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階級的労働運動の復権めぐり熱い討議
訪米報告@ 国際労働者会議(サンフランシスコ)

野外で行われたゼネスト75周年記念集会(上)とデモに参加。各国代表とともに横断幕を持つ。(7/5)
上 ゼネストで警官に撃たれた現場
下 ハイアリングホールでの昼食
来日したことのある仲間たちが次々と声をかけてきた。シャンクリン夫妻(上)。ケナード・ウィルソン氏と(下)
国際会議を始め、数多くのミーティングが行われた
シンディ・シーハンさん
デモの先頭に立つILWUのドリル・チーム

 7月2日から6日にかけ、ILWUローカル10、34などの呼びかけにより、サンフランシスコ国際労働者会議が開催され、田中委員長、君塚副委員長、支援する会・山本事務局長らが参加した。会議には、アメリカ、日本、韓国、トルコ、ブラジル、フィリピン、イタリアという7ヵ国から左派の労組活動家が参加し、大恐慌情勢もとで、階級的労働運動をいかに復権するのか、熱い討論が行われた。

国際会議の発端

 ことの発端は、昨年の11月集会の時のILWUの仲間からの提起であった。それは、「金融大恐慌が始まり、世界中で労働者が無慈悲に首を切られている。しかも既成の労働組合の幹部たちはどんどん屈服を深めている。腐った労働組合官僚と対決し、社会主義を目指す階級的な労働運動の柱を打ち立てたい。その土台をつくる出発点となるような国際会議をサンフランシスコゼネスト75周年を記念し、継承する事業の一環として開きたい」という提起であった。

サンフランシスコゼネストとは

 1934年のサンフランシスコゼネストは、1929年の株価大暴落をきっかけに始まった大恐慌下、ストライキに立ち上がった港湾労働者への大弾圧・2名の組合員の射殺という事態に対し、サンフランシスコ全体の労働者がストに立ち上がり、勝利した歴史的闘いだ。ILWUはこの闘いのなかで、御用組合から袂を分かって結成された。現在の金融大恐慌情勢との関係で、まさに今こそその経験と教訓を甦らせなければいけない闘いだ。特にサンフランシスコゼネストが画期的なのは、75年がたつ今もILWUという労働組合の中にその精神が脈々と生きていることにある。その闘いを記念して、階級的な労働運動の国際的な団結をつくりだそうという試みは決定的な意味をもつものであった。

ゼネスト記念集会とデモ

 全体の中心となる企画は、7月5日に開かれたゼネスト75周年記念集会とデモだった。ILWUの組合員を中心に、1200名余りの労働者が結集し、かつて激戦の地となった波止場を、二つの棺を先頭に行進する。到着点はゼネストで勝ち取った組合が管理する雇用事務所(ハイアリングホール)で、そこには、千数百名分の食事が用意してあり、家族や子供たちも集まって大パーティーとなった。ILWUの組合員は、労働者がもつ力のものすごい可能性を感じる本当に誇り高い組合員たちだ。胸を張り胸中にバッヂをつけて行進する。
 しかしわれわれと同じ問題に突き当たっている。デモが終わってハイアリングホールで次から次へ仲間たちが寄ってきて抱き合いながら訴えてきたのは、「こんな結集では全く不十分だ。本当はサンフランシスコ中の労働者が集まらなければいけない」「ILWUも現場の闘いが弱くなっている」「俺たちの賃金は3割も下がってる。今の執行部はそういう現実に闘えていない」と。大恐慌下、輸出入が激減しているのだ。しかしそこに感じたのは、そう訴えてくる現場の労働者の力を信じて闘う明確な路線や方針が打ちたてられれば間違いなく爆発的な力を発揮するということであった。

7ヵ国代表が熱烈討議

 こうした取り組みをはさみながら、その前後数日間にわたり、様々なかたちをとって討議が行なわれた。いくつかの発言をここに紹介する(全体像は、別途パンフレットを発行します)。

ブラジル/CONLUTAS(コンルータス・全国闘争連盟)代表・銀行労組
 コンルータスは、2003年に公務員部門の労働者の40日間のストライキを支援するために結成され、04年3月には、181の労組団体の代表を結集して全国会議を開催、5月には529労組・団体の代表2729名が集まって大会を開催し、文字通り全国組織になった。われわれは労資協調主義に陥っているナショナルセンターの譲歩政策に反対し、国内・国際的な団結こそが、労働者の職と権利を守るという立場で闘っている。労働組合は労働者が社会を運営する仕方を学ぶ学校だ。組合を運営できれば、社会と世界を運営できるようになる。万国の労働者、団結せよ!」

トルコ/DISK(ディスク・進歩的労組連盟)代表・医療労組書記長
 ディスクは1967年に設立され、一時は組織労働者の40%を傘下におさめた。1970年代、政府の組織解体攻撃を20万人のストライキ、デモではね返し、この運動のあと学生や他の階層の人々も加入することになり、これまでの組合運動から社会主義と革命をめざす運動として飛躍をとげた。そこに襲いかかったのが1980年の軍事クーデター。全指導者が逮捕、拷問、軍事法廷で5年の懲役、すべての組合財産を接収されるという攻撃を受け、12年間活動停止を余儀なくされた。しかし1992年に活動を再開。われわれは労働組合指導者として社会主義者だ。組合とは賃金闘争のために存在しているという考え方には全面的に反対だ。私たちは組合を、労働者階級が経済闘争と政治闘争を展開する一つの重要な場だと考えている。

フィリピン/フィリピン航空労組委員長・フィリピン労働党副議長
 フィリピン労働党の党員は10万人。問題は、労働者が国際的な団結の組織をもっていないことだ。労働者の組織と称するものは、みんな帝国主義、企業の利益を代表するもので、労働者を代表するものではない。労働者政党と称している連中も、われわれを除いてみんなそうだ。JR総連は政府から金を受けとっている。われわれの分裂組織にとりいって、フィリピンに民営化を持ち込もうとしている。JR総連は〃ドロボー〃だ。

アメリカ/シンディー・シーハン(イラク戦争で息子を失ったことをきっかけに立ち上がり、アメリカでは「反戦の母」と呼ばれている)
 私は言いたい。労働組合が民主党支持という政策から手を切らないかぎり、そしてランク&ファイルの労働者が立ち上がらないかぎり、何も変わらない。問題は階級闘争だ。搾取する階級と搾取される階級の問題なのだ。搾取する階級をやっつけよう! いんちきな連中を叩きのめせ!

 何よりも驚いたのは、多くの代表が、われわれと全く同じ理念と方向性をもって、労働運動の現状を打破するための苦闘を続けていることであった。ブラジル・コンルータス代表の闘いは、われわれがこの間、労組交流センターを結成し、11月集会を呼びかけて追求してきたことそのものだし、トルコの労働者の苦闘は、民主労総の闘いと完全に通ずるものだ。そして参加者全員が胸を張って、社会主義を語り労働者の党が必要だと訴える。また、動労千葉の分離・独立が79年、トルコ・ディスクが闘いを再開したのが92年、民主労総の結成が95年、ブラジル・コンルータスの結成が03年であることに示されるように、今国際会議参加者の多くが、新自由主義攻撃の渦中で、新たな闘いを開始していることも共通している。時代は巨大な規模で動きはじめているのだ。(続く)

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
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