労働運動として労働委員会を闘う — 葉山岳夫(動労千葉 顧問弁護団長)

 2015年6月の最高裁決定は、被告の鉄建公団(鉄道運輸機構)の上告を棄却し、同時に「解雇を無効とし採用せよ」という動労千葉側の請求も棄却した。しかし、地裁・白石判決、高裁・難波判決の「不採用基準は分割・民営化に反対する動労千葉などの組合員であることを理由とした不当差別である」については維持した。
 高裁判決については、難波裁判長は国労の裁判では〈停職6か月以上または2回以上〉という不採用の基準は明確だとして組合側の請求を棄却した(05年9月15日)。
 しかし、動労千葉12人については、自らの判決を覆して、国鉄分割・民営化に反対する労働組合の組合員であることを理由にした不当差別だとして不当労働行為と損害賠償請求を認めた。不当労働行為について一定の勝利をもぎりとりました。
 この過程において、動労千葉と国鉄闘争全国運動は当時から単なる裁判闘争ではなく労働運動の一環として裁判闘争を闘い、傍聴闘争や署名運動を展開し、最高裁では9次の提出行動、10万筆以上の署名を集めて裁判闘争を展開した。
 裁判を労働運動の一環として位置づけて実行された。これが一定の勝利につながった。動労千葉や全国の支援の活動が大きな成果をあげたと思います。
 ところが、JR東日本は「最高裁決定とJR東日本は無関係」として団体交渉を拒否し、斡あっせん旋も蹴っています。
「斉藤英四郎」の画像検索結果 しかし高裁段階において弁護団は、井手正敬とJR連合の会長らとの懇談会議事録を明らかにした。当時、JR設立委員長だった斉藤英四郎の所へ井手と葛西が出向き、活動家を不採用にする基準の作成を陳情した。斉藤も「活動家が新会社で暴れてはたまらない。一定の基準をつくることは大賛成だ。葛西君つくってくれ」となり、葛西が基準をつくった。
 設立委員会の斉藤委員長が不採用基準の策定に関与したことについて裁判では事実調べはできなかったが、高裁段階から明確にしてきた。
 国鉄改革法23条では、職員採用については、名簿を国鉄が作成し、設立委員会が精査して決めることになっていた。名簿作成と採用を2段階に分離した上で、設立委員会は関与していない建前で進んだ。
 団体交渉を国鉄や設立委員会に申し入れても、設立委員会は「関与しないから団体交渉の対象にはならない」、国鉄側は名簿作成は設立委員会の基準に基づいてやるから団体交渉の対象にはならないとして、双方とも団体交渉を拒否した。
 国鉄改革法23条5項は、職員の採用について、「設立委員がした行為は、承継法人(JR)がした行為とする」という規定が入っている。不当労働行為も〝行為〟です。不当労働行為をなした場合は新会社に及ぶ。これは彼ら自身が明記した法律上の規定です。
 そういう経過で葛西が不採用基準をつくって、1987年2月3日以降、この不採用基準で外せと全国に連絡した。ただし、当時の鉄道労連など分割・民営化路線に合致する者は外さなくてもいいとして、児童買春などハレンチ行為で停職処分になった者らは採用する格好で名簿の作成をした。
 それで設立委員会を2月12日に開き、斉藤英四郎がつくった不採用基準として設立委員会の場で決議している。これは労働省の『資料・労働運動史』昭和62年版にも明記されている事実がある。斉藤個人だけでなく、設立委員会も関与している。
 それが15年6月の最高裁決定で不当労働行為として認定された。国鉄改革法23条5項により設立委員会のした行為はJRの行為とみなされるので、これは不当労働行為をJRが行ったことにほかならない。
 ここがJR東日本の最大のウィークポイント(弱点)です。彼らは表面的には「国鉄がつくったものだ。関係ない」と押し通す格好でやるのですが、法律上はJRの行為として現在に至っている。
 これをどう突破するかが大きな課題です。初めからJRの不正義性は明らかですが、隠蔽に隠蔽を重ねている。これをどのように認めさせるか。
 これは労働運動の一つの大きな運動として展開しないと弁護士だけががんばってもうまく行かない。労働委員会闘争を労働運動として展開することが何よりも必要です。
 いま労働委員会は非常に反動化している。かつて千葉県労働委員会では、自民党副幹事長だった甘利の証人調べを決定したこともある。それから激烈な反動が生じて、労働委員会が萎縮してしまった。そういう状況をどうひっくり返すのかも大きな課題です。
 労働運動としての労働委員会闘争は国鉄1047名解雇撤回闘争の大きな柱になる。これは正義の闘いです。弁護団も皆さんと共に闘っていきたい。

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