DC通信No.41 04/06/20
故中村栄一書記長追悼集会 、故関豊中央支部副委員長追悼

集会の内容は「日刊動労千葉」で近日掲載いたします。

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故中村栄一書記長追悼集会、 故関豊中央支部副委員長追悼

2004年6月20日 DC会館

遺族の方々をはじめ多数参加した組合員や闘う仲間や支援の方と黙祷をささげた。
次に「主催者あいさつ」を動労千葉委員長・田中康宏より述べさせていただきました。

追悼のことば(集会の内容は「日刊動労千葉」で近日掲載いたします)

動労千葉顧問弁護団・葉山弁護士、三里塚芝山連合空港反対同盟

1047名解雇撤回国鉄闘争の勝利をめざす共闘会議・内田泰博事務局長

元千葉県高教組委員長・横堀正一氏。全国金属機械港合同・中村副委員長

動労千葉を支援する会・山本事務局長

NTT労組・宮内邦明氏。管理職ユニオン・設楽委員長

出身支部と役員を代表し3名が挨拶

献杯。中野常任顧問の音頭で会場の全員より。

献杯の後、追悼のことばをいただきました。

動労西日本・小川委員長。動労水戸・国分委員長

全金本山労組・中野七郎書記次長

スタンダード・ヴァキューム石油自主労組・入江史郎中央執行委員長。三一書房労組・三角忠執行委員長

部落解放同盟全国連・茨城県連・原口孝一副委員長

水野顧問、動労千葉家族会よりも追悼のことばをいただきました。

集会をしめくくるにあたりスクラム組んで、組合歌「われら国鉄動力車」を斉唱。

最後に長田書記長代行の音頭で「団結ガンバロー」の大コールで集会をしめくくる。

ご参加の方ならびに全国で闘う労働者の仲間に皆さんに対し動労千葉は故人とともにさらに団結をかため前進することを組合よりの追悼の誓いといたしました。

中村栄一書記長、故関豊中央支部副委員長追悼集会 【集会でおくばりした栞(しおり)より】

2004年6月20日 DC会館

在りし日の中村書記長

故中村栄一略歴

1960年2月 茂原市に生まれる。
1978年4月 国鉄に就職(幕張電車区)。
        国鉄労働組合に加入。
1982年12月 運転士となる(千葉運転区)。
1986年11月 国労千葉運転区分会書記長に就任。
1990年1月 1・18ストを前にスト破りを拒否して動労千葉に加入。
1991年11月 千葉運転区支部執行委員に就任。
1994年10月 本部執行委員に就任。組織部長等を歴任。
2001年10月 本部書記長に就任。
2004年5月 15日朝、くも膜下出血で自宅で突然倒れる。千葉大病院にて午前9時過ぎ逝去。享年44歳。

在りし日の関さん

故関 豊略歴             

1938年9月 大多喜町に生まれる。 
1958年4月 国鉄に就職(勝浦機関区)。
1959年12月 機関助士となる(千葉機関区)。
1964年2月 機関士となる(新小岩機関区)。
1977年4月 新小岩支部書記長に就任。     
   同年9月 動労千葉地方本部執行委員に就任。文化部長。   
1979年3月 動労千葉結成。初代本部執行委員に就任(84年10月まで)。
        総務・財政部長。
1985年10月 新小岩支部執行委員長に就任(92年11月まで)。
1990年12月 動労千葉貨物協議会議長に就任(94年4月まで)。
1998年9月 JR貨物会社を退職。退職後も「OB組合員」として活躍。
2002年8月 中央支部結成にあたり支部副執行委員長に就任。
2004年3月 膵臓癌により入院。                 
   同年6月 5日深夜千葉市立青葉病院にて逝去。享年65歳。


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