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2002年団結旗開き

組織をあげた闘いに起とう!

 2002年団結旗開きが、1月12日、DC会館において、組合員・家族、多くの支援の仲間150名が集い開催され、昨年末にかけられた組織破壊攻撃に対してスト体制の中での旗開きであり、統一要求すらかかげない連合と失業率6%台とも言われる中での02春闘情勢に抗し、動労千葉ここにありを示すものとして戦闘宣言を発する旗開きとなった。
 旗開きは、冒頭、登壇した本部・田中委員長が挨拶を行い(要旨別掲)、続いて来賓挨拶では、三里塚芝山連合空港反対同盟・北原事務局長が、「2002年の幕開けは今日から始まった。長い年月を労働者の皆さんと共に反対同盟は、労農連帯の旗の下に闘ってきた。動労千葉はここまで頑張ってきて、日本の国内においては労働者を牽引する組織としてここまで成長した。これは反対同盟としても喜ばしいかぎりであり、動労千葉の果たす役割はより一層大きなものがあると考えている。今年の5月のW杯−政府・公団は無用の長物的存在の平行滑走路の開港を強行しようとしている。同盟は99年11月から2年間にわたる臨戦体制をとり連日の闘いを続けている。空港の軍事利用−悲惨な戦争への道をなんとしても阻止するために反戦の砦として共に歩んでいきたい。開港阻止へ向けて、3月31日、4月14日には現地集会を開催していく」と車の両輪の絆の強さを訴えた。
 続いて、勤労者住宅協会・豊臣さん、新社会党千葉県本部・長南書記長、動労千葉顧問弁護団・遠藤弁護士、清井弁護士、家族会・佐藤会長の各位より御挨拶をいただいた。
 旗開きは、まさに戦闘宣言を発する場として、田中委員長、家族会・佐藤会長により鏡開きを行い、続いてJR当局による不当な強制配転攻撃を粉砕する決意を繁沢副委員長、長田組織部長、幕張支部・大木さんが行い、全体が検修・構内外注化攻撃粉砕へ向けて全力で闘うことを胸に刻んだ。
 第2部では、動労水戸、都政を革新する会、婦人民主クラブ、千葉交流センター、動労千葉を支援する会各位の方々より御あいさつを受け、旅客支部を代表して、外注化攻撃と対決する拠点の幕張支部・山田支部長、千葉運転区支部・椿支部長、貨物支部から千葉機関区支部・的場支部長が挨拶、動労千葉議員団からは中江船橋市議、水野勝浦市議が動労千葉の存在感を訴えた。
 インターナショナルが満場を揺るがし、労働運動の原点とは何かの道を示した2002年団結旗開きとなった。


(本部・田中委員長挨拶要旨)
労働者が胸を張って進んでいける労働運動を突き進んで行く!
 昨年十月の第30回定期大会で、中野前委員長の後を引継ぎ委員長に就任した。労働者をとりまく状況は厳しいが、労働組合は何のために存在しているのか、胸を張って生きていける運動を作っていきたい。嵐の中だからこそこの事がつきつけられている。昨日日経連が総会を開催し経営側の意思を示した。そこでは賃金か雇用かの選択をしている状況ではない。企業が生き残ることだけという論理であり、整理解雇は当然、ベースアップなどとんでもないという中身だ。こうした状況だからこそ労働組合がどう役割を果たしていくのか、改めて思うのは労働者は社会の主人公だということであり、労働組合本来の役割を復活させる、否定すべき現状を打開する年としなければならない。
 2002年年頭にあたって、一言で言えば戦後の歴史を画する年となる。9・11の事件を契機として一変した。9・11を通して資本主義体制の積もり積もった矛盾が表面化した。テロ根絶の名の下に侵略戦争へと進んでいる。参戦3法案の強行成立、通常国会では有事立法の上程まで出てきた。民主国家といわれてきた日本の体制が決壊した。心してかからなければならない。労働者は戦争を止める力を持っている。大失業を止める力を持っている。世界をみれば怒りは臨界点にたっている。いたるところで闘いが起こっている。日本の労働者もその一翼を担わなければならない。
 1047名闘争は、昨年末、解雇撤回闘争を切り捨てていく部分が分裂組織をつくるという事態が出てきた。組織攻防戦の只中に入ったといえる。われわれは原点を守り、真っ正面から闘いに進んでいく。
 働く者にとってJRの情勢も一変した。業務の外注化ー強制出向はJR始まって以来の大合理化だ。副委員長、組織部長に対する強制配転攻撃によって、本格的な検修での攻防戦に入った。これは団結を解体するという当局からの宣戦布告だ。第二の分割・民営化攻撃の開始に対し直ちに闘争体制を構築する。更なる組織破壊攻撃があった場合には何時如何なる時にもストライキに立ち上がる。そしてもう一度我々は春闘の再構築を築きたい。この中にこそ私たちの未来がひらける。培ってきた団結、お互いの信頼をもとに出発したい。動労千葉は労働組合のこういう理想を求め突き進まなければならない。