1万6千人の人間の鎖で普天間基地を包囲
5・16〜17沖縄闘争報告
新小岩支部 佐藤 正和
1972年5月15日の沖縄・「返還」から32年。5月16・17日、中野顧問、本部執行委員の関道利君、特執の後藤俊哉君、そして自分の四名で沖縄現地闘争に参加しました。
8時15分に羽田を発、10時半頃那覇空港着。やはり暑い!顧問は「ちょうどいいや」! 迎えの仲間の車で最初の行動である普天間基地包囲行動に向う。近くの公園で昼メシ、沖縄の弁当はうまい。自分は大好き!「一杯やりてぇなー」。
普天間基地包囲・「人間の鎖」は1万6千人で基地を包囲し大成功。翌日の琉球新報はじめ地元紙はこの事が一面トップだ。本土とはえれえ違いだ。「基地の島・沖縄」の現実が迫る。その後、「平和とくらしを守る県民大会」の会場である宜野湾市海浜公園へ。JR総連のド真中を、動輪旗を押したてて集会に参加。「胸がスーッとする」。
夜。今行動のメインともいえる「5・16全国青年労働者交流集会inOKINAWA」へ。「青年?」とは言い難い自分も、呼びかけ人の一人として開会あいさつ。みんな明るい、本当に元気な集会だ。知花昌一さんと中野顧問の講演は、青年を限りなく鼓舞激励し、闘う青年に未来を託す、気迫のこもった講演だ。交流会では「オリオンビール」で乾杯! グラスがどんどん空になる。泡盛もいける。3時まで付き合ってくれた皆さん、ありがとうございました。
翌日。顧問と関君は栄一さんの葬式のため、朝一で千葉に向う。自分と後藤さんは現地行動を継続。ゆっくり泣きてぇところだが「ちゃんとキメねぇと、頭(かしら・中村書記長)に叱られらぁ」。
「安保が見える丘」から嘉手納基地を見る。読谷村「ゾウの檻」、そして「チビチリガマ」。「生きて虜囚の辱めをうけず」―沖縄戦で85人の住民が「集団自決」、うち47人が子供。
皇民化教育と軍隊による強制。とつとつと静かな中にも、怒りをこめて知花さんが語る。これが、イラク・パレスチナにつながる現代世界の「現実」。帝国主義(とスターリン主義)によってどれだけの民衆が、子供が死んだのか。「必ず、仇をとってやる!」。
今行動の最後に、オジーやオバーが体を張って海兵隊のヘリポート基地建設に反対し、防衛施設庁のボーリング調査開始を阻み続けている、名護市・辺野古の座り込みに合流。ここは、ウミガメとジュゴンが一緒にやってくるきれいな海だ。
ヨッシー&ジュゴンの家・「命の海」を紹介します(CD「戦争イブ」絶賛発売中!)。
♪ 命の海を子や孫達に 残さなければそれだけのために 命をかけて闘っている おじいやおばあ達・・・ ヤマトの人達考えてくれ 何もいらない平和な島を 返しておくれ豊かな島に 基地なんていらないよ・・・ 戦やならん 戦やならん 戦やならん 戦やならん 受け止めようおばあの言葉 基地は作らせちゃならんよ ♪ 本当だぜ!
沖縄では青年達が先頭に起って闘いを牽引している。そこに今回、本土の闘う青年労働者が合流した。純粋で、献身的な姿(それに、たくましい!)を見て、心が洗われる。かけがえのない、大切な妹や弟がたくさん出来たみたいだ。感動をありがとう!もらったおみやげは「希望」「未来」、なによりも「闘魂」。
沖縄と動労千葉の闘いは一心同体。よっしゃぁー、闘って、闘って、闘いぬくぞー。
沖縄に行かせてくれた動労千葉に深い感謝を込めて、報告を終わります。(PS、11月、楽しみにしています。)
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