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金融大恐慌情勢の到来
第17回全支部活動者研修会(1・25〜26鴨川市)で行われた講演「金融大恐慌情勢の到来─資本主義の終わりの始まり」(島崎光晴講師)を要約しました。(文責編集部)詳しくは、田中委員長講演とともに結成30周年記念号に掲載します。 世界に衝撃的に伝えられた昨年9月15日のリーマンブラザーズ破綻からわずか数ヶ月で世界経済は未曽有の金融危機に直面し、一挙に金融大恐慌情勢に突入した。 史上空前の米バブル経済 06年にこのバブルが崩壊し、住宅価格が頭打ちになり、ローンの借り増しができなくなり、返済の焦げ付きから住宅の差押えが急増。07年夏から金融危機に突入した。証券化商品を誰がいくら持っているかわからず、疑心暗鬼で資金融通ができず、世界的な信用収縮が起きたためだ。そして、08年7月にはバブルの中枢であった米住宅公社2社が経営危機に陥り、9月のリーマン破綻へと至る。全世界で銀行間取引がほぼ停止するという29年恐慌を上回る世界金融恐慌に突入した。次々と大手銀行、金融会社などが破綻し、ここから果てしない公的資金の投入が始まった。これもわずか3ヶ月で総額7千億ドルの枠の半分を使い切ってしまっている。まさに「バケツの水漏れを直さずに水を注ぐ」ようなものだ。 29年を上回るあとのない大恐慌に 住宅ローンの借り増しで自動車を買うというスタイルが崩壊し、GM、クライスラーなど米自動車企業が破綻、また小売り売上高も戦後初の減少と実体経済も急降下している。貸し渋りでローンを組むこともできず、80年代以降の「借金して過剰消費」というあり方が逆転し、借金地獄となっている。アメリカの個人消費は国内GDPの6割、世界のGDPの2割を占める。それが崩壊し始めているのだ。恐慌とは生産物が過剰になり(生産能力が過剰)、資本が儲けられなくなって(資本の過剰)、急激な生産低下に陥ることだ。それが金融恐慌を引き金にして起き、これからそれがもっと本格化しようとしている。 新自由主義の破産、もう何もない 29年恐慌のときには、ニューディール政策をとり、また全国労働関係法や社会保障法などを設置し、資本家政府が企業に「生活給」の支払いを要求するなど、労働者の闘いが革命へと向かうのを押し止めることに全力があげられた。この方策が第2次世界大戦後、各帝国主義国でも採用され、国家が経済に介入する国家独占資本主義政策がとられた。しかし、戦後高度成長が終わると、このあり方が財政破綻等を引きおこし、弊害となった。そこで一変して新自由主義政策へと180度転換する。80年代以来のこの攻撃は、労働者の権利を奪い取り、民営化・規制緩和、労組破壊、社会保障の解体を柱とし、世界中に超格差社会を出現させた。貧富の格差は人類史上最大となった。資本家と労働者の対立は資本主義史上、最も鋭角的となった。 30年代アメリカの教訓 29年恐慌の翌年から、猛然と労働者は闘いを開始した。100万人「飢餓行進」、失業者のデモ、ストライキが激化し、34年には3大ゼネストと呼ばれるサンフランシスコの港湾労働者のスト(後のILWUを形成する)、ミネアポリスのトラック運転手のスト、トレドの自動車部品労働者のストが闘われた。16の州で軍隊が出動し40名の死者も出ている。全国に労働組合が次々とつくられ、35年にはCIO(産業別組織委員会)が結成された。しかし、AFL(アメリカ労働総同盟)とCIOとの統一を通して、労働組合の体制内へのとりこみ攻撃が激化していく。日本において連合が果たした役割とまさに同じだ。大恐慌情勢に対して、体制内指導部との対決がいかに決定的であるかということを30年代アメリカ労働運動の教訓が教えている。 |
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大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
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