事故を起こした仲間を守りぬこう 指差喚呼を責任転嫁の道具にするな!

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鉄道総研元主任研究員の指摘

「失敗のメカニズム」という本が角川文庫からだされている。著者は芳賀 繁(はがしげる)という人で、立教大学の心理学科教授であり、かつては国鉄労働科学研究所の研究員や鉄道総研の主任研究員なども経験している。
この本のなかで著者は、指差呼称(JRでいう「指差喚呼」)がミスやエラーを防止する効果があることを指摘した上で、最後に次のように述べている。

 指差呼称に対して過剰な期待を抱かないよう念のために注意しておきたい。設備などの改善を怠ったまま指差呼称の励行のみを指導することは、安全責任を個人の作業者に押しつける道具として指差呼称を利用しているようなものである。
指差呼称は安全対策のメニューのひとつに加えるべきものではあっても、それが安全対策のすべてであってはならない。
また、やたらに頻繁な指差呼称を強制することによって、かえって確認動作が形骸化(けいがいか)してしまう例もある。

今のJRにこそ聞かせたい

これは今のJRにこそ聞かせたい指摘だ。あの尼崎事故の後の原田支社長の談話は「基本動作や安全確認の徹底を指示しており(JR東日 本は)現状でも安全性に問題はない」であった。尼崎事故の後、「JR発足以来の大惨事発生」という表題で職場に掲出された唯一の指導掲示は「決められたこ とは確実に実行する、お客さまの立場にたった接遇、制服の正しい着用、執務の厳正」・・・・・たったこれだけであった。要するに後にも先にも「基本動作を やれ」というだけなのだ。

9秒に1回の指差喚呼!

会社の幹部や現場の管理者が「安全」について語るとき、その話はつねに判で押したように「指差喚呼の徹底」にほとんどが費やされる。 だが、それこそ無能の極みというべきものだ。あるいは安全について真剣に現場と向き合う姿勢が全くないことを示すものだ。まさに「安全責任を個人に押しつ ける道具」としてだけ指差喚呼が使われているのである。
この間も述べてきたとおり、例えば、総武快速線で千葉駅を発車して稲毛駅に到着するまで(運転時分3分30秒)の間に定められている指差喚呼は23回に 及ぶ。9秒に1回の指差喚呼が義務付けられているのである。そんなことを乗務中ずっとやり続けるなど不可能なことだ。これは「やたらに頻繁な指差呼称を強 制することによって、かえって確認動作が形骸化する」以前の問題だ。
団交で実態を訴えて改善を求めたが、まともに議論しようとすらしない。
なぜこんなマンガ的なことが起きるのか。無理だろうが何だろうが、決めておけば「指導」してあったことになり、会社の責任は逃れられるからである。だがそれは、こと「安全」に関しては、絶対にやってはならないことだ。

起きるべくし起きた事故

4月6日の幕張構内事故は、こうした「指導」の必然的な結果に他ならない。入換信号機の冒進事故は幕張のみならず、電車区構内でずっ と繰り返し起きてきた。つまり個人の責任に期して解決つく問題でないことははっきりしていた。幕張では入換が最も頻繁なこの箇所にATSを設置してほしい という要求があがり続けていた。さらには、事故が起きた箇所は、洗浄機のランプでつり込まれそうになるという声もずっとあがり続けていた。・・・・・こう した現実は全て「コストがかかる」等の理由で無視され、「基本動作の徹底」だけで済まされてきたのである。
とられた対策は、事故を未然に防ぐのではなく、03年に2件の入信冒進事故が続いた後、「冒進が発生した場合の影響を最小限にする」として、信号所に防護無線をつけたことぐらいであった。冒進したら防護無線を押せということだ。
今回の事故でも、関係者が防護無線を発報しなかったことや、あわてて列車を後退させてしまったことが問題視されているが、それも、事故を起こしたときの 人間の心理状況や「焦燥(しょうそう)反応」ということを理解していないものだ。「焦燥反応」とは、あせり、あわて、先急ぎの気持ちから、きちんと認知・ 判断する前に動作・操作をしてしまう(あるいはできない)ことをいう。こうした人間の性質をふまえたものでなければ、それは安全対策とは呼べない。
しかも、日常的に些細なミスが徹底的に追及されるような職場状況の中では事故を起こしたときの「焦燥反応」がより激しくなることは明らかだ。
事故責任の個人への転嫁を絶対に許すことはできない。明日はわが見だ。裁かれるべきはJR当局だ。事故を起こした仲間を守りぬこう!

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