青年に訴えるG いすみ支部長 照岡 清一
「自分だけ良ければいいや」なんて通用しない
自分が鉄道に入った頃
自分が鉄道に入った頃はどこの職場に行っても高校の先輩がいてね、新小岩機関区から勝浦運転区に来たんだけど、新小岩が青年部の運動の中心だったから、この野郎新小岩から来たんなら組合役員になれって、そのまま青年部長になったのが組合運動をやるようになった始まり。その頃「マル生」(生産性向上運動。国鉄当局による露骨な組合破壊攻撃)があったんだよ。勝浦でも組合を集団脱退するって動きがあった。それで、俺の親父より上の連中が血判状をつくって、これに名前書いてはんこ押せって、そんなことがあった。当時執行部にいた水野さんが先頭になって「マル生」に反対していて、「マル生」って何なのかってことを初めて聞いて、ふざけんじゃねぇよ。俺らがやることじゃないって思ったね。
それが組合運動を始めるきっかけだった。そういう中で世の中のことを色々教えてもらった。俺が19〜21才の頃だけど、あの頃、「マル生」だとか、安保だとか、佐藤訪米阻止だとか、沖縄奪還とか、色々なことがあって、そういう闘いの中でだんだん、世の中のことがわかってきた。そのままずっときている感じだね。
一歩踏み出してほしい
先輩はすごい面倒も見てくれたし、何かあれば待っていてくれてメシごちそうしてくれたり、飲ましてくれたり。青年部の仲間もいっぱいいたしね。すごい楽しかったね。だけど今は、会社のためとか、自分のためだけって考えになっている感じがするね。
鴨川運輸区にいたときも、若いやつらはかわいそうだったよ。もの言えないんだもん。俺と話してると、組合の役員や当局が来て俺らの後ろを何回も往復していく。ただ冗談話をしているだけでだよ。俺はそいつらとけっこうメシ食いに行ったりしたもんだけど、でも5年しかいなかったから、それ以上交流はなかった。
でも俺と関登喜雄がいすみ鉄道に転勤になるときは送別会をやってくれた。
東労組の役員や当局から一歩離れれば普通の青年なんだよ。俺なんかに「先輩、先輩」っていっていろんなこと聞きに来る。だけどそこに組合の役員や当局がいると一歩引いて自分の保身というか、自分を守っちゃうんだよね。そういうところから一歩踏み出してほしいよね。若いのだけで固まっちゃってると、職場だって、東労組とか会社側の考えに偏っちゃうよね。
なぜこんなに一生懸命やるのか
平成採から見れば、動労千葉の組合員は自分の親父より上のいいおじさんだけどさ、なんでこのおじさんたちがこんなにまだ抵抗しているのかってところを見てほしいよな。俺らはまだバリバリだよね。自分の親父ぐらいのが、まだあんなに動き回って、色気があって、飲み気があって、遊び心があってさ、何でも一生懸命でしょ。仕事だって一生懸命やるしね。憲法9条を守ろうとか、弱者を守ろうとかみんな一生懸命しゃかりきになってやってるじゃん。それを言いたいよな。訴えたい。
「自分だけ良ければいいや」なんて考えじゃ通用しない。世の中もそうだし、会社だっていつまでもこのままであるわけないんだから。
俺みたいな親父の年の人間が助役だとかにならないで頑張ってきたから今の職場がある。結局団結できないってことは仲間を蹴落として自分だけ良ければいいってことになる。
現実を見つめてほしい
今若い連中が東労組にいるのは、始めから選択肢がないような形でそういう流れにされてきたってことが大きいけれど、結局、当局に媚び売って自分だけは何とかうまい道をすすみたい、出世したいってことでしょ。だけど、これまでの組合と当局のそういう時代はもう終わっているんだよ。しかも、偉くなるといったって100人が100人助役になれるわけないんだから、そういうのを勘違いしてる。
今の若い連中はまだ甘い考え持っている。情報が行き渡っていないし、外のことを知らないよね。ネットカフェ難民なんて出ているのに、その中で自分は大丈夫なんてありえない。もっと現実を見つめてほしい。自分のせがれみたいなのに、「正義とは何か」とか伝えていくのは難しいけど、俺なんかも、もっと労働者の生き様みたいなことを教えなくちゃいけない。動労千葉って組合はすごいよ。若い人も動労千葉に結集してほしいよね。 |