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年月 日 No. |
尼崎事故
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今回の事故の責任は、安全を軽視して効率化と営利のみを追求し続けるJR西日本の経営姿勢にある |
危惧し、警鐘を鳴らし続けてきたことが、JR史上最悪の大惨事というかたちで現実となってしまった。
現時点では、必要な情報の開示があまりにも少なく、事故の真因がどこにあるのかを特定することは難しい。しかし、明らかにされているわずかな事実関係からも、今回の事故の背後には、安全を軽視して効率化と営利のみを追求し続けるJR西日本の経営姿勢があることは明らかである。
これは国鉄民営化そのものの必然的帰結だ。今回の惨事は偶発的なものでもなければ、JR西日本だけの問題でもない。
JR東日本も03年12月、国土交通省から「重大事故の発生が懸念される」とする「事業改善命令」をだされ、JR北海道にも、たび重なる事故に対し、この2月16日に北海道運輸局から指導文書がだされている。
20万人の労働者の首切りと激しい組合潰しによって強行された国鉄分割・民営化は、18年を経て「安全の崩壊」という危機的現実に行き着いたのだ。
わずか25q余りの宝塚−大阪間で、平行して走る阪急より7分も早いダイヤを設定し集客していた。無茶苦茶な過密ダイヤと時間短縮が事故の原因なのは明らか |
これだけの重大な事故を引き起こしておきながら、JR西日本の対応は不誠実極まりないものだ。明らかにされているのは、「速度オーバー」や「処分歴」など、当該運転士に一切の責任を転嫁しようとするものや、線路上の「粉砕痕」など、事故を不可抗力にすり替えようとするものばかりである。
だが、事故責任をすべて運転士におし着せ、その本質を闇から闇に葬ってしまうことだけは絶対にしてはならないことだ。
東中野駅事故にしろ、大月駅事故にしろ、この間の重大事故のすべてが「運転士の過失」のひと言で処理されてきた。JRのこのような体質そのものが安全の崩壊をもたらしたのだ。
レールの破断や枕木固定ボルトが脱落し枕木がずれる事故が多発している。JR東日本は03年12月、国土交通省から「重大事故の発生が懸念される」とする「事業改善命令」をだされている |
制限速度を超えていたことが注目されている。だが、速度超過は直ちに脱線につながるものではないし、置き石が脱線につながるなど、まず例のないことだ。問題はもっと本質的な部分にある。
JR西日本は事故前の二週間、1秒単位で遅延状況を把握するという調査を実施していたと言われている。1秒単位で遅れを報告させるなど、信じられない調査だ。
東日本でも同様だが、日常的にも些細なミスで見せしめ的に乗務停止にされ、処分、何度か続けば運転士から降ろされるという労務管理の現実が、精神的負担となって、運転士に重くのしかかっている。
そのようななかで発生したひと駅前のオーバーラン。しかも運転士は未だ11ヵ月の経験しかもっていなかった。こうしたなかで当該の運転士がどれほどパニックになったかは想像に難くない。指令はどのような対応をしていたのか、会社にとって都合のいい断片だけは伝えられるのに、なぜ無線の交信記録が明らかにされないのかも疑問である。
しかもJR西日本の場合、すでに成果主義賃金制度が導入されており、今、それをさらに改悪するかたちで、昇進試験に受からない限り基本的に一切昇給しないという賃金制度が提案されている。現場の労働者はこうしたなか団結を破壊され、かんじがらめにされている。
こうした現実に加え、組合潰しにだけに腐心するJRの異常な労務支配が職場を支配している。国鉄時代のように「安全は輸送業務の最大の使命である」とする感覚は、JRの職場からは完全に失われてしまっているのが現実である。
無理な時間短縮の結果、120q/hの直線から70q/hに一気に減速しなければならないという事故現場の過密ダイヤそのものが事故の原因だ |
「私鉄との競争に勝つ」という名目で無理なスピードアップと過密ダイヤが強制されていたことも明らかだ。
JR西日本は、わずか25q余りの宝塚−大阪間で、平行して走る阪急より7分も早いダイヤを設定し、集客していたのである。もともと福知山線はローカル線に過ぎなかった。それが87年の民営化から90年代にかけて、競争原理の名のもとに急速な過密化とスピードアップが図られたのである。
120q/hの直線から70q/hのカーブに一気に減速しなければならないという事故現場の現実そのものが、無理なスピードアップが行なわれていたことを物語っている。
保安設備の強化が置き去りにされてきたことも指摘されているとおりだ。JR東日本の中期経営計画にもうたわれているような「冷徹な優勝劣敗の市場原理」などという軽薄な認識のもとに、安全が無視され、現場の労働者をしめあげることだけが安全を担保する唯一の手段となるという歪んだ現実が今回の事故の背景にあるものだ。
経費の節減やスピードアップのための車両の軽量化が事故をより悲惨なものとしたことも間違いない。
われわれはかつて列車が無理に踏切に突っ込んだコンクリートミキサー車と激突し、われわれの組合員であった運転士の命が奪われるという忌わしい事故の経験にふまえ、何度となく軽量化車両の強度について会社に質してきた。だが、人命のかかった問題であり具体的なデータを示してほしいというわれわれの要求に対し、会社は「充分な強度は確保されている」と無責任に繰り返すだけであった。
車両の軽量化が安全にどのような影響をもたらすのかなど何ひとつ検証しないままひたすらコスト削減につき進んでいるのが現在のJRの姿である。
JR西日本は、遅延状況を把握するため1秒単位で遅れを報告させ、安全を切り捨てダイヤ優先の運行を現場に強制していた |
さらに、線路状態はどうだったのか、車両はどうだったのか、最も重要な要素について、何ひとつ情報が明らかにされていないという重大な疑問が残る。線路の保守・点検の経歴や、車両検修の経歴はコンピューター管理されており、直ちに明らかにできることである。
いま東日本では、民営化とその後の丸投げ的な業務外注化の結果、レールが破断する、枕木がずれるなどの事態が続いている。運転時分を短縮するために急加速、急減速を強いられる運転方法が導入された結果、車両検修職場では、毎日車輪の転削を行なわなければならない現実になっている。
しかも、規制緩和によって、線路や車両の検査周期や安全に関する規程などは、どんどん延伸され、緩和されているのである。
資本による利潤追求はつねに安全を脅かし続けるものである。二度と悲惨な事故を許さないために、「闘いなくして安全なし」のスローガンに込めたわれわれの原点を今一度胸に刻まなければならない。二度とこのようなことを起こさせてはならない。乗客とJRに働く労働者の生命を守るために闘いにたちあがらなければならない。それは労働者としての誇りをかけた責務でもある。
亡くなられた方々のことを思うとき、今回の事故は、警告というにはあまりに重く、とり返しようのないものだ。だが、JRの現実を考えればこれは警告である。黙っていれば、第2第3の尼崎事故が起きる。
われわれは、今春闘でも、レール破断の続発という危機的現実に対し、安全運転闘争−ストライキにたちあがった。だが、闘いはこれからである。JRの経営姿勢、社会的な競争原理の蔓延、安全の分野にまで及ぶ規制緩和を根本的に変えさせるだけの闘いが必要だ。われわれは運転保安確立に向け、新たな決意で闘いを強化する。