驚くべき責任放棄、安全感覚の崩壊
安全の崩壊をくい止めろ!
「『信頼』回復のために」という、社長からの手紙が全社員の自宅に郵送され、現場では「ふざけるな!」と怒りの声が上がっている。実際この手紙は無責任、責任逃れの極みというべきものだ。
何という経営姿勢
中央線や京浜東北線での作業ミスによる輸送の大混乱など、相次ぐ事故に対して、運輸省はJR東日本に初めての立ち入り検査に入った。大塚社長は、「組織の深部に問題があった」と謝罪している。
だが、この手紙はこれらの事故がなぜ起きのか、どこに根本的な原因があったのか等、企業の責任で明確にすべき問題点については、ただのひと言も触れていない。書かれているのは「親切な対応ができるいるか」「指差喚呼ができているか」「基本ルールは守っているか」等々、あまりに御粗末なお題目の羅列にすぎない。
企業としての自らの責任は一切明らかにしないまま、現場で働く労働者に対してこんなことを並べたてるという感覚そのものが、もはや安全不感症としか言いようがない。
実はこの手紙は社員に向けて出されたのではなく、国土交通省向けに、「こんなに努力しています」という形を見せるために出されたのだ。そうとしか考えられない。だが安全は、表面だけをとりつくろおうとしたときにまさに崩壊する。
根本原因は外注化
中央線や京浜東北線の事故については、あのサンケイ新聞ですら次のように報じている。
(JR東日本は)2年前、鉄道事業の社員を一気に4千人近く減らす荒療治を実施したが、これは関連会社に大量の社員を出向させたために実現できた。
社員を関連会社に出し、工事も関連会社に回す。この結果、JR本体が手がける工事は、敷設された線路のメンテナンス業務や脱線事故の処理などにとどまり、新しい線路の敷設や線路切り替え工事などの日常的な工事は関連会社に丸投げされている。………出向者増に伴い、工事受注量も増えた。関連会社は自らの経営合理化を図るために子会社を設立する。この例に漏れず、東鉄工業も15年前には2社しかなかった子会社を徐々に増やし、今では7社になった。………JRと関連会社の間で、工事の責任の所在やお互いの管理体制はあいまいになり、JRの関連会社への指導が徹底できていたかどうかは疑わしい。………今回の相次ぐお粗末なトラブルは「利益追及」と「安全確保」のバランスが崩れたことを如実に示している。
今回の事故が、2001年に強行された設備業務の全面的な外注化によって引き起こされたことは間違いないと考えられる。
驚くべき現実!
だが、実際の現実はこれだけではない。実は、保線作業にあたっていた関連会社社員5名が触車して死亡した1999年の山手貨物線事故の後、JR東日本はその「対策」として、「保安打合せ票」をを改訂し、作業安全上の注意事項欄や、保安要員や作業員の人数を記載欄から外しているのである。その結果、JR自身が発注した作業が何名の作業員で行なわれているのか現場に行かなければ分からない事態が生まれたという。
驚くべきことに、JR東日本の文書には次のような記載がある。
保安打合せは施工に関する打合せではなく、あくまで保安に関する打合せである。従って工事の施工にまつわる作業安全上の注意事項は不要でありこの欄を削除する。また、発注者として作業安全上の注意喚起(アドバイス)を行なうのは差し支えないが、障害事故に対する注意や安全管理に関する内容について、指示もしくはそれに近い行為があった場合は、その行為自体が施工管理と見なされ、当社(JR)が特定元方事業者恐れがでてくるため、当社は作業安全上の注意事項は記入しないこととする。
何ということか、5名の労働者を死に追いやった責任を深刻に受けとめるどころか、左記のような、元請け−孫請けの関係のなかで、自らに責任が及ぶことから逃れるために「作業を発注する元請け会社に対して障害事故や安全管理に関する指示をしてはならない」と徹底しているのである。何という安全感覚の崩壊、社会的責任の放棄か!
外注化を中止せよ
マスコミも「利益追及と安全確保」のバランスが崩れた」と指摘するとおりの事態がJRで進んでいる。業務の全面的な外注化こそがその最たるものだ。規制緩和−民営化が嵐のように進められる状況のなかで「安全の崩壊」が全社会的大問題として噴き出している。今こそ運転保安闘争を強化しよう。
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