●安全運転闘争に突入
92年9月、またも衝撃的な事故が発生する。
以前から危険踏切として改善を要求していた成田線大菅踏切で列車とトラツクの衝突事故がおき、運転士の生命が奪われたのである。
「自らの生命は自ら守るしかない」が組合員の一致した意見であった。動労千葉は直ちに危険踏切の調査を行い、組合指令に基づく速度規制をかけ、長期にわたる踏切安全運転闘争に突入し、これを背景に危険踏切の抜本的な改善を求めてたたかいに起ちあがった。
●労働運動のあり方
動労千葉は以上のように、一つひとつの攻撃を絶対にあいまいにすることなく、ストライキを中心としかたたかいにくりかえし起ちあがってきた。だからといって直ちに要求が実現されたわけではなかった。しかしJR体制下でも、こうしたたたかいの積み重ねが当局との力関係を形成し、また自らの力でたたかいつづけた自信と確信は、どんなに厳しい差別・選別攻撃がふきあれても、職場で堂々と胸を張って闊歩できる状況を生みだした。
だからこの20年間の過程で、「ストをやっても何もとれない」というような意見はほとんどでてこなかった。これは、これまでの民同労働運動の常識からすれば考えられないことかもしれない。しかし動労千葉は、このような労働運動のあり方こそが、これからの時代に問われているのではないかと考えている。
成田線大菅踏切衝突事故
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1992年9月14日
JR東日本成田線・久住-滑河駅間の大菅踏切において、普通列車と過積載により下り坂でブレーキの利かなくなったダンプトラックが衝突。電車の運転士1名が死亡。この事故後JR東日本では113系、115系の前面強化工事(いわゆる鉄仮面化)が施された。更に運転士の救助活動に手間取った経験からこの事故後に設計された209系、E217系、E231系では事故時の運転士のサバイバルエリアを確保すると言う目的から運転室の面積を従来車に比べて大きくとられている。なお当該踏切は事故後立体交差化工事が行われ廃止されている。
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