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大竹哲治副委員長−韓国・済州島を訪問
「4・3抗戦精神継承全国労働者大会」に参加

民主労総ソウル本部から招待され、4月1日〜5日まで訪韓
民主労総の労働者と連帯を深めるとともに、動労千葉の存在と闘いを訴えてきました   


4月3日の「済州4・3民衆抗戦精神継承全国労働者大会」。雨の中、熱気のある集会となった。

 民主労総ソウル本部より、「4・3抗戦精神継承全国労働者大会」に招待され、韓国・済州島に行ってきました。
 4月2日、済州島道庁前に集合し、いくつかのコースに分かれて、遺跡地巡礼に参加してきました。
 訪韓の前に少しばかり勉強して行きましたが、現地での説明には驚かされました。 「済州4・3事件」とは、1947年3月1日の警察の発砲事件を契機として、警察や西北青年団による弾圧への抵抗と、単独選挙・単独政府への反対を旗印として、1948年4月3日、南労党済州道党が武装蜂起して以来、1954年9月21日に漢拏山(ハルラサン)禁足地域が全面開放されるまで済州道で発生した済州道党と討伐隊の武力衝突と、その間の討伐隊による鎮圧の過程で数多くの住民が犠牲となった事件です。


済州道地域本部長(左から3人目)と共に。 「労組弾圧、公務員首切り反対」の横幕

老若男女300名の虐殺は、惨いの一言!
 私が参加した巡礼コースは、山登りが有り、身を隠した「洞窟」入口や北村里(ブクチョンリ)のブンスンイ(犠牲になったこどもの名前)4・3記念館見学、海岸沿線道路のウォーキング等、充実した行動となりました。
 特に北村里の住民大虐殺は、1949年1月17日、村にいた無抵抗の老若男女三百余名が虐殺されたというもので、本当に惨いの一言に尽きるものでした。
 その後、前夜集会に参加するためにバスで移動。会場は野原で、芝生に座りローソクを各自持ちながらの集会でした。歌や踊りもある中、海軍基地反対を訴える現地の労働者のあとに、動労千葉を代表して発言することができ、東日本大震災に対する動労千葉の取り組みなどを紹介しました。

労働現場の弾圧をはね返し、闘うことが訴えられる!

 4月3日の「済州4・3民衆抗戦精神継承全国労働者大会」は、朝から生憎の雨の中、13時より済州市庁前で開催されました。済州島の労働者の闘争現場からの訴え、民主労総委員長の発言、民主労働党、進歩新党の発言があり、済州4・3抗戦の今日における意義は、海軍基地反対、営利病院建設による医療の崩壊を阻止し、労働現場での弾圧をはね返すことだの訴えが行われました。
 集会では、犠牲者を追悼する儀式も披露され、その後、市内をデモ行進しました。
 初めて、済州島に行って思ったことは石が多いこと、市街を離れると、畑などの境には必ず石が高さ1m位まで積まれていました。松の木、桜の木も多く、花見もあるとのことです。
 また、太平洋戦争末期には米軍の上陸を阻止するために6万人余の日本軍の兵士が駐屯する戦略的な基地だったとのことです。最後に、二度とこのような事は繰り返してはならないと心に誓いました。今回の訪韓闘争では、民主労総済州地域本部の組合員をはじめ、これまで直接会ったことのない労働者と話す機会も多くあり、動労千葉の存在と闘いを訴えることができました。韓国民主労総の労働者との連帯を深める上でも大変有意義な闘争でした。


済州4・3犠牲者北村里忠魂慰霊碑」を訪れた参加者とともに。 (4月2日)
大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
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