DC通信No.109 07/06/25
館山運転区・木更津支区廃止反対闘争勝利の教訓
DC通信目次 

館山運転区・木更津支区廃止絶対反対闘争勝利の教訓
●第57回定期員会に向けて

3・18木更津

われわれは勝利した!

 われわれは、館山運転区、木更津支区廃止攻撃との9ヵ月間にわたる闘いを貫徹し勝利した。またその後の勝浦市議選でも組合員の団結力を遺憾なく発揮し、水野さんの8位当選という大きな勝利をかちとった。
 ストライキの最中、解散大会を開催し新たな闘いに立ち上がることを誓って、館山運転区前で撮影した支部全員の記念写真が全てを物語っていた。全員の顔が自信と確信に満ち、笑っていた。もちろんわれわれは、血を流して守りぬいてきた館山運転区と、千葉運転区木更津支区が廃止されたことの悔しさを忘れない。しかし、組合員の希望をほぼ完全なかたちで実現した闘いを、館山支部の組合員は「今度の闘いは奇跡だったよね」と言った。
 今回の闘いの本当の勝利は、この9ヵ月間の闘いを通して、両支部の組合員が一糸乱れぬ団結を発揮し、ものすごい飛躍をかちとったことだ。そしてそのもとに動労千葉全体の団結がこれまでになく強まったことだ。動労千葉は、この闘いを通して、一皮むけてさらに強くなったのである。
 この闘いの勝利は、ちょうど同じ時期に、他労組の組合員には、メチャクチャな配転攻撃が吹き荒れたことと対比して見れば鮮明である。何の前ぶれもなしに、突然、車掌がバタバタと駅に配転されるというこれまでなかったような不当配転が強行されたのである。また、館山・木更津廃止と同じ日に津田沼車掌区も廃止されている。国労の拠点職場である。だが、国労は反対の声をあげることもできなかった。これでは組合員の中には、労働組合への絶望感しか残らなくなるのはあたり前のことだ。
 新生木更津支部ではすでに新たな闘いが始まっている。徹底した労務管理を敷こうとした木更津運輸区では、それを食い破る職場からの闘いが連日闘われている。組合員が倍化した鴨川支部でも同じである。
 われわれは、この勝利をステップに、組織拡大を軸とした新たな闘いに立ち上がる。第57回定期委員会の成功をかちとろう。

重大な組織破壊攻撃

 職場と闘いの拠点を奪う基地廃止攻撃は、言うまでもなく最大の団結破壊攻撃だ。われわれは、昨年7月6日の廃止提案を、JR発足以来最大の組織破壊攻撃であると受けとめて直ちに闘争体制を確立した。
 これまでも基地廃止攻撃は、動労千葉潰しのために何度となく企てられてきた。国鉄分割・民営化攻撃の過程で、成田運転区が潰され、業務移管攻撃というかたちをとって津田沼・千葉両運転区への拠点潰し攻撃がかけられた。JR発足後も佐倉機関区、勝浦運転区を潰され、新小岩機関区も現在は運転士10名余りの「派出」に縮小された。いずれも動労千葉が圧倒的多数を占める拠点職場であった。これだけの拠点を潰されて団結を守りぬいていること自身、労働運動の歴史から見れば奇跡的なことである。
 館山運転区は、分割・民営化攻撃との闘いの渦中で、笹生さん、塩崎さんという二人の仲間を不当解雇されながら、まさに血を流して守りぬいてきた職場だ。木更津支部が最も激しい攻撃を受けたのはJR発足直後であった。徹底した職場規律攻撃がかけられ、執行部のほとんどが不当配転された。こうした攻撃の上に、動労千葉が今も過半数を占めるこの二つの拠点職場を潰すというのだ。まさにひとつ間違えば動労千葉の団結が解体されかねない攻撃であった。

「絶対反対」を貫いて

 木更津両支部では、直ちに意志統一が行なわれた。「職場が奪われるというのは重大な攻撃だ。そこで働く者の団結と生活の基盤を全て破壊するということだ。簡単にくつがえるものではないことも皆分かっているとおりだ。だからこそ、最後の日まで絶対反対の立場で闘いぬくことだけが、この攻撃をはね返し、団結を守りぬく唯一の道だ。会社の狙いは始めからはっきりしている。バラバラに配転して団結を潰すことだ。だからどんなことがあろうと絶対に団結を崩さずに闘いぬく。この一点で心の底から一致できなかったら当局につけこまれていいように配転される。とにかくやれることは全てやり尽くして闘おう」。
 また、支部執行部のなかでは、「当局の脱退工作なども当然起こるし、様々な局面で組合員の気持ちが揺れ動くのは当然のことだ。基地廃止絶対反対を貫くと同時に、執行部が組合員と徹底的に討議して、組合員がどんな思いでいるか把握し、組合員の思いを具体的に実現しなければならない。これは矛盾することかもしれないけれど、この二つを同時に実現できなかったら勝負にならない」という議論が繰り返し行なわれた。そして9ヵ月間にわたる闘いの全過程で、両支部執行部は本当に飛躍し、その先頭にたちきった。そして組合員はそのもとに団結した。それが館山運転区、木更津支区廃止反対闘争の土台となったのである。

地域の怒りの声を組織

 7月20日には、廃止阻止に向けた総決起集会を開催し、両支部を先頭に内房線沿線の自治体などに一斉にオルグをかけようという方針を確認した。それは、廃止提案が内房線(とくに君津以南)のさらなる列車削減・切り捨てを意味するものでもあったからである。
 また、この方針の背景には、尼崎事故やレール破断の多発に対する安全運転闘争に寄せられた無数の激励の声、支援する会の仲間たちを中心として連日のように行なわれた駅頭街宣での驚くほどの反応があった。この間の闘いのなかで、今の社会の在り方に対する我慢のならない怒りの声が渦巻いていること、われわれの闘いが確実に時代と響きはじめていることを実感をもってつかみとっていたことが非常に大きかった。
 8月の炎天下、「夏の陣」と銘打って行なわれた取り組みは、富津市、鋸南町、館山市、南房総市をはじめ、各地の観光協会、旅館組合、商工会議所、地元新聞社、市議会議員、福祉協議会(元地区労)等数十箇所に及んだ。
 地域オルグの反応は予想以上のものだった。この間の競争原理路線−「三位一体改革」等のなかで切り捨てられようとしている地域の怒りの声・危機感が、このオルグをきっかけとして一気に吹き出したのである。
 それと、内房線は前年のダイ改で昼間帯の特急列車が全て廃止されたこともあり、より激しかったのはJRへの憤りの声であった。今回の館山運転区廃止も、特急列車の廃止も、JRは地元には何の説明もないというのだ。また、日常的に様々な要請を行なっても、その対応は不誠実極まりないものだというのである。
 房日新聞という地元の新聞社は一面トップで館山運転区廃止についての動労千葉の主張を報道し、多くの訪問箇所で、怨嗟(えんさ)の声をわれわれにぶつけるだけでなく、「私たちは何をすればいいでしょうか」と、積極的に動きたいという反応が返ってきた。

転機となった地域集会 

9・24館山地域集会

 そしてそれが9・24館山地域集会の呼びかけとなり、館山市議会での「館山運転区の廃止・移転計画反対決議」の採択となった。
 館山地域集会は、館山市長、南房総市長、鋸南町長(助役代理出席)、館山観光協会会長、館山商工会議所会頭、多くの市議会議員、地域の労働組合などが参加する、文字通り地域総決起の画期的な集会となり、館山市議会への請願書には、動労千葉館山支部とともに、商工会議所、観光協会、旅館組合が名前を連ねた。
 集会は、保守系の市長までが「公共性の非常に高い部分を民営化するのが本当にいいことだったのか、今にしてしっかり考えなければいけない。これは地域の切り捨てにつながっていく。それがまさに今全国的に発生している」と訴え、観光協会会長は「乗車人員が少ないからと切り捨てるなどとんでもない話だ。われわれはこのままではとても食っていけない」と訴えるなど、民営化反対・JR弾劾集会となった。
 「格差社会」の矛盾は、若者と高齢者、そして地域に集中的に表れている。しかし、「これほどのものなのか」と、われわれ自身がまだ敏感になりきれていなかったことも痛感させられた。時代は本当に激変している。階級的な労働組合が軸になれば、どこからでも大反乱が起きる状況であることが、今回の基地廃止反対闘争のなかからも見えてきたのである。

千葉支社の異常な対応

 JR千葉支社は、集会直前に地元の関係団体を回り「動労千葉と一緒に反対運動をするのか」などと恫喝して、集会を破壊しようとしたが、それが逆にさらなる怒りをかった。当日は支社課員がサングラスをかけ、陰に隠れて集会参加者をチェックし、集会後には「この集会等での発言は、お客さまの信頼をいたずらに損ね、当社の信頼を失墜させる意図をうかがわせる行為だ」として、抗議と発言の撤回を求める申し入れをもってくるなど、9・24集会に対するJRの対応は尋常ではなかった。
 この集会の成功が本当に大きな転機となった。それまでは、厳しい攻撃の前に、組合員のなかに、重さやあきらめの思いがあったのも事実であった。しかし、地域集会の成功で、職場の雰囲気はガラッと変わった。何よりも組合員の顔つきが自信に満ちたものとなった。われわれの側に圧倒的な正義性があり、JRには何ひとつ理がないことを理屈だけでなく、肌身で感じることができたのである。

幕張構内事故闘争の勝利

 また、ちょうど同じ時期に、幕張構内事故闘争の勝利をかちとったことも大きかった。4月6日の事故発生以来、「懲戒解雇だ」と叫びたてたJR当局とストライキを構えて真正面から対決し、その後幕張支部にかけられた本社をあげた職場規律攻撃も完全にはね返して、「問題は管理体制の側にありました」と言わせるところまで追い込んで、電車区構内へのATSの設置も約束させたのである。
 9月30日にだされた処分は、「出勤停止15日」という不当なものだった。しかしこの事故の直前に、運転台で携帯電話を使ったというだけで東労組組合員が解雇されるという状況のなかで、組合員はこれを「最高の勝利」だと受けとめたのである。それが9・24地域集会の成功と一体となって、館山・木更津廃止反対闘争も徹底的に闘おうという団結をつくりだした。
 処分の翌日から開催された第35回定期大会では、館山支部から本部執行部を補充するなど、改めて断固として闘いを強化する方針が満場一致で確認され、11・5労働者集会への総力結集体制の確立と、館山・木更津廃止反対闘争への全組合員の総決起を当面する二大方針として、3月ダイ改に向けた新たな闘いが開始された。 また、11月に開かれた館山・木更津両支部大会でも、執行体制を強化するなど、万全の闘争体制が確立された。

全組合員が「一本書き」

 この過程で何度も議論されたのは、年末・年始の過程で始まるであろう廃止を前提とした異動の個別面談(希望調査)に対する対応であった。
 千葉支社は「移行準備のため」と称して、廃止当該職場を全く無視し、新設される木更津運輸区の「準備区」に東労組の運転士(後に国労組合員も)を次々と送りはじめていた。その意図が、館山・木更津支部の組合員をバラバラに配転するためであることは明らかであった。
 職場では二つのことが議論された。第一に、こうした卑劣なやり方には職場からの徹底的な抗議行動を展開する。現場長が音をあげるまでやらならければ勝負にならないということ、第二に、希望調査の過程で画策される切り崩し攻撃にいかに対抗するのかということである。
 当局は、面談で希望職場について第三希望まで書かせようとする。無理やり多くの「希望」を書かせることによって、「本人希望」という形をとった不当配転を行なうためである。また、利益誘導などによる脱退工作や団結の切り崩し攻撃がこの過程で行なわれることも明らかであった。
 組合がとった方針は、「一本書き」である。両支部は執行委員会や職場集会、個別オルグで何度も議論し、全員がこの方針で一致した。これは職場廃止という攻撃で団結を揺さぶったにも関わらず、全く団結が揺らいでいないこと、動揺がないことを当局につきつけた。館山・木更津両支部は、支部間交流会なども開催し、ここに各支部の代表も参加して万全の意志統一が図られた。

卑劣な攻撃への非協力闘争

 また、館山運転区には13名の他労組の運転士がいたが、希望調査の過程で、現場当局がこの13名に対し、別な職場への異動を希望した者に対してまで、「木更津運輸区希望」と無理やり言わせていたことが発覚した。新しい運輸区から動労千葉の組合員を排除するためにこんなことまでやったのである。これは逆に現場長への抗議行動に火をつけることになった。
 年明けからは、館山支部が休日勤務拒否の非協力闘争に突入。これは、職場廃止攻撃への抗議闘争であると同時に、ギリギリの要員配置のなかで休勤によってしか業務が回らない現実に対する抗議の闘いでもあった。当局はこれに対し、旅行を予定していた組合員の年休を時期変更するという嫌がらせを行なうなど、団結破壊に躍起となったが、こうした攻撃にも、支部は当事者や全体で繰り返し話し合いを行い、現場当局への抗議行動を展開し、断固として原則的な立場を貫いた。
 また、1月16日には、全支部の組合員が総結集して千葉支社への抗議行動を展開し、職場における両支部の奮闘を全体の闘いとしていった。

DCキャンペーンへの抗議行動

 1月27〜28日に開催された全支部活動者研修会では、両支部三役と関係支部長を含めた対策会議が行われた。ここでは2月1日からの「ちばディスティネーションキャンペーン」に対する抗議行動を展開することを確認した。これは、県をあげた観光客誘致の大キャンペーンで、とくに内房線に蒸気機関車を走らせることが全体の目玉商品であった。JR千葉支社長は、このキャンペーンの副代表をしていながら、その最中に内房線の列車切り捨てを目的とした館山運転区を廃止しようとしていたのである。
 2月1日には、堂本知事が千葉駅前で出発式のテープカットしようとしたまさにそのときに、「館山運転区廃止は内房線切り捨てだ!」というマイクの声が響きわたった。JRの課員が血相を変えて飛んでくるなかで断固抗議行動を貫徹し、4日には館山駅前で、蒸気機関車が到着する時刻、観光客や地元の人たちでごった返す状況のなか、80名の結集で大宣伝を行なった。
 事前に市内全域にチラシを新聞折り込みしたこともあり、「署名運動もやってほしい」「ビラに書いてあるとおりJRは本当にひどい」「地元のことなど何も考えていない」と、ここでも反響は予想を超えるものであった。
 また駅頭宣伝の後、館山運転区前に移動して区長に対する抗議行動・抗議集会を全体で展開。さらに16日には木更津駅での駅頭宣伝と2回目の両支部の交流会を開催し、決戦段階の闘いに向け、磐石の団結を固めた。

異動をめぐる攻防非協力闘争の拡大

 2月の闘いの焦点は、基地廃止に伴う人事であった。3・18ダイ改に向け、千葉支社は、誰をどこに異動するのか人事を最終的に決定しようとしていた。
 人事をめぐっても、いくつか攻防の焦点があった。ひとつは、「DL業務」をめぐる問題である。レールや砕石の輸送をDL機関車で行なう工事用臨時列車の担当は千葉運転区が行なっていたが、電車とディーゼル機関車の免許を両方持っている者の数は少なく、要員が逼迫していた。しかも千葉支社は、新たに養成した東労組の組合員は、木更津運輸区から動労千葉の組合員を排除するために、全て木更津に投入してしまったのである。一方、館山運転区には、両方の免許を持っている組合員が8名居た。当局は、この8名を片道2時間以上もかかる千葉運転区に無理やり配転しようとしていたのである。
 もうひとつは、内勤担当とか事務係など、基地統廃合によって、そのポストそのものがなくなってしまうか、大幅に縮小し宙に浮いてしまう組合員の異動問題であった。
 2月18日に開かれた定期委員会方針に基づいて、職場では非協力闘争の拡大方針が討議された。具体的には「所定以外の業務は一切行なわない」ことを争議として通知するという方針だ。運転士の場合、列車が正常に運行していれば問題はないが、運行が乱れた場合、所定以外のスジへの乗務や、入換、入出区、分割・併合、動力看視等、所定以外の業務が発生することになる。その場合、それを拒否してその場から個々に指名ストに突入するという方針である。
 いつどのような状況が起きて指名スト突入するかはあらかじめ想定できず、しかもスト突入の場面では運転士ひとりの判断になる。組合員全員の万全の意志統一ができなければ貫徹できない方針である。様々な場面を想定して個別オルグが行なわれた。「この方針でやれるか?」

「ここまできたらやるしかあんめえ」

 団体交渉は2月27日に設定され、前日、この方針は当局に通告された。「明日の団体交渉での回答如何によって、2月28日から所定以外の業務については一切拒否する非協力闘争に突入する」。
 団体交渉には、50名の組合員がつめかけた。千葉支社の回答は、それまでとはうって変わって「希望については最大限尊重する」というものであった。JR発足以来20年間、このような回答は聞いたことがなかったものだった。両支部を先頭とした気迫の前に、当局をここまで追い込んだのである。

春闘ストライキへ!

 翌日にも異動の事前通知が行なわれようという状況のなか、3月4日には、400名の結集で春闘総決起集会・千葉支社抗議デモを開催。ここでは、闘いが大きな成果を切り開きつつあることを確認した上で、次のことが意志統一された。「われわれはこの間の闘いによって、異動の希望という点では、当局に要求を押し込みつつある。しかしもう一度基本に返ろう。この闘いは不当配転を阻止するための闘いだったわけではない。館山運転区、木更津支区というわれわれの闘いの拠点を潰す攻撃との闘いだ。基地廃止は絶対に認めない。これがわれわれの基本的な立場だ。もう一度基本に返り、最後の日まで絶対反対の闘いを貫いて、3月17日〜19日のストライキに立ち上がろう」。
 3月5日から行なわれた異動の事前通知は、ほぼ百%、組合員の希望どおりのものであった。われわれは、総力をあげた9ヵ月の闘いによってかちとったこの成果を確認しつつ、ストライキの体制を確立していったのである。
 ストライキの直前には、改めて地域へのあいさつにも回った。「残念ながら、力及ばずして廃止を止めることは出来ない状況になった。われわれはストを実施します」という報告に対し、市も観光協会も商工会議所も、びっくりするほどの友好的な対応であった。「JRは全くとりあってくれないから」と、動労千葉に対し、今後の要望が次々に寄せてくるという対応である。闘いの当初はおずおずとしていた組合員の対応も自信に満ちて胸を張ったものになっていた。

新たな闘争体制を確立

 ストライキの最中の3月18日には、館山支部の解散大会が開催され、続いて両支部の全組合員が合流して木更津支部の臨時大会が開催され、直ちに新たな闘争体制が確立されたのである。
 館山支部解散大会では、次のとおり確認された。「伝統ある動労千葉館山支部は、残念ながら今日をもって一旦幕を降ろすことになりました。館山運転区は、安房北条機関区(1919年5月開業)と呼ばれた時代から88年間の歴史を閉じます。機関車労組結成から57年、動労千葉結成から28年、先輩たちが営々と守りぬいてきた職場を失うのは本当に悔しいことです。
 支部組合員は、本日をもって木更津、鴨川、幕張に分かれることになりますが、館山支部はこの9ヵ月間、最高の団結力を発揮して闘いを貫徹しました。労働者こそ職場の主人公・社会の主人公であることを示しぬきました。この闘いの中で、組合員一人ひとりが大きく飛躍しました。そして館山支部・木更津支部と動労千葉の団結破壊を狙った卑劣な攻撃をはね返し、勝利したと高らかに総括することができます。今回の闘いは、原則を守って闘えば必ず展望が開けることを示しました」
 また木更津支部の臨時大会では、「今回の攻撃に対する回答は、新生木更津支部を動労千葉の最強支部にすることである」ことを確認し館山から合流した仲間たちも含めた新執行体制が確立された。

平成採がスト破りの業務命令を拒否

 館山・木更津廃止反対闘争の中で、もう一つ当初から訴え職場で議論していたのは、こうした攻撃を本当の意味ではね返す道は、組織を拡大する以外ないということであった。われわれが力を持たなければ、本質的にはこのような攻撃を止めることはできない。これは厳然たる事実だ。だから組織拡大こそわれわれの最大の課題である。
 今回の闘いの渦中でも、それは意識的に追求された。職場で取り組まれた「館山運転区・木更津支区廃止反対署名」は、運転職場の多くで東労組の平成採用者ほとんど全員の署名をかちとったし、また闘いは同じ時期に提案された「ライフサイクルの深度化」提案への怒りの声の組織化と一体で進められた。
 これは、駅要員がパンクしようとしている現状を泥縄的にのり切るために、平成採の運転士を5年間駅に配転するという提案であり、現場では、平成採の運転士から激しい怒りの声が吹き出した。われわれは、基地廃止反対闘争と一体の取り組みとして、この攻撃の本質を東労組の若い組合員に明らかにし、会社と東労組・革マルの結託体制を現場から覆す闘いに立ち上がれば粉砕できることを訴え、そして3・17〜19ストでは、基地廃止計画の撤回とともに、ライフサイクル提案の白紙撤回を求めた。
 こうした全支部をあげた取り組みのなかで、今回の春闘ストでは、スト破りの業務命令を拒否する平成採の東労組の組合員が生まれた。現場長に呼び付けられ、缶詰にされてオルグされ、最後は業務命令でこれを拒否したら処分すると脅かされながら、それでも、「スト破りはできません」とつっぱりぬく青年がこの闘いのなかから生まれてきたのだ。
 未だ少数の反乱とはいえ、これは決定的に大きなことであった。今回の闘いの勝利は、職場の団結が一切揺らがなかったこと、地域の怒りの声の組織化、平成採の反乱の始まり等、その全体が当局を包囲し、下手なことはできないという関係に持ち込んだ結果である。

労働運動全体の再生をめざして

 さらに3・17〜19ストは、館山・木更津問題と同時に、三つの闘争課題に取り組む闘いとなった。新小岩支部、千葉機関区支部、幕張支部は、3月18日に東京・日比谷野外音楽堂で開かれた、イラク開戦4周年弾劾、憲法改悪阻止に向けた青年労働者集会に全力で参加する方針をとり、鴨川支部、いすみ支部は、ストの最中から、一ヵ月後に迫った勝浦市議選での水野さんの必勝に向けた取り組みを開始したのである。
 われわれは07春闘ストを、館山や木更津の廃止という職場で直面する課題との関係だけではなく、教育基本法が改悪され、防衛庁が防衛省となり、国民投票法制定策動など、改憲攻撃が本格的に開始されようとしている情勢のなかでの闘いであり、歴史的な分岐点での闘いだと訴えてきた。しかも、労働者にはこの間の民営化・規制緩和政策のなかで生み出された「格差社会」の現実がのしかかり、世界的には労働者の大反乱が開始されている。だから「今回の闘争はストの規模や戦術は去年と大して変わらないが、去年のストライキと今年のストライキの意味は全く違うのだ」ということを、春闘の組織化に当たって何度も確認し、労働運動全体の再生に向け、3・18集会の成功のために全力で取り組むことを決定したのである。

3・18集会が切り開いた地平

 とくに、われわれも呼びかけ人の一人となった3・18青年労働者集会の成功は大きな意味をもつものであった。集会は、動労千葉労働学校などから育っていった様々な産別や未組織の青年労働者たちが呼びかけた初めての取り組みであった。労働学校で初めてマルクス主義に触れ、様々な職場で闘いを始め、資本やご用組合の幹部から弾圧を受け、壁に突き当たり、必死でそれをのり越える格闘のなかで彼らは団結を恢復し、ものすごいエネルギー発揮し始めた。そしてこの集会で「労働運動の力で革命をやろう」というスローガン掲げた。これは、「ワーキングプア」「ロストジェネレーション」と呼ばれるような、未来も希望もすべて奪われた切実な現実のなかから、青年たちが自らの声として生み出したスローガンであった。
 集会で発揮された青年労働者のエネルギーは、時代が変わろうとしていることを示した。青年が自発的に闘いを開始したことのなかにこそ、労働運動復権の具体的な展望があるのだ。
 これは、労働運動の再生に向けたわれわれの地道な努力が、時代の流れと噛み合って大きく発展しようとしていることを示している。

勝浦市議選勝利と一体の闘いとして

 さらに、今回の基地廃止反対闘争は、勝浦市議選必勝の取り組みと一体の闘いでもあった。
 そもそも1995年に、水野さんを勝浦市議会議員に押し立てるという決断は、その年の12月に勝浦運転区を廃止するという攻撃にいかに立ち向かうのかという議論のなかから生まれた方針であった。そして、組合員が勝浦市内の文字通り全戸をオルグし、市の人口2万5千名の内、1万6千名以上の廃止反対署名を集めきったのである。こうした取り組みによって、運転区は廃止されても旧勝浦支部の固い団結、外房地域の団結は守られたのである。
 こうした経過からして、館山運転区・木更津支区の廃止が提案されている状況のなかで、絶対に負けることのできない闘いだった。
 館山・木更津廃止反対闘争に全力を投入していたこともあり、取り組みは3月18日から1ヵ月の短期決戦と設定し、地元支部を中心に春闘ストの最中から行動を開始した。
 結果としては、票数も順位も前回を上回る8位という高位当選を実現。ここでも大きかったのは、館山・木更津廃止反対闘争の勝利であった。この闘いの勝利と、絶対に負けるわけにはいかないという照岡選対委員長を先頭とした執念が組合員を団結させ、この1ヵ月の間に勝浦での行動に参加した組合員は約600名に上った。これは4回の勝浦市議選のなかで最高の動員数である。4年前と比べると組合員は退職によって100名余り減っている。にも関わらず、この選挙闘争で最高の団結を実現したのは、この間の闘いのなかで動労千葉の団結が一皮向けて一層強くなっていることを示した。
 また、選挙闘争には、OBもこれまでになく参加してくれた。勝浦市議選の勝利は、組合員、OB、地元の支持者がまさに一体となってかちとった大きな勝利であった。

JR体制の矛盾の噴出

 最後に二点確認しておきたい。
 第一に、今回の闘いが大きな勝利をかちとった背景には、国鉄分割・民営化から20年を経て、JR体制の矛盾が激しく噴出しているという問題が横たわっているということである。
 この間も、保線・電気・信号関係のトラブルが相次いでいる。メンテナンスコストの削減を進め、極端なまでの要員削減を行い、業務の全面的な外注化を遂行した結果、技術継承が途絶え、安全が崩壊しようとしているのだ。それに加え、労働者には無理なスピードアップや労働強化がのしかかり、安全を「守る」唯一の手段が労働者への徹底した締め付け以外になくなった結果行き着いたのが尼崎事故であった。
 さらに、要員政策の完全な破産・失敗である。検修、施設、駅等で「どうせ外注化するのだから専門職など育てる必要はない」という方針で20年間突き進んできた結果、大量退職が進む状況のなかで、列車を動かすという基本的な機能さえ崩れようとしているのである。例えば営業関係だが、この間東京支社では、駅要員がパンクし、支社の課員や地区指導センターの課員を駅員として臨時発令せざるを得なくなっているという。千葉では、事前通知一枚で車掌が駅にバタバタと配転されている。無理な要員削減によって多くのキオスクでシャッターが閉められていることが問題となっているが、このままいけば、キオスクどころか、駅自体のシャッターを閉めざるを得なくなるような事態である。
 もうひとつが、革マル結託体制の矛盾である。今もJR東日本は、少なくとも表面上は、東労組・革マルとの結託体制を続けている。しかし、この間あらわになった東労組の内部や、会社との癒着関係のなかで生まれた驚くべき腐敗は、JR足体制の底知れぬ闇をつくっている。東労組内では、利権をめぐって果てしない抗争が続き、ついに幹部が送検される事態にまで至った。しかもこれは、JR体制の土台をなす労務政策をめぐる問題であり、否応なく分割・民営化体制全体に激震をもたらす問題である。
 さらに、1047名闘争が、闘いを継続しているという問題がある。今、1047名闘争は「政治解決路線」への埋没という、主体的な危機に直面しているが、改憲と大民営化攻撃が労働者全体にのしかかろうとしている状況のなかで、労働運動にとってそのもつ位置はこれまでになく大きくなっている。

6年間の苦闘が切り開いた成果

 第二に確認したいことは、今回の勝利は、われわれが「第二の分割・民営化」と呼んだ攻撃が開始されから6年余りの苦闘の蓄積の上にかちとられた勝利であるということだ。
 闘いは、シニア制度(再雇用機会提供制度)と業務の全面的な外注化攻撃をワンセットにして労働組合に呑ませるという卑劣な攻撃との対決から始まった。労働組合として外注化を積極的に推進することを約束しなければ定年後の再雇用を拒否するというやり方は、何よりも労働組合の決定的な変質を迫る攻撃であった。
 われわれはこの協定の締結を拒否したが、それから数年間は、毎年定年を迎える組合員との胃の痛むような議論となった。組合自身の力で再雇用先を確保する等の努力も重ねたが、当初は定年を間近にして脱退していく者もでた。しかし、職場をあげた議論のなかで、3年後には脱退者もでなくなり、結局千葉支社だけが今も検修業務の外注化に手をつけることができない状況に追い込んだのである。そして5年後には、「高齢法」が改正されるなかで、小なりとはいえ動労千葉が再雇用制度の協定を締結していなかったことによって、再雇用を就業規則化せざるを得ない事態にJRを追い込み、シニア制度そのものも粉砕したのである。
 また03年には、退職間際の組合員の不当配転をめぐり、1、日間にわたって指名ストを拡大していくという闘いで、分割・民営化の過程で駅に不当配転されていた仲間たち14人を運転職場に奪い返すという成果も実現した。
 さらに04年からは、レール破断が多発し、尼崎事故が起きる状況のなか、監視・処分を受けながら安全運転闘争を闘いぬき、管内60qに及ぶレール交換やATSの設置を実現するという成果もかちとった。そして幕張構内事故闘争では、当該組合員を守りぬいたのである。
 厳しくとも原則を貫いて闘うことがいかに重要なのか。館山、木更津廃止反対闘争の勝利は、こうした闘いの積み重ねの上に実現されたものだ。原則的を曲げないこと、そしてこの原則で納得いくまで組合員と討議することこそが組合員の階級的団結をつくるのである。

組織拡大に向け全組合員の総決起を

 この間、確かに大きな成果をかちとってきた。しかし、大切なことは、成果を実現したことにあるのではない。仮に何ひとつ目に見える成果がなくとも、団結を守って闘い続けることができるか否かにある。それこそが本当の団結の強さだ。成果は、その結果として後からついてくるものである。
 われわれが、本当の意味でJR体制下での闘いに勝利したと総括することができるのは、本格的な組織拡大を実現したときである。かちとった地平をバネに組織拡大闘争への全組合員の総決起を実現しよう。

我々は勝利した!新たな闘いへむけガンバロー!

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