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民主労総労働者大会に参加して
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韓国労働者大会・前夜集会に結集した2万人の韓国労働者を前に登壇した動労千葉派遣団
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11月13日に開催された民主労総全国労働者大会に、田中委員長をはじめ、動労から13名が参加した。また訪韓団には、11月労働者集会をともに闘った全国の労働者も参加し、総勢90名あまりの代表団となった。
この労働者大会は、1970年に勤労基準法(日本の労基法)を無視した劣悪な労働条件の強制に抗議自決したチョンテイル烈士の精神継承を掲げ、毎年命日である11月13日の前後の日曜日に全国から労働者が結集し開催される。また今年は、民主労総結成10周年の記念すべき労働者大会でもあった。今年の大会課題は、ノムヒョン政権による労働者へのすさまじい非正規職化攻撃の撤廃を求めてゼネスト方針を確立すること、そして、戦争と貧困をもたらすAPEC(アジア太平洋経済協力会議)反対だ。
「動労千葉は国鉄分割・民営化と多くの解雇者を出しながらもストライキで闘いぬいてきた。全世界の労働者の中で最も闘う民主労総のように日本の労働者も闘う」日本の労働者を代表して決意を表明する動労千葉田中委員長 |
訪韓団は11月12日夕方、ソウル仁川空港に到着し、民主労総ソウル本部の出迎えを受けて、直接大会前夜祭の会場である漢江河川敷へ行き、前夜祭に参加した。到着すると会場は多くの労働者でうめ尽くされており、その舞台はさながらコンサート会場のような雰囲気で、大音量の音響設備と舞台を映し出す左右の大スクリーンにいきなり度胆をぬかされた。この前夜祭は19時に始まり24時頃まで行なわれたが、映像上映から始まり、演説に歌や演劇をまじえた構成で集まった労働者を飽きさせず、その熱気は底冷えするソウルの夜をも熱くするものだった。
90名の訪韓団は、民主労総から破格の対応で迎えられ、前夜祭の壇上に全員が登壇。代表して田中委員長があいさつに起ち、『労働者が直面している状況は、韓国も日本も同じだ。民営化と非正規職撤廃に向けて、日本の労働運動が闘う労働組合を再生するために決意を新たにする』と発言して大きな拍手を受けた。さらに『鉄の労働者の歌によって律動を披露し、一人ひとりが民主労総の闘いに連帯して闘う決意を新たにした。
労働者大会には、日本からJR総連などの労働組合も以前から参加している。にも係わらず、民主労総が日本の労働者代表として選んでくれたのは動労千葉代表団であった。JR総連は資本の手先と、なることによって得ている潤沢な資金を持って、大勢の組合員を送り込んでいるにも係わらず、御用組合であることを見ぬかれ、まったく相手にされない。われわれは確信した。日本では「過激派」と呼ばれ、様々な場面で敬遠されてきた動労千乗の闘いが、海外ではこれはどまでに正当に評価されていると言うことに。
時間が経つにつれ、会場はさらに労働者たちでうめ尽くされた。おそらく1万人はいるだろう。会場の周りには屋台が立ち並び、テントが張り巡らされ、全国から集まった労働者たちが、酒を交わしながら交流を深め、明日の大会へ向けて決意を固め、英気を養っていた。遠く全国から集まった労働者たちは、ここでテントや寝袋を使って夜を明かすそうだ。
ソウルでの再開を喜ぶコジョンファン民主労総ソウル地域本部長と田中動労千葉委員長 |
労働者大会に参加した動労千葉の部隊とコジョンファン民主労総ソウル地域本部長 |
13日、大会当日は、本大会の前に13時から4ケ所で産別ごとの事前決意大会が開催された。われわれは、非正規職の労働者たちで組織されている一般労組の集会に参加。田中委員長があいさつを行い、「街」の仲間たちが歌を披露した。15時過ぎに事前決意大会を終了し、行進で本大会会場に移動した。会場と言ってもそこは光化門通りと言う6車線の大通りだ。大型クレーンで通りをぷさいで演壇を造り、集会が行なわれる。使用申請を出しても許可されないから占拠するのだと言う。まさに力でもぎ取ったのだ。会場に到着すると、ものすごい数の労働者が通りに溢れていた。ソウル本部の案内で一旦腰をおろすも、何度か移動し、結局演壇の一番前を確保してくれた。本来ならば、このような位置にいることはありえないことだ。しかし周囲の労働者たちは、温かくわれわれを迎えてくれた。昨日といい今日といい、破格の扱いだ。
ここでもJR総連は、集会の最前列に翻る動輪旗を見てさぞかし地団駄を踏んだことだろう。彼らは会場でビラをまいていたが、ハングルで書かれたそのピラには、『日本の労働運動はなぜだめになったのか』などとぬけぬけと書いてある。『ふざけるな!お前らがだめにしたんじゃないか』と、つい口から言葉がもれた。路面に散乱するビラは枯葉にまじり、多くの労働者によって踏みつけられていた。
16時から始まった本大会には5万人の労働者が結集し、光化門通りは人の波で埋め尽くされた。あまりの数に最後尾も見えない。発言者の多くは途中途中に『トゥジエン(闘争)』と言って拳をあげる。発言の最後には必ず『非正規職撤廃!トウジエン、決死トゥジエン』と会場から声があがる。ものすごい連帯感にわれわれも一緒になって声をあげ、拳をあげた。 大会は最後に、12月1日よりゼネストに突入することを高らかに宣言して閉会した。
大会終了後、ソウル地域本部は、大変な闘いの渦中にも係わらず、11月集会で日本を訪れた方々を始め、主だった執行部が総出で盛大な交流会を催してくださった。案内されて店に着くと、そこには刺身や寿司なども並び、ちょっとした高級店だ。普段なら使わないであろう店だと容易に想像できた。われわれのために心尽くしの歓迎会を準備してくれたのである。言葉の壁はあるものの、和気あいあいのうちに、心の底から一体になることができた交流会であった。その後、ソウル本部の同志たちと共に2次会・3次会へと繰りだしソウルの夜も更けていった。
チョンテイル烈士の墓前で
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14日、帰路にたつ前にわれわれは、ソウル本部の会館を訪問し、御礼のあいさつを行なった。その後ソウル本部の方々の案内でチョンテイル烈士や、昨年の来日後に亡くなられたパクサンユン前事務処長などの墓参りにモラン公園に赴いた。そこには闘いの渦中で若くして亡くなられた多くの同志たちが祭られていた。彼らに黙祷を捧げ、遺志を継ぐことを心に誓いながら霊園を後にした。
コジョンフアン本部長を始めとした多くの同志に見送られるなか、名残惜しくも仁川空港を後にした。本当に3日間お世話になりました。日本に着いても、何度も聞いた韓国の労働歌『鉄の労働者』を、口ずさむ。♪ミンジュノジョ キッパラレ ワソモヨ ムンチセ(民主労組旗の下集まり団結しよう)……。それと同時に右の拳を上げる自分がいた。