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年月 日 No. |
排外主義、国家主義―戦争の扇動を許すな
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気がついてみると、自分の住んでいる世界、自分の国と国民は、かつて自分が生まれた世界とは似ても似つかないものとなっている。色々な形はそのままあるんです。家々も、店も、仕事も、食事時間も、訪問客も、映画も、休日も、……
。けれども精神はすっかり変わっている。にもかかわらずそれに気がつかない。いまや自分が住んでいるのは憎悪と恐怖の世界だ。しかし、憎悪し恐怖する国民は、自分が憎悪し恐怖していることさえ知らないのです。誰も彼もが変わっていく場合はには誰も変わっていないのです。
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中国や韓国では激しい怒りの声が爆発し、日本大使館や日本企業への抗議闘争が連日闘われ、小泉政権は「謝罪せよ、賠償せよ」と、居丈高に中国政府に闘いの鎮圧を要求している。
野党やマスコミも一斉にそれに唱和し、批判はタブーとなり、排外主義が時代の精神になろうとしている。
問題は極めて具体的に提起されているにも係わらず、事態の本質は隠ぺいされ、「反日暴徒を黙認する中国政府」にすべての問題があるかのような卑劣なすり替えが繰り返し喧伝されている。
だが、日本に対するアジアの民衆の憎悪は、日本が2千万のアジアの民衆を虐殺した侵略の歴史を深刻に反省し、その責任を明らかにすることなく天皇制を護持し、日米安保−軍事同盟体制のもとで帝国主義的経済発展を行なってきたことによるものだ。そして今また、日本が軍事大国として、アジア−世界に凶暴な牙をむき出そうとしていることによるものだ。
中国や韓国の民衆が求め、そして強く抗議しているのは、第1に日本が再び軍事大国としてアジア−世界に君臨しようという目的をもって国連常任理事国入りを求めていることに対してであり、第2に歴史を歪曲し戦争を美化する「つくる会」教科書の検定合格に対してであり、第3に中国領、韓国領である釣魚台(「尖閣列島」)独島(「竹島」)の略奪行為に対してであり、第4に挑発的に繰返される小泉の靖国公式参拝に対してである。
さらにその背景には、有事立法の制定や日米安保体制を飛躍的強化し、憲法改悪を強行して「陸海空軍その他戦力は、これを保持しない」「国の交戦権はこれを認めない」と定めた第9条を潰そうとする動きが具体化していることへの危機感と根底的な怒りがある。
日本政府は、昨年12月の新防衛計画大綱と今年2月の日米安保協では、中国を名ざしして、中国危機と台湾有事を想定した戦争準備を行なうことを宣言しているのである。
「東アジア自由経済圏の形成」を主張する日本経団連の動きはさらに危険なものだ。そのために政府が優先的に取り組むべき基本問題の第1は安全保障であり、第2に憲法改正であり、第3は国の統治システムの変更であるという要求を掲げ、小泉政権を突き上げている。「東アジア自由経済圏」は軍事力を背景にして形成する以外ないものだということを隠そうともしていない。
闘いにたちあがる中国、韓国の労働者・民衆と、日本政府のどちらに道理があり、正義があるかは明らかだ。
例えば、かつて日本政府も中国(清国)領と認識していた釣魚台を「日本領」としたのは1895年、日清戦争の渦中のことであり、韓国領と認識していた独島を「日本領」としたのは1905年、日露戦争の渦中であった。日清戦争、日露戦争は、日本がアジアにおける軍事大国−帝国主義として世界に凶暴な鎧をまとって登場する歴史的事件であった。そのわずか5年後には韓国を併合したのである。この歴史ひとつ見ても明らかなとおり、それは略奪以外の何ものでもなかった。
日本では今、歴史そのものが、触れてはいけないタブーになろうとしている。だが、墨で書かれた虚言は血で書かれた真実を隠すことはできない。われわれは「長い舌(ウソ)と短い記憶」こそが、ファシズムの特徴であること、そして「愛国心はならず者の最後の砦」であることを忘れてはならない。
中国や韓国の労働者・民衆の闘いは、新たな抗日運動である。
かつて韓国の労働者・民衆は日本帝国主義の支配下で「3・1独立運動」に決起し、中国では、山東半島の権益返還を要求して歴史的な「5・4運動」が闘われた。この闘いが反帝国主義・民族解放闘争の出発点となったのである。
だが、日本の労働者階級は、この中国・朝鮮人民の闘いに連帯して、日本帝国主義の侵略戦争を阻止することができなかった。その結果が日中全面戦争から太平洋戦争への破滅の道だったのである。
いまこそ岐路だ。われわれは歴史を学びながら「いつだったら戦争を防ぐことができたのか」「どうしたら戦争を防ぐことができたのか」と繰り返し問い続けてきた。それが今なのだ。
実際アメリカは北朝鮮をめぐる6ヵ国協議について「もはやわれわれは我慢の限界だ」「次のステップに移る」と主張しはじめている。そし日本ではそれを「仕方のないこと」として受け入れていく風潮が蔓延しはじめている。
今、労働運動にとって最も危険なことは、戦争とそれに向うあらゆる反動への挙国一致がつくりあげられようとしていることにある。断固としてこれにたち向わなければならない。
中国政府に対する小泉政権の卑劣な恫喝は、闘いに起ちあがる中国の労働者・民衆に向けられた攻撃であるだけでなく、日本の労働者に向けられた刃でもあることを見すえなければならない。そして、中国や韓国人民の闘いは、日本の労働者階級への必死の連帯の呼びかけでもある。
またその怒りの声は、苛烈な労働運動弾圧を続ける韓国ノムヒョン政権や、膨大な労働者・農民に苛酷な貧困と抑圧を強制する中国フーチンタオ政権に向うことも不可避である。
現在の危機的情勢は、つねにアジアにおける抑圧者の位置にあり続けた日本の労働者階級に大きな課題を投げかけている。国家の論理にとり込まれ、連帯すべき同志を見失ったとき、われわれは労働者階級であることを自ら否定し、再び戦争の加担者になる。問われているのは日本の労働者自身の闘いだ。新たな抗日闘争にたちあがる中国、韓国人民の要求を支持し、戦争につき進む小泉政権を打倒するために、韓国政府や中国政府の圧制と闘う中国、韓国人民と連帯して全力で闘いを組織しなければならない。
現在攻撃は、教育問題に最大の焦点があてられている。われわれは「戦争は学校から始まる」ことを改めて肝に命じなければならない。「教育」「報道」「労働組合」が潰されたとき、戦争は現実のものとなる。
その意味で、東京での「日の丸・君が代」強制反対の闘いは決定的な意味をもつものだ。
東京の教育労働者たちは、石原による激しい弾圧に抗し、再び不起立・不斉唱の闘いに決起した。全国の労働者が東京を孤立させない闘いにたち上がっている。この闘いは「日の丸・君が代」闘争を階級闘争の焦点におしあげ、世論を二分し、都労連や都高教を揺るがして、教育基本法−憲法改悪阻止への鮮明な展望を指し示している。
夏に向けて「つくる会」教科書の各地方教育委員会での採択をめぐる攻防が今後の大きな焦点となる。
また、憲法改悪をめぐる攻撃のもうひとつの焦点は、日教組30万、自治労100万を改憲勢力に突き落とすことにすえられている。日教組、自治労本部が屈服を深めるなかで、7月の日教組大会、8月の自治労大会は、改憲と労働運動の未来をめぐる重大な攻防点になろうとしている。
こうした事態と一体で、労働者の正当な要求が利己的なものとされ、あらゆる権利が破壊されようとしている。
民営化の大攻撃が労働者を襲い、弱肉強食の市場原理と「自己責任」の論理が社会の隅々まで貫徹される一方、企業には労働者をくい殺す自由が与えられている。闘う労働組合や、少しでも政府の意向に沿わない報道には「反日的」のレッテルが貼られている。
全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部への弾圧に見られるように、闘う労働組合への治安弾圧攻撃が激化し、ビラまきというささやかな行為が相次いで逮捕−弾圧の対象とされている。
われわれは歴史の巨大な分岐点にたっている。全世界の労働者が同じ攻撃にさらされている。世界の労働者の団結した闘いこそが、戦争の危機を止め、労働者の生きる権利を守り、社会を変革する力である。今何よりも求められていることは、闘うアジア人民と連帯し、戦争と民営化の大攻撃を阻止するために、日本における労働運動の惨たんたる現状を変革することだ。われわれは新たな闘いにたちあがる。