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結成40周年にあたってC

外注化を阻止し続けた動労千葉の闘い

 シニア制度との闘い

 JR東日本における外注化攻撃は、99年12月の「シニア社員の諸制度について」提案から本格的に開始された。それ以来20年、われわれは外注化攻撃と対決し続けている。
 それは、「労使は外注化を積極的に推進する」という条項を認めてシニア協定を締結しなければ、60歳以降の再雇用を認めないという卑劣な攻撃だった。他労組はすべてシニア制度を受け入れていた。その中でこれと対決するということは、動労千葉組合員であるというだけで60歳でクビになるということを意味した。
 労働組合として「外注化=非正規職化を推進する」と表明することはできない。しかし、その闘いは決して簡単なものではなかった。
 当時、多くの組合員が定年時期を迎え、60歳以降の雇用の場の確保は切実な課題だった。しかも、4月の再雇用に関する面談開始から8月までの間、「動労千葉を抜けないと再雇用の対象にならない」と何度も通告される。5ヶ月間に渡って卑劣な脱退工作が繰り返された。
 一人ひとりの組合員には家族と生活がある。討論も厳しい内容になった。しかし、幕張支部を先頭にした必死の討論の中、33人の組合員が再雇用を拒否されても闘いぬく道を選んだ。
 その後、高齢法が改定され、「再雇用について労使協定が整わない場合、就業規則に定めること」が義務付けられた。われわれが協定締結を拒否し続けたことで、シニア協定による再雇用制度は通用しなくなった。会社は就業規則に再雇用制度を書き込まざるを得なくなり、希望者全員が再雇用されるようになった。
 われわれの闘いによって、シニア制度を5年で廃止に追い込んだ。この大きな勝利が、その後の外注化阻止闘争の出発点となった。

 12年にわたり外注化を阻止

 全員が再雇用されるようになってからも、闘いは終わらなかった。再雇用者全員が、外注化の焦点であった検修・構内業務ではなく、肉体的に厳しい清掃業務への再雇用を希望した。職場における必死の討論の中で、他労組の組合員も検修職場を希望しなかった。青年たちが中心だった東労組京葉分会が、分会として外注化反対を決議するという反乱≠煖Nこった。
 最大の力は、この過程で20数名の仲間が動労千葉への加入を決断したことだった。「外注化を認めてはならない」が職場の世論になる中、現場からどんな反乱が起こるか分からない。それが外注化を押し止める決定的な力となった。
 そうして、千葉だけは2012年10月の全面外注化強行まで12年にわたり、検修・構内業務の外注化を完全に阻止し続けたのだ。

 非正規職化・安全破壊と対決

 われわれは外注化攻撃と闘いぬく中で、その本質をつかみ取っていった。2千万人もの労働者を非正規職に突き落とす最大の武器が外注化だった。しかもその現実は、様々な職場における外注化攻撃に、労働組合が対抗できなかったことによって生み出されたものだった。
 非正規職の置かれた現実に対する闘争はあっても、非正規化の過程に対する闘いはまったくといって いいほど存在しなかった。われわれの外注化阻止闘争は、新自由主義の核心的攻撃と真正面から対決した、決定的闘いだったのだ。
 同時に、外注化は鉄道の安全を根底から破壊していった。業務をバラバラに外注化した結果、誰も列車運行全体に責任を取らない恐るべき無責任体制が生み出された。JRから徹底的に抑えられ、コスト削減を迫られる外注会社に技術継承の基盤などない。技術継承が解体される。事故が引き起こされる。安全こそ最大のアキレス腱だった。外注化阻止闘争は新自由主義攻撃下における反合・運転保安闘争の発展でもある。
 そして、外注化と真剣に闘いぬいたことがCTSでの組織拡大につながった。JR本体とグループ会社、正規職と非正規職という壁を超え、労働者が団結して進むことは困難な課題だ。それを突破する実践的な展望を示したのだ。
 現在、運転士・車掌廃止という凄まじい攻撃が提案されている。だが、外注化阻止闘争は現場からの真剣な闘いに攻撃を阻止する力があることを示した。今こそ職場から本気になって声をあげるときだ。動労千葉40年の闘争の歴史を糧に、新たな闘いに全力でたちあがろう。

動労千葉結成40周年記念レセプション
日時:4月7日(日)12時30分
場所:千葉市 ホテルプラザ菜の花
外房線・本千葉駅 徒歩3分 モノレール「県庁前」駅横

組織拡大! 闘う労働 組合を歴史の最前線に登場させよう!

 
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