振動も起きるようになり、その解消は、牽引装置(車体を牽引するための台車−車体間の連結器。ボルスタ付き台車では、ボルスタアンカが牽引装置となっている)を台車の重心とほぼ同じ位置に置くことで図っている。ここから見えてくるのも、やはりボルスタレス台の不安定な特性である。
 一方、ボルスタレス台車は安全だと言い張る人たちは、「新幹線でも使っているが、あれだけ高速で走っても問題は起きていない」ことを理由にする。だがそれは理由にはならない。
 新幹線の場合は、国土交通省令(解釈基準)で、本線における最小曲線半径はR2500とされており、山陽新幹線以降は実質的には4000m以上を確保するよう線形が設計されている。つまり、
始めから非常に大きな回転半径の曲線しかない条件のもとで使われているのだ。だから台車も「新幹線のヨーダンパはボルスタアンカよりもがっしりしたものになっていて、ボルスタ付きにしてもいいように思えるほどである」と言われるような設計がされているのである。
(つづく)

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