核をなくせ!原発をなくせ!
福島の怒りとともに
被ばく68周年 8・9長崎
8月9日に先立ち8日午後より、あの元福島大学学長ヤマシタが逃げ帰った長崎大学へ糾弾行動そして、九州電力長崎支社へ原発再稼動阻止の申し入れ行動をおこなった。
9日当日は、早朝より爆心地公園において原爆朝鮮人犠牲者追悼式典に参列し、午前10時に城栄公園に結集し「8・9安倍首相平和式典出席弾劾」のデモに長崎平和公園にむけて出発。「フクシマ返せ」「原発いらない」のシュプレヒコールをたたきつけた。
原爆投下時間の午前11時2分、式典のため「来長」している安倍にたいして「安倍は長崎から出て行け!」「すべての原発廃炉!」と、満腔の怒りで糾弾した。
全原発廃炉へ決意
午後、県勤労福祉会館において「すべての原発いますぐなくそう!全国会議ナガサキ(N A Z E N ナガサキ)主催で「被ばく68周年8・9長崎集会」が開催され全原発の廃炉、再稼動阻止への思いを新たにした。
集会では、福島から椎名千恵子さんが「福島の怒りと共にこの夏に行動できた事がうれしい。安倍は福島の事があったにもかかわらず原発を輸出しようとしている。こいつらに未来を預けたわけではない。 福島の闘いの答えのひとつが『診療所』である。子どもたち、そして被爆労働者も来ています。
内部被爆の線引き分断と闘い、診療所そして保養と、子どもたちの命を守る2つを拓いていく闘いを担っていきたい。」と決意を述べた。
長崎原爆被爆者の城臺美弥子さんが被爆直後、二十日ほど県外に避難した経験を紹介。「今、元気なのは、長崎を離れることで放射能被害を受けなかったからだろう」と述べた。その上で、福島第1原発事故被害について放射能被害について「放射能は見えない。今は何も感じなくてもやがて大変なことになる。被爆の記憶を生かすため、経験を伝え続けたい」と決意を述べた。
その後、N
A Z E N ナガサキの呼びかけで、7月22日〜26日に長崎の高島で行われた福島の子どもたちの保養のビデオが上映され、保養に参加した長崎の仲間の発言。
「僕たちは被ばく者ですか」高校生の若者は言いました。「食物は何でも食べている。側溝は線量が高い。屋根は除染していない。先生は運動場でサッカーをしていいと言った。」彼の今の環境です。ほんとうに安全なのかわからないまま、国の方針通りの生活をしているのがわかりました。
「僕は被ばく者なのか」彼は、今後何十年も自問自答して生きていくのでしょうか。『長崎の鐘」に「こよなく晴れた青空を悲しいと思う切なさよ」とありますが、私が若いころ、この歌詞のように、きれいな青空を見ても心の底からきれいだと思えない時期がありました。彼も同じ気持ちにならないかと心配です。高島のきれいな自然を見て、本当に心の底からきれいだと思ってくれるのでしょうか。
「僕は被ばく者ですか」と意識しない環境で、彼らが生活できないのが腹立たしく思います。
心に突き刺さる発言だった。
次に被爆列車運行強制拒否で闘っている「動労水戸」の辻川副委員長、全国呼びかけ人の鈴木達夫弁護士、国労闘争団の羽広憲さん、学生が、発言。
N A Z E N ナガサキ橋里事務局長が「すべての原発を廃炉にし、福島と共に生きる。労働者の団結こそがそれを実現する力だ。」とまとめた。
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