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「鉄建公団訴訟」第1回公判始まる(3/11)
高石さんが堂々の意見陳述

 3月11日、東京地裁で、動労千葉鉄建公団訴訟の第一回公判が行なわれた。公判には、国労鉄建公団訴訟の酒井団長や佐久間事務局長をはじめ、国労闘争団の仲間たちも駆けつけて下さり、50名余りが結集した。

 裁判では、弁護団を代表して浅野弁護士と佐藤弁護士が、この訴訟の意味、争点について意見を陳述。とくに佐藤弁護士は、国鉄再建管理委員会の委員でもあった亀井正夫や住田正二らが、当初から、自らの利権確保をからめ、動労千葉を敵視する発言を繰り返していたことを暴露した。
 一方、被告側代理人は「国労事件以上に訴えの根拠はない」と、ひと言延べたきり、あとは憮然とした表情のままであった。
 続いて、9名の原告を代表して高石さんが、次のとおり堂々と意見陳述。いよいよ新たな闘いが幕を切って落とした。
 またこの日は、公判終了後、春闘総行動の一貫として、中労委に対する抗議が取り組まれた。

冒頭意見陳述
高石 正博

 私たち9名は理由を告げられることもなくJRへの採用を拒否された。後に地労委のなかで明らかにされたのは、2回のストライキで停職処分を受けていることが理由であった。このストライキでは28名の仲間が不当解雇されたが一審でも13名について解雇権の濫用という判決がだされ、二審では「全員の解雇撤回」という内容で和解が成立している。解雇が撤回されているということは、私たちに対する停職処分も不当であったことを物語っている。しかも不採用は二重処分に他ならない。
 しかも本州は定員割れであり、差別的意図は明らかだ。
 国鉄分割・民営化が国家的不当労働行為であったことは後日の中曽根首相の発言にも明らかである。
 さらに、清算事業団に送られてからも、「雇用対策」など何も行なわれなかっただけでなく、清算事業団の内部会議で「動労千葉は放っておけ」という意志統一がされていたことが明らかになっている。
 以上のとおり、JRへの採用差別、90年4月1日の清算事業団からの解雇が明白な差別意志のもとになされたことは明らかであり直ちに撤回されなければならない。

1047名の団結の下
3・7集会開かれる

 3月7日、国労鉄建公団訴訟が結審し、9月15日に判決が指定された。当日「つかむぞ勝利判決! 3・7裁判結審総決起集会」が、東京・日本教育会館において開催され、またその前段では、動労千葉争議団、国労原告団、全動労争議団共同の鉄建公団 (現鉄道運輸支援機構)に対する申し入れ行動も行なわれた。

三争議団が団結

 集会は、第一部の冒頭、国鉄闘争共闘会議・二瓶議長が登壇し、「3年間、人間を取り戻す闘いを展開し、共闘団体などの拡大を勝ちとって、鉄建公団-JRも私たちの闘いを無視できない地平を獲得した。全動労、動労千葉、そして国労第二訴訟団と、当初の目的である一○四七名の統一戦線ができた。当事者同士の連携を強めていきたい。裁判闘争は有利に進んでいる。大衆行動などあらゆる手を使って、JR−政府を追いつめよう。国鉄闘争勝利から日本労働運動の再生を勝ちとろう」と主催者あいさつが行なわれた。
 つづいて各地からの闘いの報告が行なわれ「闘いの基本原則、法廷闘争、大衆行動の三つの柱を闘い抜いていく」ことが確認された。

新たな出発点に

 第二部では、佐藤昭夫弁護団長が「判決日は9月15日となった。弁論で被告側は、国会審議を尽くし、法に基づいて設置された設立委員会が行なったことが正しいのは明らか。分割・民営化に反対した者が採用されないのは当たり前という論理を展開してきたが、その国会審議そのものが偽りであったことは、憲法改悪攻撃の発端をつくった中曽根首相自身のことばで明確であり、その中での差別であった。中曽根を証人にすることが出来なかったことは残念だった。
一方、1047名が団結して進む陣型ができたのに、それを妨害する勢力がいる。ぜひこれを打ち破ってもらいたい」とあいさつ。続いて加藤主任弁護士から「この裁判は1047名の解雇撤回というだけでなく、労働委員会を守れるかどうかの訴訟だった。被告側は各人がなぜ不採用となったのか、個別立証を全くせず、弁論ではどの争点においても敵を圧倒した」と、@鉄建公団訴訟の意義、A争点、B5月と言われていた判決が9月に延びた意味について、裁判報告が行なわれた。

三争議団が決意

 集会の最後には、原告団・家族が全員登壇し、三闘争団・争議団を代表して、国労原告団の酒井団長が「今日を新たな闘いの出発点として、足元を固め、採用差別を受けた全員が最後の勝利まで頑張りたい」と決意表明。東京清掃労組の星野委員長が「1047名の団結で今日の結審を迎え、勝利的に闘いが進んでいる」と、新たな決意を表明した。

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
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