反動、反革命をうちやぶり

戸村一作(三里塚芝山連合空港反対同盟委員長)

 「一線を画す」ということでは、共産党でも、反動的なキリスト教会や、芸術家団体でも、三里塚に一線を画してきた。そういう意味ではいまさらおどろかない。しかし、122名もが修正動議に名を連ねたということはすばらしいことだ。ドイツの議会でカール・リープクネヒトはたった一人で侵略戦争に反対した。
 動労千葉地本の決意と勇気というものを高く評価したい。ジェット燃料を毎日運んでいることは苦痛だと思う。その苦痛を味わわせているのは誰か。その現実を許しておいてはならない。
 「鉄路の闘い」というものは、そうした労働者の苦痛を解放する闘いとしてあるのだ。ルネ・クレマンの「鉄路の闘い」はすばらしい。これに感動しない労動者はいないだろう。真に闘う決意ある者は、そうした闘いのイメージを豊かにもっていなければならない。
 今回の動労津山大会では、罵り雑言や暴力・リンチが行われたときいておるが、今回の動労運動方針やこうした暴力の背後にあるものが、案外皆に知られていない。
 今回、われわれがよびかけを発した際にも、原因は何ですかということをずい分聞かされた。「革マルですよ」と私は答えた。文化人の中にも、三里塚闘争に敵対する革マルということがわからない人もいる。だから水本などに安易に署名をしてしまう。本当に革マルの反動性ということは、闘う者でなければわからない。
 そうした反動と反革命を打ち破り、労働者・農民・学生の英知をふりしぼった闘いとして、三里塚廃港の闘いを進めなければならない。
 今回一見動労千葉地本は、津山の大会で孤立し敗残したとみえるかもしれない。だが、122名の同志が決起したということは、何を意味するだろうか。並々ならぬ決意がそこに示されたということだ。ここに動労のバックボーンがある。
 この動労こそ、三里塚を勝利せしめる力だ。この動労こそ、全国の労働者、労働組合員を背負って立つ力であり、三里塚の農民は、全国の農民を背負って立つ力である。
 この動労千葉地本と三里塚反対同盟が手を結んだ以上、誰が引きさこうとしても、引きはがすことはできない。そういう意味でも、両者共一大決意が迫られている。
 「鉄路の闘い」は労働者自らがやるのだ。空港はちょっとした闘いで飛行機が飛べなくなる、そうしたルートがあるのだ。そうしたルートを断つのは労働者だ。水をつかさどる労働者、電気をつかさどる労働者、ジェット燃料を輸送する労働者、そうした労働者自らの闘いとして、空港阻止の闘いをやりぬく決意が迫られている。それは決して数ではない。真に決意した労働者・農民・学生の連帯した力として、やりぬかなければならない。
(七月十一日支援共闘会議における戸村委員長挨拶より)