90年代とはいかなる時代か

●80年代に起こった出来事が、
すべて90年代を予測している

●90年代を決する90年闘争の焦点は、
天皇、三里塚、国鉄(JR)

 

 年(1989年)の暮れに、教宣部から「90年代の課題と展望」について課題をあたえられ、いろいろ頭を悩ましていたところですが、90年代とはなにか? これからの十年を見通すのは非常に大きな課題でむつかしい。
 しかし、12・5スト、1・28ストを、みなさんとともにやりぬいて、ここをついていけば「なんとかやっていける」という感触をつかみました、今日は二つのストの総括を中心にしてしゃべっていきたいと思います.
 90年代とは、20世紀最後の十年間ですね、あと十年で21世紀に入るわけです。
 1945年に第2次大戦が終わってから、45年間続いた戦後の世界支配体制が、大きく崩れはじめる時代が90年代です。
 当時、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが、ヤルタで会談をしまして、戦争後の世界の支配のあり方を決めた。それがヤルタ体制ですね。
 アメリカとソ連を中心にした世界の支配構造が、それ以来いろいろあっても、米ソを基軸にしてつづいてきた。それがわれわれが住んでいる世界です。90年代は、それが崩れる時代というのが特徴だと思います。

 89年、この一年、世界中で体制の存否にかかわるようなことが、つぎつぎと起こった。それが90年代を予兆していると思います。80年代の前半をみてみると、新保守義といわれる日本の中曽根、アメリカのレーガン、イギリスのアイアンレディ《鉄の女》のサッチャーなどタカ派といわれる人物が台頭し、いままでにない政治のやり方をやった。
 ところが後半になぞ、87年10月ニューヨーク市場のブラックマンデー、株の大暴落が起こった。ちょうど今から60年前に二九年世界大恐慌があり、それから10年後に世界大戦が爆発した。.この29年のアメリカ大統領の年頭教書では、「マルデン、エイジの到来」黄金の時代などと言っていた。それが舌の根もかわかないうちに、その年に株が大暴落した。いまの日本、かってない高景気などとていっているが、いろんな問題をかかえ、いつぶっ潰れるかわからない。87年10月に、現実に株暴落が起こったではありませんか。
 いま、アメリカを中心に帝国主義諸国は、深刻な経済危機が進行している。世界最強のアメリカが、世界最大の借金国になっており、さらに双子の赤字、貿易赤字、財政赤字もまったく打開できない.ジャパンマネーでやりくりしている現状で、いつ破綻するかわからない。
 世界経済は、いままでIMF体制としてドル中心の仕組みが、つづいてきたが、いま92年にはEC経済統合がいわれ、日本ではアジア太平洋経済圏づくりがいわれ、経済の分裂化、ブロック化がすすんでいます。天安門に対し日本があんまり言わないのは、そういう現状のあらわれだと思います。
 その一方、いわゆる社会主義体制、と言っても、似て非なるエセ社会主義。私はりてれをスターリン主義体制と言いますが、あれは社会主義ではない。あんなのが社会主義なら、いやになってしまう。このスターリン主義体制が、89年になって一気に崩れはじめた。
 ソ連のいきづまりから、ゴルバチョフのペレストロイカ政策をきっかけに、ポーランドや中国で「改革」がはじまった。ところが中国ではケ小平が天安門の学生や市民を天虐殺し、のりきろうとしている。だがヨーロッパではそうはいかない。ベルリンの壁が一挙に崩壊し、誰もが予測しなかったことが起こった。とうとうルーマニアの民衆闘争が起こり、スターリン主義政党がたおされた。こんなことが89年の後半、ドラスティックに起こっている。
 日本やアメリカは「社会主義はダメ、自由と民主主義の勝利」などと言ってるが、そうではない。東欧の事態をみて深刻に受けとめているのは、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスである。なぜかというと、アメリカとソ連の世界体制は、相互に依存し、からみあって支配しているから、片方の足が崩れていくから影響を受けないはずがない。
 ルーマニアをみても、銃をバンバン撃っているところへ、非武装の民衆がたちむかっていく、そのうしろから国軍がチャウチェスクの秘密警察を撃っている。市民が楯になってたたかっている。すなわち民衆がたちあがり、上からのペレストロイカではなく、明らかに下から労働者が中心になって、生命もおそれず、スターリン主義打倒にたちあがっている。
 これはブラックマンデー危機にさい悩まされている帝国主義国においても、深刻な危機として進行していくことは、まちがいない。こうしたことが、世界中でいっせいに起こっている。みんな共通していることです。

1989年1月
・ 天皇死亡。「平成」に改元(7日)
・ アメリカでブッシュ大統領が就任(20日)
1989年2月 「大喪の礼」
1989年4月
・ 消費税制度が税率3%で導入開始(1日)
・1989年6月・ 宇野宗佑 首相内閣が始まるが、スキャンダル発覚のため 69日間の短命内閣に終わる
・ 「天安門事件」中国の天安門広場で民主化要求運動の学生に対して政府人民解放軍が武力での制圧
1989年8月・ 海部俊樹 首相内閣が始まる(9日)
1989年11月
・ ベルリンの壁の撤去が始まる(9日)
・ 日本労働組合総連合が発足(22日)
1989年12月
・ アメリカとソ連の冷戦終結(2日)
・ ルーマニアのチャウシェスク独裁政権が崩壊、大統領と夫人が処刑(25日)

中曽根の戦後政治の総決算
 日本ではどうか、82年に中曽根が登場して、戦後政治の総決算を呼号し、行政、財政、教育の改革を言いだした。明治維新以来のことがおこるから、不退転の決意でやると。
 みなさん、ご承知のとおり、戦前の日本は天皇制軍国主義の時代で、治安維持法があり、特高警察の大弾圧のなかで、言論の自由もなにもなかった。戦争に負けて、日本国憲法ができ、日米安保条約ができ、労働組合も合法化され、平和と民主主義ということで、戦後の意識やあり方がつくられてきたのです。平和と民主主義というこの二つは自民党でも文句が言えなかった。それを中曽根が平和と民主主義の戦後の意識をたたきつぶす、と言いだした。
 財政再建、国鉄改革が叫ばれ、82年から87年まで5年間にわたり、国鉄分割・民営化の嵐が吹き荒れた。
 はじめは国鉄・財政再建などと言っていたが、いつの間にか国鉄改革と言いだし、国鉄は20数兆円の借金だらけ、利息が年に1兆円以上とか、ヤミカラ、サボリの大宣伝をして、世の中をだまし、世論も「それなら仕方がない」と思わして、強行した。この分割・民営化の最大のねらいが、国鉄労働運動の解体であったことはいうまでもないことです。
 そうした渦中で、ブラックマンデーに先行する形で、円高ドル安、株の投機、東京を中心にした土地の高騰がはじまり、他方では造船や鉄鋼の不況があり企業は、為替、株、土地投機にはしり、いわゆる経済のカジノ化、バクチ化がどんどんはじまった。
 最近のNHKの報道でも「ひたいに汗して生産するより、株を買って儲ける、これは危険」と言っている。
 80年代の後半になってくると、税制改革をやりだし、86年のダブル選挙で自民党が304議席をとり、大型間接税はやらないと言っていた自民党が売上税を言いだし中曽根がたおれ、竹下がでてきて消費税をやった。
 リクルート疑惑、ギャンブル化が政界のなかにも、一挙に噴出してくるようになる。だいたい今の政治家は、1年中「カネをどうあつめるか」だげをやっていて、政治や国会のことなど1割もやっていない。そういうなかで、89年の参議院選挙で与野党の逆転が起こった。日本の政治史上はじめてのことが起こった。
 いまひとつは、昭和天皇の死を前後して、またふたたび天皇制攻撃が激化してきています。本島長崎市長が右翼にピストルで撃たれるとか、天皇制のタブー化がジワジワと進行している。天皇制とは、本質的に白色テロの仕組みだと思っています。天皇の名のもとに、何をやってもいいというやり方ですね。
 それは司法の反動化のなかにも、あらわれてきている。まともな裁判なんか、なにひとつ勝てない状況です。動労千葉の2波のストライキに対する公労法解雇、指導責任ではなく現場に公労法解解雇、エスカレートしてきている。日教組裁判にしても、「あおり、そそのかし」を拡大解釈してきている。また文部省の新指導要領、教育改革の反動的エスカレートもみておかなければいけない。
 それから、政治警察が肥大化して、政治公安警察が労動運動とか、左翼とか、三里塚を弾圧する体制をつよめてきている。行政改革のなか各省庁でも自治体、郵政など人を減らし、警察官だけを増やしている。千葉ではとくに500人も増やす、それも公安警察だけというありさまですね。それはそうしなければ支配できない状況になっている。こうしたことが89年後半の特徴だといえます。

労働運動はどうか
 中曽根の戦後政治の総決算攻撃の最大のターゲットは、総評でありその中心の御三家の国労、日教組、自治労をねらった、とりわけ国労を狙った。総評をつぶすということは、いわゆる五五年体制をつぶすということです。五五年体制とは、保守が合同し、日本生産性本部がつくられ、自民党・財界ブロックがであがる。他方では、左右の社会党が統一し、社会党・総評ブロックがつくられた。この体制か高度成長経済を下支えしてきたのです。
 総評は、高野事務局長から太田・岩井体制となり、地域ぐるみ闘争よりも産別中心の経済闘争・春闘を軸にする体制になった。社会党の選挙をみればわかるとおり、総評・労組依存であり、いまでも地方や地域では社会党・総評ブロックはつよいですよ。この社会党・総評ブロックを解体して、右よりにしていく、自民党の手の内にする、これが中曽根のねらいだったわけです。
 国労解体は、その中心だったわけで、だから国労がどんなに「ゆずっても」敵は手をゆるめない。後退に後退をかさね、一発のストもうたず国労は「全部のんだ」。しかし敵は許さなかった。ここを読みきれなかった国労幹部は、ちょっと問題がある。
 だからダブル選挙のあと中曽根が「55年体制はつぶした。これからは86年体制。左へウィングをのばした」とさかんに言ったのは、社会党・総評ブロックを右にとりこんだということなんですね。82年の中曽根登場と全民労協発足、87年分割・民営化と全民労連発足。89年総評解散、新連合発足をみれば、敵のねらいがよくわかる。敵はこの10年間90年代を「展望」してやってきたといえますね。

動労千葉のたたかい
 動労千葉の80年代のたたかいを考えるとき、なんといっても大きいのは、79年の動労「本部」からの分離・独立だと思います。これに勝ちきったからエネルギーと路線を確立し、80年代をたたかいぬくことに成功したと思います。
 そして、81年早くも三里塚・ジェット燃料阻止闘争、六日間のストライキ、85年86年にかけて国鉄分割民営化反対のストライキを、日本労働運動のなかで唯一やりぬくことができた。そして89年の最後の段階で、12.5ストをやった。これは運転保安確立のたたいですが、本質的には分割・民営化体制、JR体制打倒闘争として、しめくくることができたし、団結を強化することに成功した。

体制の全面崩壊の時代
 80年代.とりわけ89年に凝縮して起こったことから判断すると、総じて90年代は戦後の枠組みが、全面的に崩壊することになることはまちがい。東欧で起こっていることも、トコトンいきつくところまでいきつくしかない。さらに、アメリカによる体制もいまのままではいかない。92年にはECの統合が射程距離に入っており、日本とアメリカの経済対立もこのままではすまされない。
 だから、何が起こってもおかしくない時代、何が起きるかわからない時代、われわれは何が起きてもビックリたまげない。本質的には戦争と革命の時代だということです。
 だから、たしかに敵のやり方は強権的であり凶暴だが、他方ではものすごい脆弱性をあわせもつ支配体制だといえます。いわば、決め手のない、説得力のない、内部に矛盾をかかえた、弱さをもった体制だといえます。
 JRがいい例です。松崎という革マルをパートナーにしている。こんな企業はは他にない。だから非常に強権的で凶暴だが、弱さをもっている。革マルをパートナーにしたということは、国労や動労千葉をつぶす、ストライキをやらせない、ということであって、連合にしてもそうでしょう。「ストを忘れた組合」づくり、首切りを容認する組合なわけ。
 松崎は、自民党からJRでストライキを起こすなと、引導をわたされている。だから松崎は全国をかけずりまわり、いろんなことをやってるが、ガラスのようなもろさをもっている。現にストライキが起こり、事故が続発している。JRと松崎はいろいろ説明しているが、ぜんぜん説得力がない。
 だから、いろんな矛盾が噴出している。分割・民営化のときは、あれほど強権的にやった権力が、参議院選挙でバタッといく、衆議院もどうなるかわからない。そうした状況になってきている。これは支配のぜい弱性ですね。自民党だって金属疲労がきている。
 アメリカにしても、ソ連にしても、あれだけの軍事力をもちながら打つ手がない。アゼルバイジャンやバルト三国にしても打つ手がない。アメリ・カのパナマヘの軍事介入、あんな大国が小国に軍事力をふるう、もう落ち目の最たるものですよ。.これが特徴ですよね。
 もうひとつ忘れてならないのは、80年代において、労動運動が大変な後退をしていることです。たとえば労働条件、権利の問題、「過労死」なんてことが起こってきている。働き過ぎで労働者が死ぬ、こんなことがはじめて、80年代の末に登場してきた。労働者がこきつかわれ、それを団結してはねかえす労働組合がない。いままで日本の大企業は、本工組合を労資協調にとりこみ、合理化なんかあっても下請けを切ってきた。80年代の特徴は、本工をどんどん切る。鉄鋼、造船、自動車、電機などトップ企業で、40才以上が出向という名の首切りが、あんまり騒ぎにならないでやられてきた。
 80年代はいままでにないやり方で、敵は連合の結成のように「思いどおり」にいった面もある。しかし、やればやるほどいろんな矛盾がでてきている。これが、80年代の特徴。これが90年代にほ、一挙に矛盾が噴出すると、私はおもいます。

12・5ストと1・18ストの意義
●動労千葉80年代闘争のけじめと
 「連合」下におけるJR体制打倒にむけた総反攻の闘い(JR発足以来 はじめての本格スト)

 われわれ国鉄労働者にとって、国鉄をめぐる攻防局面がいかなるものか、まずはっきりとつかむ必要があります。12月5日のスト、1月18日のスト、1ヵ月ごとにストライキをやった。2、3年まえには考えられないようなことが、やりぬけたということは、やれる情勢が到来したということであって、われわれがストをやりたいからやったわけではない。
 ストをやるということは、簡単なことではない。スト権があろうがなかろうが、大変なんです。それがやれたということは、客観的に機が熟してきた、そういう情勢、そういう条件が到来したということなんです。

 JRの危機がスト情勢を生みだした
 その条件のひとつは、分割・民営化の大義名分であった長期債務の未解決、長期債務24兆円の問題です。年に1兆3千億円も利息が増え、いまや27兆円にもふくれあがっている、土地も基本的に売れず、債務が返済できない、まったく解決できない状況になってきている。
 国の政策で借金の返済方法を決めたにもかかわらず、3年もたって、何も解決できない。これは政治責任が問われますよ.いまはあんまり問題になっていませんが、いまに問題になりますよ。
 いったい分割・民営化して、どうなっているんだと、これは大変な問題として敵の側に、くいこまれていきますよ。まちがいなく。だから、いまの方法は、株式上場して借金を減らしていく、これがある意味では唯一の方針。だがうまくいくのか? 必ずしもうまくいかない。
 その最大の問題は、各地方労働委員会で67の救済命令がでて、ぜんぶ労働組合側が勝っている。不当労働行為は法律違反ですよ。これは企業にとってダティーなイメージを与えている。JR東日本8万人、大企業ですよ。
 これが、労働委員会から、不当労働行為をやっていると、67も命令がでる。こんなことは戦後の歴史でもない。大企業というのは、あんまりそういうことは起こらない。中小零細で起きることですよ。組合つぶしの不当労働行為なんてのは、つまり、JRは法律違反者、違反企業です。しかも
株は清算事業団、いわば国が持っている「国営」の企業でしょう。それが不当労働行為、法律違反をやっている。
 このダーティなイメージでは、大変なことですよ。たしかに中労委や裁判の制度もある。しかしJRの松田とか松崎なんかが、「地労委と対決する」とか、「十年戦争だ」なんてことをいってますが、労働委員会は第三者機関、公的機関です。何を寝ぼけて言ったか知らないが、まったくJRは、世の中の常識がわかってないですよ。そんな会社の株がいい値をつけるはずがないですよ。
もうひとつデッカイ問題は事故ですよ。一昨年の12月5日の東中野駅事故、その年の夏ごろから上越線、東北線で事故が起こり、JR発足後一年ちょっとで「JRになって事故が減った」などと言えなくなった。国鉄時代には考えられなかったような事故が続発している、昨年になって、もっと続発している。
 この特徴は貨物の事故だということですね。なぜかというと、貨物会社は旅客会社の線路を借りて、その指令を受けて走らせている、貨物には独自の指令がないということです。正常に走っているときはいいが、何かあると、どこを走っているのか、わからなくなる。旅客会社の指令は、自分のところを優先してやるから、考えられないような貨物の事故が起こっている。

 だから、動労千葉はJR東日本や貨物会社にたいして、貨物専用の指令を要求していく、これは正しいと思います。
 いま旅客会社では、貨物のことを知らない。たとえば、ホースの結び方を知らないとか、電車運転士の養成者が貨物機関士を養成するなんて、おかしなことをやっている。たった3年足らずで、これだ.深刻ですよ、5年たったらどうなるか、年がたてばたつほど深刻になる。同じレールを別々の会社の旅客と貨物を走らす、これが事故の大きな原因だと思っています。
 もう一つは滅茶苦茶な合理化ですよ。東中野駅事故にしても、総武緩行線を三分半も短縮するなんてことは、少なくともプロなら考えない。しかし、「一分短縮すれば一億円の宣伝効果」なんて、平気で言う者がいて、その結果として二人殺してしまった。
 「スーパーひたち」もそうでしょう。スピードを上げるためにカント(カーブの外周側レールを高くする)を上げ、走っているときはいいが、もしあんなカントのカーブの所へ止まったら、風が吹いたら倒れるなんてことが、言われている。勿来(なこそ)駅事故はカントが原因でしょう。こういう事故の続発がJR体制の根幹をゆさぶっている、

清算事業団と事故は、なぜ解決しないか

 この二つが、なぜ解決しないか? それはJRのデタラメな労務政策にあります。会社と革マルJR総連が結託して、滅茶苦茶な差別選別、組合

拡大

つぶしをやっているからです。
 たれこみの横行、もの言えば唇さむしの状況をつくっている。これが最大の問題です。いまやJRの内外で「JRの労務政策、やり方はおかしい」と問題になってきています。
 株式上場なんていっても、不当労働行為が地労委で認知される、また、事故がドーンと起きる、どうして株が高く売れますか? NTTみてごらんなさい、最優良企業ですよ、リクルートで真藤会長がやられる、とたんに株が下落する。営業成績がいくら良くても信用が落ちると株が下落する、要は企業の社会的信用問題でしょう。
 松崎あたりが、勝手に夢想して株式上場なんて言ってるけど、企業の中が良くならなければ、世の中そうならないですよ。だから、いまのJRの状況は、われわれにとってチャンスでもあるけれど、企業としても存亡の危機をむかえていますよ。
 たしかに、これだけ「儲かった」なんていってますが、内部には大変な自壊しかねない矛盾をかかえている。このままでは「企業」として崩壊ですよ。
 ある意味では動労千葉のやってることは「愛社精神あふるる」たたかいなんだな、客観的に言うと。(笑い) われわれは、会社をまもるためにストをやっているわけじゃないが、結果としてそうなっている。
 JRをめぐる、こういう情勢をつくったのはなにか?
 それは動労千葉の750名、国労4万名が差別選別されながらも、がんばったからです。国労執行部のていたらくにもかかわらず、現場が国労の旗をまも.ってがんばっているからです。 たとえば、バッジをつけただけで賃金カットされる、国労は犠救しないですよ、幹部は組合から退職金をとって懐に入れて、革同も協会もおなじですよ。だけど現場はがんばっている。
 こんどのストの渦中で、千葉転で、うちへ加入した国労組合員をみてごらんなさい。「おれは国労としてストをやりたい」「金なんかいらない、スト指令をおろせ」という典型的な国労主義者の諸君ですよ。 そういう国労の組合員が四万ものこった。動労千葉ものこった。敵からみれば動労千葉は不倶戴天の敵でしょう。房総半島で静かにしていればいいのに、ストはやる。なにかあるとすぐ騒ぐ、しかし敵はつぶせなかった。
 そういう国労と動労千葉が二年半もがんばってのこった。国労の労働委員会だって成算があったわけじゃなく、それしかなかったからやったにすぎない、たまたまうまくいった話であって、いずれにせよ、がんばる労働者がいたから、JR体制は全体化しなかった。千葉だって、われわれがいたから国労ものこった、そうじやないと全部が鉄道労連になっていたかも知れない。 動労千葉があるから職場で文句が言える、差別だなんだと問題になる。それをみんなが見ているから、JR総連だってときどき、生意気なことを言う。永島(JR総連革マル〉だってそうでしょう。点呼の最中に「ふざけんじゃない」と家に帰ってしまうとか、関係上やらざるをえない状況をつくっている。
 そういう状況、ストをうてる情勢のなかで、われわれの12・5と1・18ストライキが、うちぬかれたということです。JRが順風満帆なら、こんなストにはならないですよ。われわれは犬の遠吠えみたいな時代を、もう少しつづけなければならなかったかも知れない。ストをうてる客観条件があって、はじめて主体のたたかいがあり、主体のたたかいがあって客観情勢をきりひらくという関係です.、
 それはJRが3年未満で、「創業」以来の互解の危機に直面している状況があって、われわれがストをやりきれた。そういう客観情勢ということですね。
 89年に「連合」が発足して、階級路線を否定し、資本の手先となって労働者を抑圧し、ストをやらせない、というなかで、われわれのストライキの意義は非常に大きい。しかもその焦点は、清算事業団と運転保安という、ゆるがせにできない決定的な問題をめぐるたたかいである。
 だから、動労千葉のストライキは、JR内の問題にとどまらず、日本労働運動全体を、あるいは政治全体をゆるがす質を秘めた、たたかいである。.このことをしっかり認識していただきたいと思います。
 この闘争は、90年の前半つまり、3、4月、ながくて5、6月ごろまでを、どうたたかうかで、90年代全体を規定する位置をもっている。
  それは三里塚、国鉄、天皇制の問題をみてもそうです。  三里塚の農民が身体をはって、24年間も土地を守ってたたかいぬいている。これは日本の歴史上はじまって以来の大衆的なたたかいです。 だから、全国の地域住民の闘争が、なにかあるとみんな三里塚へくる。青森の核燃や埼玉の新幹線問題、あるいは逗子にしても沖縄にしても問題が起こると必ず三里塚にくる。つまり、三里塚は全人民の共闘と結集のトリデ、天王山なんです。
 ここをつぶさなければ、権力者は90年代の展望がない、どうにもならない。だから成田治安法という憲法違反のやり方で、やってきたわけ。昨年、海部内閣ができて、江藤が運輸大臣になったとき、私は思ったんですよ、超タカ派をもってきたなと。
 やっぱり、成田治安法を適用するとか、清算事業団2千人の首を切るとか、これをやれるのは超タカ派ですよ。江藤が言ってるでしょうよ。「清算事業団、甘ったれるんじゃない」と、平然と言ってるでしょう。それはね、三里塚と国鉄を強引にやってしまわないと、せっかくつくった80年代の仕組み―総評解散・連合発足、矛盾だらけだが崩壊しかねない、そういう危機感としてあるわけですよね.
 天皇制にしてもそうです。2月の代嘗祭とか即位とか、半年ぐら、い天皇、天皇天皇で、やってくる。大正天皇が死んで昭和天皇の即位の礼のときでも、2、3年のあいだ天皇漬けにして、大正デモクラシーの自由をぶっつぶしていった。そして軍国時代、戦争となった。
 これを90年でやろうとしているわけで、だから天皇制、三里塚、国鉄が攻防の焦点になっているわけです。
 ここで決着がつくかどうか、わからないけれど、どんなたたかいを展開するかで90年代は、決まってくる。
 その上で清算事業団と運転保安が、政府・JRにとってアキレス腱になっている。ここを突かれると、痛くてたまらない弱点、そこまで追いこんでいる。敵にとっても、われわれにとっても運転保安、清算事業団は、死活のかかったたたかいになっている。ここをあいまいにしたら労働組合の名に値しない。

12・5ストはピツタリ
 12.5ストについていえば、あらゆる情勢のなかでタイミングが、ピッタリだったわけです。国労は「あの動労千葉がうまくやった」なんて言ってますよ。自分がやればいいのにね。
 東中野駅事故一周年スト。世の中だれも文句を言わない、どちらかと言えば好意的にみている、事故の問題をJRの労資問題にすることに成功した。まさにタイミング、ビッタリですよ。
 事故を労資問題としてつきださないと、事故はなくならない。世の中の人はわからないですよ。ATSなんかじゃわからない。労資の問題は労働者が、一番良く知っている、だから労働者が安全をかかげて、たたかわなければ事故はなくならない。
 12・5だってそうでしょう・平野君が「なんらかの理由で信号盲信」なんて、警察発表どおりJRは言っている。じょうだんじゃないですよ。起こった事故から学ばなければ、事故はなくならない。ダイヤの問題、労働条件の問題、労務政策の問題なんだ。5日のストの朝、トップ交渉のなかで、当局はそれを認めるんですよ。じっさい3月ダイ改で総武緩行をのばすことを検討していた。
 しかしJRは、NHKで報道されたとかなんとか言って、また元にもどすとか言って、三月ダイ改のA(列車ダイヤ)も、B(乗務員ダイヤ)も提案できない。総武のスジ(列車ダイヤ〕が決まったのは一月ですよ。だからBも決まるわけない.ジグザグしている。
 平場の団交では「運転士に責任がある」なんてJRは言ってるけれど、トップ交渉では「ダイヤに問題がある」ことを認めているんですよ。JRのなかでも、運転士を処分すればいい、というレベルじゃ解決しないという認識が、このたたかいをとおして否応なく起こった。
 枠内訓練でやればいい運転法規を、研修会でやるとか、枠内訓練で応急処置訓練ばっかりやっている。仮設(故障個所の設置)発見に、ストップウオッチをもちだすとか、なにをやってるんですか。止まっているとき事故は起きない。走っているから事故が起こる。むしろ走っているときのことを、きちんとやるのが本来の安全対策教育ですよ。
 逆のことをやるから、訓練だって身につかない。運転士を処分すれば解決するわけじゃない。動労千葉は処分カットで、年間50万円も払ってますよ。安全はトータルな問題なんだよ。JRもそれを認め、交渉するというから、「ストを止めてもいい」と言ったんですよ。しかし、ストを中止すると「こまるだろう」と言ったら、「ウン」と言ったんだよね。(大笑い)
 それはそうでしょう。スト破り・要員を動員しているんだから、いまさら止められたら困る。昼から特急を動かしても乗る人もいないし、翌日のやりくりに困る。まあとにかく確認事項をメモ化しようとなったら、「動労千葉の闘争は遺憾である」ときた。じょうだんじゃない。そういうことで24時間うちぬいたわけです。
 ともかく、事故問題を労資の課題として、おしこんでいった.非常に重要な意味をもっていると思います。

清算事業団闘争の核心はなにか?
 いまの清算事業団闘争の最大の弱点はなにか? といえば、労働委員会という第三者機関にすべて依存していること。国労の全面和解方針つまり労働委員会の場でなんらかの和解案をだして欲しい、ということですべてゆだねてしまう。
 だから国労のストも、労働委員会への圧力のストライキにすぎない。かつての春闘で、も公労委に調停・仲裁をもとめるやり方、ストは公労委への圧力でしかなく、自らの力で賃上げをかちとるという考え方ではない。.国労にはそういう発想がのこっていて、2月の末も、3月の末もそういうように考えている。
 したがって、カンパニア主義、動員主義、宣伝主義になってしまう。国労はキャラバンとか、集会とか、座り込みをやっているが、その基本に目分たちの首切りにたいし、自らのカで決着をつけるという考えがない。国労の2、3月の方針がでてきたのは、社会党と総評の関係がなくなり、否応なく自分の力で決着つける方向にいかざるをえなくなったからです。社会党・総評の関係がいままでどうりだったら、こういう方針はでてこない。
 しかし。清算事業団とはなんなのか? 解雇攻撃でしょう。解雇・首切りを受けた労働組合が、自ちの力で本気になって「首切りを許さない」というストライキに、たちあがらなければ、世の中の支持もえられないし、解決する方針もでてこない。これをやった上で、いろいろやればいい、一人でも支援してくれる人が多い方がいいから。
 12 ・5 のストライキは、そういう弱点にたいして、「それでは勝てないよ」、国鉄労働者が立ち上らなければ勝てないよというストライキだった。 その弱点が国労のなかにあるかち、団結していない、清算事業団の組合員は国労執行部や本州にたいし、ものすごい不信感をもっている。
 もうひとつは、清算事業団闘争に勝つためには、清算事業団の労働者と、JRのなかで迫害を受けているJR本体の労働者が、自らの要求をかかげて一緒になって決起するということをやらなければ、絶対に勝利の展望などでてこない。これが動労千葉の主張です。
 動労千葉の場合には、反合・運転保安だし、強制配転者の原職奪還だし、運転士登用の差別選別を許さないたたかいなんです。そういう一体となったたたかいでなければ、敵を圧倒する迫力ある、熱気あふれるたたかいを展開できるはずがない。われわれは、それを12・5ストにこめてやりぬいた。
 このストは全国に大変なインパタトをあたえ、国労の清算事業団が、あれで固まった。
 もうひとつは、われわれ12名、全国2千名、国労組合員が圧倒的に多い。千名の清算事業団が、そのまま前進していくという構造をつくらなければ、十二名なんか切りすてられていく。この構造でがんばっていくことによって、清算事業団問題の決着をつける展望、これが戦略なんです。

 12・5スト、北海道、九州で拍手喝采ですよ、「国労がやれないことを動労千葉がやってくれた」と。だから政府が11月21日に「再就職」案をだしたが、誰も応じなかった。
 そういう効果、たたかいとはそういうものなんですね。12月5日のストは、なにがとれたか、とれなかったではない。決着がついたかどうかではなく、決着をつけていく仕組みを、体制をどうつくっていくかです。そこがストライキの総括ですね。
 そして12月5日のストは、国労の1月18日のスト方針をひきだした。国労のなかに「動労千葉の12・5ストの成功にふまえて、国労は1月18日本線乗務員の24時間ストライキをやることを決定した」と説明している。

 なぜ1・18ストか
 12・5の後、次は2月末か3月と、みなさんは思っていた。1月は少しゆっくりできると思っていた。ところがどっこい、正月明けに18日スト方針がだされ、びっくりたまげた。各支部で「急すぎる」「やりすぎ」「唐突じゃないか」と。
 急すぎたことについては。執行部として深々とみなさんに.おわびしなければならない。しかし、18のストは国労が12月22日の戦長会議で決めたことであって、それを知ったとき動労千葉は、国労が乗務員の24時間ストをやれば、うちの組合員が特休呼びだしとか、B変仕業とかやらされる。否応なくストをかまえざるをえないと、こういうレベルで考えていたわけです。
 しかし、よくよく考えてみると、国労の全面和解方針というのは、中労委にあっせんを求めているわけで、中労委に時の氏神になって下さいと言ってるが、なるわけない。67件の勝利命令といっても、清算事業団、出向・配転いろいろある。結局どこかを入れて。どこかを下げるという話になるわけ。半分半分にするか? 三分の一にするか? 国労が引き下がるという話になる。それで労資関係が安定すればいいなんて感じ。
 国労は北海道と九州で少し穴があけば、本州をきりすてる方向で動いていることは、はっきりしている。これは政府も、JRも、清算事業団も、国労もそうです。とすると動労千葉は、いったいどうするのか?
 動労千葉の12名は本州だ。今回も「採用」お呼びでない。国労の方針で、2月、3月末とストにつき合っていたら、われわれの「現職にもどせ」という要求は、全然関係のないことになる。本州きりすてのためにストライキをやることになってしまう。
 だから、動労千葉独自のたたかいが必要、1月22日の期限切れ前に、「本州にも清算事業団がいる!」「北海道、九州だけでなく、本州からも採用しろ!]と。焦点は現地採用であって、九州は九州、本州は本州、北海道は北海道、ここに敵が一番抵抗している、絶対に採用しない。
そうであるなら、一番受け皿がある本州JRに、本州130人を本州に現地採用させることを突破口にして、北海道、九州へ広げていく戦略をもつことが正しい。その立場にたっためには、18日に国労と共闘体制を組んでたたかわなかったら、われわれの2月、3月闘争はない、という判断をした。
 国労幹部の思惑はいざ知らず、現に革同日共系は18日ストをやめることすら考えていた。しかし現場では、千葉のように国労組合員がストを要求し、スト破りするくらいなら動労千葉にいくという情勢が生まれ、国労はストをやらざるをえなかった。
 しかし、よくよく考えてみると、18日はタイミング的に非常に重要だと、効果的だという判断にたったのが暮れから正月にかけてですね。
 動労千葉の12名の仲間をとりもどすたたかいを、どうやったらいいのか?いろいろ考え、悩んできた。そういうなかで1月4日の執行委員会で、18日にやろうということになった。いろいろ激論をかわし、やはり国労に合わせるというのでなく、動労千葉としての清算事業団闘争を18日ストとして、積極的に位置づけた。
 さらに、暮れの27日に定年制の延長が提案される。
 津田沼の浜野支部長に年明けにも、不当処分という情勢のなかで、1月18日をきちっとやろう、ということになった。
 だから、動労千葉の清算事業団闘争であって、国労の全面和解方針と断固対決するストライキであった。その核心は、本州の原地採用を突破口にして全国に拡大する方針が、一番正しいということを明らかにしたたたかい、本州きりすてを絶対に許さないたたかいだったのです。
 国労と共闘しようと話し合いもしたけれど、ウンウンというだけではっきりしない、要するに動労千葉と共闘したくないのだ。旗びらきでエールの交換しようと提案しても、国労は拒否した。なぜなら国労の全面和解方針が、本州きりすてだから、動労千葉と共闘できないということですね。
 国労は全動労に共闘を申し込んで、断られている。しかし、われわれには共闘の申し込みすらしなかった。われわれと共闘しなければ、困るのは国労のほうだよ。動労千葉がどんどん方針を決めていけばどうなるのか.たとえば2月下旬に清算事業団24時間、3月ダイ改で24時間と、48時間かまえたら国労はこまるでしょう。津田沼や千葉転みたいなことが、また起こりますよ。「スト破はいやだ」と。
 共闘をかたくなに拒否するなら、話し合いを続けるだけではマンガになる。それなら、われわれのやり方で実力で共闘をつくっていくしかない。その方向で事態はすすんでいます。

諸悪の根源はJR・革マル体制
 こうした問題を考えるとき、何が一番問題かというと。JRと革マルJR総連との結託体制、これがいっさいの元凶、諸悪の根源だということですね。清算事業団の問題も、事故の問題も、士職の登用、強制配転の問題もすべて、この結託体制に原因がある。
 この体制をガタガタにすろことが、当面する最大の目標があります。ここをつき崩す度合に応じて、われわれの要求も前進する関係にある。
 いま、かれらは内部対立と矛盾の噴出に、さい悩まされている。とくにJR東日本、とりわけ松崎のもとに集中している。1年目にJR総連内の社会党系の役員を全部外した。2年目になると民社系鉄労をぜんぶ外し、統制処分だ除名だなんて言っている。表現の自由もない、動労時代の革マルそのもの、異をとなえると組織破壊攻撃に手をかした、となるわけ。だから、JR総連は革マルだけ、少し自民党系の鉄労がのこっているだけ。本来の鉄労系はもういない。外された連中が春から夏に動きだすなんてウワサがある。しかし悲しいかな、連中は当局を頼りにして、自分の力で革マルと対決するのではないところに問題がある。こんどJR総連が、自民党を13人すいせんしていますが、11人が東日本なんです。千葉の林大幹に年金で世話になったとかいって、連合は「年金やったのは連合だ」なんて怒ってるそうだよ。
 連合は「自民党過半数割れ」が方針、連合傘下のJR総連が自民党を推薦するから、おかしなことになってくる。しかも東日本が11人も、これほど松崎の危機感をあらわしているものはない。
 つまり革マルは自民党にすがるしかない。JR・革マル体制とは、JRの幹部が革マルと手を結んでいる体制だから、幹部が人事異動でぶっとばされたら.、革マルと手を結ぶ者は誰もいなくなる。
 JR人事は自民党の政治判断でやっているわけだから、松崎は自民党に「どうか今の住田さんたちをのこして下さい。革マルを手先に使ってくれる飼主をのこして下さい」と、お願いするしかない。恥も外聞もない、連合も組合も関係ない。茶番劇だよ。推薦された自民党も困っているだろうよ。
 一方では千葉転の永島問題(革マル分子永島が点呼中に当局に暴行を働き職場放棄した事件)みたいな、考えられないような事態が起こっている。国労や動労千葉にたいしては、ありとあらゆる差別選別をやっている当局が、勤務放棄をした永島を、かばっている。これは異常ですね。 かれらは冷静さを失っている。どんな理由があったにせよ、職場放棄ですよ。団交でそれを追及すると、いきなり当局は「当局側も悪かったかも知れない」とか「どっちが悪いかわからない」とか「なんか理由があったかも知れない」と言ってかばう、それに今の千葉支社の異常さが、はっきりとあらわれている。
 われわれは許さない、つかんだら放さない。徹底的にやっていく。「子供が病気だ'.た」とか言ってるそうだが、それなら始めからそう言えばいい。なぜ助役と大ゲンカして、大立ち回りして、黙って家へ帰ったりするんだ。そんな必要ないだろう。永島と当局はそういうウソを言ってるそうだよ。われわれは絶対に追及する、徹底的にトコトンやる。
 JR体制、分割・民営化体制、もっと正確に言うと、JRと結託したJR革マル体制でしょう。どこに弱点があるかといえば、革マルとJR総連なわけ。この最大の弱点にむかって徹底的に突いていく。

 大国主義と派閥政治では勝てない。
それから、3、4月に向かって、全組合員が一斉に組織拡大をやっていく。とりわけ運転職場、633名中、動労千葉は347名、56%ぐらい。やはり運転士を6割7割にしていく必要がある。24時間、48時間、72時間とエスカレートしても、むこうはスト破り体制かまえてくる。だから本質的にはスト破りをやらせない体制をつくることと、組織を拡大することですよ。
 こんどのストで当局が使った金は一億円、うちは300万円、電車は少々動いたが、一億円の出血を強要し、物質的打撃を与えた。
 しかし、問題の環は、組織を拡大することです。とくに千葉転、津田沼で、協会や共産党は派閥に属してない組合員の面倒をみないことがはっきりした。これは氷山の一角です。
 国労は20万のときと同じように3万になっても派閥の縄張りあらそいばかりをやってる。国労の真の利益や全体の利益のことを考えない。だから国労組合員は、なにかあると組合に相談するのでなく、派閥に相談する。こういうやり方を今でもやっている。ここを改めないと国労は、大変なことになると思っています、千葉転で分会の執行委員のほとんどが、動労千葉にきた、なぜか? そこを国労の諸君に考えてもらいたい。
 口で大国主義を反省すると言ってますが、本当に現場のストをやる労働者のことを考えていない。そこを反省しないと国労は、本質的互解の局面に入っていくと思いますよ。
 そこを確認した上で、国労との共闘をつくりながら、JR総連、鉄産労をターゲットにした全面的な、組織拡大をやっていく。とくに運転職場のまじめな組合員を、獲得していく、そうでないと、かれらはかわいそうですよ。結局は利用されるだけ。
 これはJR総連を互解さしていくたたかいで、動労千葉はガンガン、ストを撃つ、そして組織を拡大していく。
 もう少しすると必ずJR総連から脱退がでる段階がくる、そうなると、われわれの勝ち。そうでしょう、新採との関係でいえば、いずれにせよ来春から新採をとるでしょう。高卒もとるけれど過年度をとる、まちがいなく。いま18才から25才までがいないから、年齢構成からしても過年度をとらざるをえない。新採はだいたい営業にいく、だから、営業にも組織を拡大する展望を、いまからつくっていかなければなりませんね。新採があっても動労千葉加入ゼロでは、話にならないということです。

 ストライキこそ絶対的な手段
 12・5、1・18ストの総括の視点は、ストライキこそ、組合を防衛し敵に打撃をあたえる絶対的手段だということです。
 ストライキは安全であるということ、敵は弾圧できない、ストライキは賃金カットだけ、業命拒否は処分をやられる。国鉄時代はストライキは違法だったから、職場抵抗闘争とか、いろんなことをやった。いまは職場抵抗闘争やると業命がでて処分ですよ。だからストライキは安全かつ絶対的手段であることが、はっきりしたということです。
 たとえば乗務員なんか、やたらと研修会をやって、いやだと言っても業命でひっぱりだすから、年休がとれない。仕事がまわらない。「なんとかしろ」と。業余拒否すれば処分される。どうするか? 指名ストというやり方もある。
 研修、講習やるなら「要員よこせ」と要求する、よこさなければ指名スト、動労千葉の運転職場は、誰も研修にでないということになると、こまるのは向こう側。まあそういうやり方もあるということです。
 銚子でも話しましたが、ストライキのときスト破りを抗議するのは違法ではない、むこうは現認、現認なんてやってくるけど、処分はできない。スト破りに抗議する、カメラ、ビデオ、まったく合法的な権利、口で何を言っても「暴言」にならない。物理的にやらなければ、何を言っても処分にならない。ストでないときに、これをやると暴言だなんだと処分やカットをやってくる。
いずれにせよ、もっともっと研究し、ストライキを有効に活用し、どうやったら敵に打撃を与えることができるか。考えていかなければならない。
 JRは、団交やっても問答無用、何をやっても業命、好き勝手にやってる、現場で。これに対抗するにはどうするか、ストライキを軸にいろんなことを考えて、みんなでやっていくことが重要です。問題は賃金カットだけ。
 JRが問答無用のやり方でくるから、われわれはストをやらざるをえない.好きでやってるわけじゃない、やりたくてやってるわけじゃない。ストをやらせるJRが悪いんだというところまで追い込んでいこうと思ってます.

業務移管と組織分裂の攻撃
 この間のたたかいは、あまりにもうまくゆきすぎている。そもそも動労千葉750名で、こんなにうまくいくはずがない。
 むこうはシャクにさわっているから。やってきますよ。動労千葉をつぶしにかかってきますよ、必ず。ひとつは業務移管、もうひとつは組織分裂いろんな形でやってくる。去年一年のプラマイ、退職ふくめてマイナス3名です。 今年は春から縁起が良いじゃないですが、プラス8名、これを死守していく、マイナスになったら意味がない。業務移管は、津田沼、千葉転をなくすとか、勝浦なくすとかやってくる。勝浦は30年前から当局は言っていたが、われわれは30年間それを阻止してきたわけです。成田がやられたでしょう、つぎのターゲットは勝浦、基地絞廃合をふくめてやってくる。なんとか動労千葉をガタガタにしょうと考えている。
 しかしね、業務移管で東京にぜんぶ持ってっても、東京一極集中とか、地方の時代とか言ってるときに、東京は賃金1万円多い、勝浦はいまでも無給地だものね。(笑い)
 業務移管なんて、まともな民間会社のやることじゃない、土地は高い、人件費は高い、なんで東京へもっていくんですか。しかし敵がやってきたら、われわれはやりますよ。24とか48とか、そんなけちなことではなく、徹底的にやりますよ。
 JRも革マルも、動労千葉のことを良く思っていませんね。事故だ、差別だ、ストだ、と年中さわいでいるからね。「あんなうるさいは組合ない方がいい」と思ってますよ。そうでしょう、みなさん。
 JR総連は、国労より動労千葉は難物だと思っていますよ。そりゃそうだよ。10年前われわれは革マルに勝った。革マルとのケンカの仕方を知ってるからね。当局は本気で革マルを抑えるつもりなら、われわれを保護育成しなければならない? (笑い) これはじょうだんですが、われわれは革マルの強さも弱さも、やり方もぜんぶ知っている。だから当局にしても、国労も、鉄産労も、革マル包囲網なんて言うぐらいなら、動労千葉に学ばな
ければならない。

決戦としての2,3月闘争
 清算事業団決戦の最大のヤマ場は、2月下旬だと考えています。なぜかというと、清算事業団の2千名の首を切るためには、労働基準法上からみて1ヵ月前に解雇予告をしなければならない。だから2月28日に予告通知が出れば、3月31日に首なんです。
 千葉では、1月30日に公益委員会の結論がでて、約一週間後に地労委の命令がでるそうです。2月10日までの上旬ですね。ほぼ勝利命令だと思っています。国労は、解雇通知予告が出なかった場合、ストライキを落とすという感じになると思いますね。
2月下旬は、48時間かまえたい。清算事業団とダイ改、昨日労働条件がだされました、幕張の交検とか錦糸町の派出とか、勝浦と館山の事務とか、木更津の仕業・検査など、要員減です。これに対抗して、要員問題と反合・運転保安と結合してやっていく。
 それと強制配転の問題、動労千葉は75名が残っている。2年すぎて二号俸カットされている。さらに士職の登用問題。少なくとも営業から運転へ「いつ戻すのか」はっきりさせなければいけない。さらに不当処分、配転の問題を一体のものとしてやっていく。
 2月の18日に総選挙があります。その結果がいろんな形で影響がでる。少なくとも自民党を、過半数割れに追いこまなければならない。動労千葉は社会党を推薦して全支部全力でやっていきたい。社会党も問題があるけれど、少くなくとも「労働委員会の命令」をまもらせることぐらいは、やってもらう。
 2月末は微妙ですよ。清算事業団広域応募は79人、九州でも北海道でも公的部門に集中している。枠を何倍もこえて。そうすると1600とか1700とかが、このままいくことになる。これをぜんぶ解雇できますか? 政府は「一人も路頭に迷わせない」と言ったんだから、できますか? やったら相当大変な状況になりますよ。
 問題は職場のたたかいにかかっています。中労委をめぐる問題にしても、60年安保のときの炭労三池闘争以来30年ぶり。時の総評は総資本対総労働といって、大動員してホッパー前で、.警察・ヤタザとたたかい、死者まででた。池田内閣は閣議決定して、藤林あっせん案を示し、総評はこれをのんだ。結局どういうことかというと、会社が一旦解雇を撤回し、一ヵ月後に労働者が自ら退職するという方法。
 いまの労働委員会をめぐる労使攻防は、30年ぶり、それをやるためには、内閣がのりだしてくるぐらいやらなければダメです。いまのように「第四次広域採用・公的部門200」「ハイ、これでお手並拝見」みたいなことをやらしてるようじゃダメです。
東日本なんか8千も1万名も受け皿あるんだから、炭労の場合と状況がちがう。政府をひきずりだす状況をつくる、そういう迫力のあるたたかいをつくりだすことが重要です。

 九〇年代労働運動とは?
●八○年代以上に労働運動の質が問われている

 いままでもそうでしたが、それ以上に90年代は労働運動の質が問われる。指導部、組合員、組織全体が、質の高い、レベルの高い運動を展開する、そういう中身が重要になってくると思います。
 ひとつには、国鉄清算事業団闘争です。JRをめぐる攻防は、たんにJRだけでなく全労働運動的位置をもっていることを認識していただきたい。 たたかいの高揚次第では、連合路線なんかふっとぶような可能性を秘めた闘争である。連合の幹部は、清算事業団闘争やらないといってますが、首切り問題でしょう、首切りに賛成する組合だったら、これはもう終わり。だけど連合の下部の組合員は、首切り問題として、清算事業団闘争に、非常に共感をもってみつめている。だから連合路線を下からつき崩しかねない質を、清算事業団闘争がもっていることをしっかり認識して、清算事業団を軸に運転保安をもうひとつの軸に、突き抜いていく戦略をもたなければならない。

 敵を見すえ、味方の戦力をみきわめ

 90年代は、戦後の支配体制が根底的に変わってくるわけだから、むこうは凶暴になってくる。ぜい弱だけど凶暴になる。スト権があるにもかかわらず、スト破り体制を強化してくる。
 だから、敵をみすえること、何を考え、何をやろうとしているか。JRの場合は、JRとJR総連革マルが結託して攻撃してくる。公休、特休を呼び出し、スト破りやらせるなんてことは、並の経営者のやることではない、革マルと結託しているから、ああいうことが起こる。そこを見すえないと、大変なダメージを受けることになる。国労も、もう少し真剣に考えた方がいいと思います。
 つぎは、味方の戦力を見きわめること。運転士の数も戦力だが、支部の体制、動労千葉は解雇者28名、清算事業団12名、強制配転で多いときは100名以上、もっていかれた―いまの支部の体制は、労働組合活動にあんまり訓れていな、経験が少ない.、やはり大変ですよね。しかし今度のたたかいで、そうとう飛躍しましたよ。ポイントはここです。支部体制の確立一この2波のストライキ、各支部のがんばりにたいし、私は敬意を表するとともに.私なりに自信を深めています。この3年間、各支部はそうとうダメージを受けてきましたが、今度のたたかいで前よりも力強い体制をつくりあげていくキッカケをつくった。ここが勝負ですね。
 もうひとつは、どんな小さなたたかいでも、一つ一つ決戦としてやりぬく、油断も隙もあたえず、全力で決戦としてやりぬくこと。とくに90年代は、いい加減にやると痛い失敗をすることになる。蟻の一穴になりかねない。そういう時代がきているということ。
 もうひとつは、獲得目標をきちんと、明確にしてたたかうことです。表むきの目標や要求だけではなく、それとあわせて、われわれの獲得するものは、対当局との力関係とか、広がりの問題とか、JR総連にたいするたたかいの問題とか、そこをみんなで明確にして、獲得していくことです。
 たとえば、ストライキやっても「成果があがらない」とか「金がムダ」だとか、そういう意見があるでしょう。
 長い間、民同労働運動がつづいたから。民同は組合員を信頼していないから、ストライキしても何かモノを与えないと納得しないと思っている。.だからどんな譲歩をしても「モノ取り」に窮々する。これからは、簡単にモノはとれない。いままでだってわれわれのストライキ、三里塚と分割・民営化のたたかい、モノをとるたたかいではない。
 モノをとれるなら、団体交渉でとればいいわけで、ストライキをやって、われわれの力を誇示する! そこのところを現実に即して、考えていかなければいけないと思しまます。
 さきほども言いましたが、中途半端なたたかいはやらない、はじめたらトコトン貫徹する。そうでないと不完全燃焼でおかしくなっていく。
 もうひとつは、孤立を恐れないが、常に連帯を追求するということです。連帯を求めて孤立を恐れず―70年の全共闘の言葉がありましたね。われわれのたたかいは、一見孤立しているかのように見えるが、われわれは主体的に多くの労働者に連帯を求めるし、たたかいの裾野が、どんどん広がっていくようにしなければいけない。それが自力・自闘・連帯の精神であります。
 たとえば、物販とか交流センターのたたかいをやっていますが、今度の2波のストライキが相当なインパクトを与えていると思います.全国に動労千葉を応援する労働者を一万人つくる、不可能じゃないです。
 それと同時に、国鉄戦線のなかに動労総連合の広がりを、どうつくっていくのか。西日本、水戸、高崎を広げていく、できていないところにつくっていく工作をやる。JR総連が解体していく過程と、いっしょになっていくと思います.
 以上のことが、90年代の初頭の労働運動の課題と展望ではないかと思います。長い聞どうもありがとうございました。
(拍手)