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館山運転区・木更津支区廃止絶対反対闘争勝利の教訓 |
我々は勝利した。新たな闘いへ!館山運転区前にて |
今回の闘いの本当の勝利は、この9ヵ月間の闘いを通して、両支部の組合員が一糸乱れぬ団結を発揮し、ものすごい飛躍をかちとったことだ。そしてそのもとに動労千葉全体の団結がこれまでになく強まったことだ。動労千葉は、この闘いを通して、一皮むけてさらに強くなったのである。
この闘いの勝利は、ちょうど同じ時期に、他労組の組合員には、メチャクチャな配転攻撃が吹き荒れたことと対比して見れば鮮明である。何の前ぶれもなしに、突然、車掌がバタバタと駅に配転されるというこれまでなかったような不当配転が強行されたのである。また、館山・木更津廃止と同じ日に津田沼車掌区も廃止されている。国労の拠点職場である。だが、国労は反対の声をあげることもできなかった。これでは組合員の中には、労働組合への絶望感しか残らなくなるのはあたり前のことだ。
新生木更津支部ではすでに新たな闘いが始まっている。徹底した労務管理を敷こうとした木更津運輸区では、それを食い破る職場からの闘いが連日闘われている。組合員が倍化した鴨川支部でも同じである。
われわれは、この勝利をステップに、組織拡大を軸とした新たな闘いに立ち上がる。第57回定期委員会の成功をかちとろう。
重大な組織破壊攻撃
職場と闘いの拠点を奪う基地廃止攻撃は、言うまでもなく最大の団結破壊攻撃だ。われわれは、昨年7月6日の廃止提案を、JR発足以来最大の組織破壊攻撃であると受けとめて直ちに闘争体制を確立した。
これまでも基地廃止攻撃は、動労千葉潰しのために何度となく企てられてきた。国鉄分割・民営化攻撃の過程で、成田運転区が潰され、業務移管攻撃というかたちをとって津田沼・千葉両運転区への拠点潰し攻撃がかけられた。JR発足後も佐倉機関区、勝浦運転区を潰され、新小岩機関区も現在は運転士10名余りの「派出」に縮小された。いずれも動労千葉が圧倒的多数を占める拠点職場であった。これだけの拠点を潰されて団結を守りぬいていること自身、労働運動の歴史から見れば奇跡的なことである。
館山運転区は、分割・民営化攻撃との闘いの渦中で、笹生さん、塩崎さんという二人の仲間を不当解雇されながら、まさに血を流して守りぬいてきた職場だ。木更津支部が最も激しい攻撃を受けたのはJR発足直後であった。徹底した職場規律攻撃がかけられ、執行部のほとんどが不当配転された。こうした攻撃の上に、動労千葉が今も過半数を占めるこの二つの拠点職場を潰すというのだ。まさにひとつ間違えば動労千葉の団結が解体されかねない攻撃であった。
「絶対反対」を貫いて
3・18木更津 |
木更津両支部では、直ちに意志統一が行なわれた。「職場が奪われるというのは重大な攻撃だ。そこで働く者の団結と生活の基盤を全て破壊するということだ。簡単にくつがえるものではないことも皆分かっているとおりだ。だからこそ、最後の日まで絶対反対の立場で闘いぬくことだけが、この攻撃をはね返し、団結を守りぬく唯一の道だ。会社の狙いは始めからはっきりしている。バラバラに配転して団結を潰すことだ。だからどんなことがあろうと絶対に団結を崩さずに闘いぬく。この一点で心の底から一致できなかったら当局につけこまれていいように配転される。とにかくやれることは全てやり尽くして闘おう」。
また、支部執行部のなかでは、「当局の脱退工作なども当然起こるし、様々な局面で組合員の気持ちが揺れ動くのは当然のことだ。基地廃止絶対反対を貫くと同時に、執行部が組合員と徹底的に討議して、組合員がどんな思いでいるか把握し、組合員の思いを具体的に実現しなければならない。これは矛盾することかもしれないけれど、この二つを同時に実現できなかったら勝負にならない」という議論が繰り返し行なわれた。そして9ヵ月間にわたる闘いの全過程で、両支部執行部は本当に飛躍し、その先頭にたちきった。そして組合員はそのもとに団結した。それが館山運転区、木更津支区廃止反対闘争の土台となったのである。
地域の怒りの声を組織
9・24館山地域集会 |
7月20日には、廃止阻止に向けた総決起集会を開催し、両支部を先頭に内房線沿線の自治体などに一斉にオルグをかけようという方針を確認した。それは、廃止提案が内房線(とくに君津以南)のさらなる列車削減・切り捨てを意味するものでもあったからである。
また、この方針の背景には、尼崎事故やレール破断の多発に対する安全運転闘争に寄せられた無数の激励の声、支援する会の仲間たちを中心として連日のように行なわれた駅頭街宣での驚くほどの反応があった。この間の闘いのなかで、今の社会の在り方に対する我慢のならない怒りの声が渦巻いていること、われわれの闘いが確実に時代と響きはじめていることを実感をもってつかみとっていたことが非常に大きかった。
8月の炎天下、「夏の陣」と銘打って行なわれた取り組みは、富津市、鋸南町、館山市、南房総市をはじめ、各地の観光協会、旅館組合、商工会議所、地元新聞社、市議会議員、福祉協議会(元地区労)等数十箇所に及んだ。
地域オルグの反応は予想以上のものだった。この間の競争原理路線−「三位一体改革」等のなかで切り捨てられようとしている地域の怒りの声・危機感が、このオルグをきっかけとして一気に吹き出したのである。
それと、内房線は前年のダイ改で昼間帯の特急列車が全て廃止されたこともあり、より激しかったのはJRへの憤りの声であった。今回の館山運転区廃止も、特急列車の廃止も、JRは地元には何の説明もないというのだ。また、日常的に様々な要請を行なっても、その対応は不誠実極まりないものだというのである。
房日新聞という地元の新聞社は一面トップで館山運転区廃止についての動労千葉の主張を報道し、多くの訪問箇所で、怨嗟(えんさ)の声をわれわれにぶつけるだけでなく、「私たちは何をすればいいでしょうか」と、積極的に動きたいという反応が返ってきた。
転機となった地域集会
そしてそれが9・24館山地域集会の呼びかけとなり、館山市議会での「館山運転区の廃止・移転計画反対決議」の採択となった。
館山地域集会は、館山市長、南房総市長、鋸南町長(助役代理出席)、館山観光協会会長、館山商工会議所会頭、多くの市議会議員、地域の労働組合などが参加する、文字通り地域総決起の画期的な集会となり、館山市議会への請願書には、動労千葉館山支部とともに、商工会議所、観光協会、旅館組合が名前を連ねた。
集会は、保守系の市長までが「公共性の非常に高い部分を民営化するのが本当にいいことだったのか、今にしてしっかり考えなければいけない。これは地域の切り捨てにつながっていく。それがまさに今全国的に発生している」と訴え、観光協会会長は「乗車人員が少ないからと切り捨てるなどとんでもない話だ。われわれはこのままではとても食っていけない」と訴えるなど、民営化反対・JR弾劾集会となった。
「格差社会」の矛盾は、若者と高齢者、そして地域に集中的に表れている。しかし、「これほどのものなのか」と、われわれ自身がまだ敏感になりきれていなかったことも痛感させられた。時代は本当に激変している。階級的な労働組合が軸になれば、どこからでも大反乱が起きる状況であることが、今回の基地廃止反対闘争のなかからも見えてきたのである。
千葉支社の異常な対応
JR千葉支社は、集会直前に地元の関係団体を回り「動労千葉と一緒に反対運動をするのか」などと恫喝して、集会を破壊しようとしたが、それが逆にさらなる怒りをかった。当日は支社課員がサングラスをかけ、陰に隠れて集会参加者をチェックし、集会後には「この集会等での発言は、お客さまの信頼をいたずらに損ね、当社の信頼を失墜させる意図をうかがわせる行為だ」として、抗議と発言の撤回を求める申し入れをもってくるなど、9・24集会に対するJRの対応は尋常ではなかった。
この集会の成功が本当に大きな転機となった。それまでは、厳しい攻撃の前に、組合員のなかに、重さやあきらめの思いがあったのも事実であった。しかし、地域集会の成功で、職場の雰囲気はガラッと変わった。何よりも組合員の顔つきが自信に満ちたものとなった。われわれの側に圧倒的な正義性があり、JRには何ひとつ理がないことを理屈だけでなく、肌身で感じることができたのである。
幕張構内事故闘争の勝利
また、ちょうど同じ時期に、幕張構内事故闘争の勝利をかちとったことも大きかった。4月6日の事故発生以来、「懲戒解雇だ」と叫びたてたJR当局とストライキを構えて真正面から対決し、その後幕張支部にかけられた本社をあげた職場規律攻撃も完全にはね返して、「問題は管理体制の側にありました」と言わせるところまで追い込んで、電車区構内へのATSの設置も約束させたのである。
9月30日にだされた処分は、「出勤停止15日」という不当なものだった。しかしこの事故の直前に、運転台で携帯電話を使ったというだけで東労組組合員が解雇されるという状況のなかで、組合員はこれを「最高の勝利」だと受けとめたのである。それが9・24地域集会の成功と一体となって、館山・木更津廃止反対闘争も徹底的に闘おうという団結をつくりだした。
処分の翌日から開催された第35回定期大会では、館山支部から本部執行部を補充するなど、改めて断固として闘いを強化する方針が満場一致で確認され、11・5労働者集会への総力結集体制の確立と、館山・木更津廃止反対闘争への全組合員の総決起を当面する二大方針として、3月ダイ改に向けた新たな闘いが開始された。 また、11月に開かれた館山・木更津両支部大会でも、執行体制を強化するなど、万全の闘争体制が確立された。
つづく