鉄建運輸機構側-事実経過に関する求釈明にまともに答えようとせず!鉄建公団訴訟第7回公判

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鉄建公団訴訟第7回公判開かれる(6/14)
鉄建運輸機構側-事実経過に関する求釈明にまともに答えようとせず!
1047名の団結をさらに強化し、解雇撤回に向けて闘いぬこう!

6月14日、10時から、東京地裁・710号法廷において、動労千葉9名の清算事業団解雇無効を争っている「鉄建公団訴訟」の第7回公判が行われた。
法廷には、弁護団を先頭にして、各支部から参加した組合員をはじめ動労千葉支を援する会、国労闘争団鉄建公団訴訟原告団代表、全動労争議団代表等々、法廷が一杯になる中で公判が開かれた。

動労千葉が暴力を振るったとウソの主張

この間、動労千葉争議団は、動労千葉が分離・独立して以降の国鉄による動労千葉敵視の政策及び労働処分を理由としたJR不採用ー清算 事業団送りとしたことの不当性、清算事業団での日常業務の実態、清算事業団解雇の不当性等に関して事実を踏まえて主張を行ってきた。これに対して鉄建運輸 機構側は、まともな認否を行う姿勢を見せなかったことから、今回の公判に向けて求釈明を提出して具体的な認否を求めてきた。求釈明では、①動労千葉結成時 における国鉄の敵視政策の実態、②中曽根元首相の言動、③動労千葉の分割・民営化反対ストライキに対する大量解雇、④名簿不搭載の「基準」(停職6ヶ月又 は停職2回以上)がいつ、どのような経過で、誰によって決められたのか等々について、具体的に認否することを求めてきた。
しかし、鉄建運輸機構側は、書面で一応の認否を行ってきたものの、その内容は極めて不誠実なもので、中には全くデタラメな内容も含まれていた。とくに、 80年4月15日に、当時の津田沼電車区で動労千葉が春闘集会を行っていたところに動労本部300名が襲撃してきたことについて、「動労千葉組合員が津田 沼電車区構内において集団的暴力行為を行ったために、懲戒免職等の処分を行った」として、「動労千葉が暴力を行った」などとありもしない全くデタラメな主 張を行ってきた。この動労本部の襲撃事件では、投石で重傷を負った組合員がいたにもかかわらず国鉄当局は、布施組織部長(当時)を日鉄法で懲戒解雇するな ど動労千葉だけを処分したのだ。この事実だけ見ても国鉄が動労千葉をいかに敵視していたのかが明白だ。

都合の悪い中曽根発言は知らない?

また、中曽根元首相がこの数年来、雑誌やNHKの討論番組に登場して、「明確に組合潰しを意識してやった」と公言するなど国家的不当 労働行為を行ってきた事実を認めていることについては、書面では一言も触れず、認否もしないという、全く不誠実な対応であった。弁護団が法廷において代わ るがわる徹底的にこのことを追及すると鉄建運輸機構側はやっと「不知」との答弁を行ってきた。自分たちに都合の悪いことは「知らない」とシラを切るつもり だ。しかし、多くの人が雑誌を読み、テレビを見て知っており、その事実を動かすことができない以上、知らないなどと言って逃げることはできないのだ。

不採用基準は、いつ、誰が、決めたんだ

さらに許せないのは、原告9名を含む動労千葉組合員12名をJR不採用ー清算事業団送りとした「停職6ヶ月又は停職2回以上」という基準がいつ、どのような経過で、誰が決定したのかは一言も触れていないのだ。
87年初頭、JR東日本をはじめとした本州では定員を割り込むことが明らかになっていた。本来であれば不採用者が出る理由は全くなかった。しかし、動労 千葉や国労組合員を1人でも多く排除するために急遽「停職6ヶ月又は停職2回以上」の「基準」が作られ、本州では動労千葉12名をはじめ約100名がJR への採用を拒否され、清算事業団送りとなったのだ。
しかも、この「基準」は、それ自体、分割・民営化の過程では存在すら明らかにされてこなかった。誰が、いつ、どのような根拠で決めたのかも分からない「基準」で、労働者の首を勝手に切ることがどうして許されるのだろうか。
弁護団は、鉄建運輸機構側のこうした対応に対してあらためて批判するとともに、次回公判(8月30日、11時から)までに再度求釈明を行うことを明らかにして公判を終了した。
公判終了後には報告集会が行われ、弁護団からの状況説明を受けた後、国労闘争団鉄建公団訴訟原告団の代表や全動労争議団の代表、国労5・27臨大闘争弾 圧当該からのあいさつを受け、1047名の団結を守りぬいて解雇撤回に向けて闘いぬくことが確認された。
不当労働行為はあったが解雇は正当とした昨年の「9・15反動判決」を乗り越え、1047名全員の解雇撤回をかちとるために、裁判傍聴に結集しよう!

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