No. 号外


小泉首相の靖国神社参拝を弾劾する!

 昨日、小泉首相は、国内はもとより朝鮮、中国−アジアの人々の激しい批判と抗議の声を無視し、靖国神社への参拝を強行した。
 われわれは満腔の怒りをこめてこの歴史的暴挙を弾劾し、憲法改悪と戦争への国家改造攻撃につき進む小泉超反動政権を打倒するために全力で起ちあがることを宣言する。
 そもそも靖国神社とは、明治以来、天皇制−国家神道のもとへの国民統合政策の頂点に位置づけられてきた施設である。とくに日本帝国主義がアジア−太平洋戦争につき進む過程で果たした役割は、軍事施設そのものであった。
 しかも靖国神社は一九七八年には、東条英機をはじめとしたA級戦犯を「国難に殉じた最高の軍神」として合祀している。これはいうまでもなく、かつての侵略戦争を全面肯定するものだ。それ自体が断じて許されざることであり、かつ国際的には絶対に通用しようのない行為である。小泉はそこに首相としての公式参拝を強行したのだ。

 第二次大戦争は、まぎれもなく帝国主義による侵略戦争であり、帝国主義国どうしの強盗戦争であった。日本帝国主義はアジア−太平洋戦争の過程で、二千万人をこすアジアの人々を虐殺し、また三百万人をこす日本の労働者人民を犠牲にした。
 日本の労働者の多くが、なぜ戦争への道を阻止するために闘うことができず、加担者となってしまったのか。戦後もなぜ天皇を頂点とした支配者たちの戦争責任を自らの手で追及することができていないのか。われわれに問われているのは、こうした過去と現在を真正面から見すえることである。

 小泉は「尊い命を犠牲にして日本のために闘った戦没者たちに敬意と感謝の念を捧げるのは当然のことだ」と繰り返した。われわれはこのようなペテン師の論理を断じて認めることはできない。
 小泉首相は、沖縄、広島、長崎の平和式典に相次いで出席し、そのしめくくりとして靖国参拝を行うことをもって、A級戦犯と、沖縄戦や原爆の犠牲者を同一視して「英霊」にまつりあげようとしている。その狙いは明白だ。
 ポツダム宣言の受諾−無条件降伏と戦争への反省を起点とし、「平和と民主主義」を基本的な理念とした戦後日本のあり方や国際関係を根本から覆そうとしているのである。
 小泉政権は、資本主義体制の破局的危機の突破をかけて「聖域なき構造改革」を叫び、一切の犠牲を労働者に強いつつ戦争のできる国への国家改造にのりだしている。多くの労働者が抱く時代への閉塞感を逆手にとって、愛国主義、国家主義、民族排外主義をあおり、国家体制の反動的な転換を図ろうとしているのだ。

 小泉政権は「教育改革」や「司法改革」をもって、戦後教育や司法制度を覆し、教育労働者の闘いや人権の砦としての日弁連を解体し、憲法改悪につき進もうとしている。今秋の国会ではPKFの凍結解除をはじめ、有事法制の提出−立法化が画策されている。有事立法は、財政、産業、交通、人的資源など一切合財を国家の管理・統制下において、戦争に総動員するための法律であり、戦後憲法体制を全面的に転覆する以外に成立しない攻撃である。
 こうした攻撃はその土台において、「国のために命をささげる」というイデオロギーに労働者を屈服させることなしには貫徹し得ないものだ。だから小泉は靖国公式参拝に固執し、強行したのだ。
 さらには、「つくる会」教科書をめぐる事態に見られるように、こうした攻撃と気脈を通じつつ、社会のなかに潜んでいた最も反動的な部分が一斉に頭をもち上げはじめている。

 こうした反動に対する新たな闘いが開始されている。「つくる会」教科書の採択に対しては、全国各地で反対闘争が燃え上がり、公立の市区町村では完全にこれを阻止した。
 明らかな日本帝国主義の復活に対し、アジア各地で激しい怒りの抗議闘争が燎原の炎のように燃えひろがっている。
 われわれは、朝鮮−中国−アジアの人々の怒りの決起に固く連帯し、改憲阻止、小泉超反動政権打倒に向けた今秋闘争に全力で起ちあがらになければならない。われわれは改めて小泉首相の靖国参拝に強く抗議し、その最先頭で闘うことをここに決意する。

2001年8月14日
国鉄千葉動力車労働組合