労働学校通信

第9期No.9


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*16:30より講師を囲んで懇親会を予定いたしております(会費1,000円)

労働学校通信 第9号 (2009.12.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

基本に返って

 問題は新しいことでもない、基本の、自らの職場とか、自らの地域で本当に、地を這うような団結を作るってこと。当たり前のことを言っているようですけれども、ここで僕らは変わらなきゃいけない。ここだろうと思います。
 例えば、今回の集会でよかった点は、この1年間の実践の中で、今日も参加してもらっていますけれども、必死になって悪戦苦闘して労働組合として立ち上げたようなところ、あるいは労働組合として本当に脱皮して階級的団結を作ってきたようなところが次々と発言できるようになったことです。
 もう一皮むけよう。もう一皮むけて、現場の労働者、地域の労働者と向き合って、その労働者の苦しさ、何もかも含めて僕らが見定めて。だけど、それは階級的団結と、階級闘争を貫くマルクス主義の中にしか一切の解決はないという原則を貫く。そこで、苦しみ、苦しみ、苦しみ抜いてやれば、僕は来年1万人来るという気がします。
 1年間、自分がひとりの労働者として、あるいは労働運動のリーダーになっていこうという決意を固めた者として、本当に労働者の信頼を得ることができるのか、ここで勝負をしていこうと。自分自身が、もう一回あらためて原点に返ってやろうと思っています。

変わる中でこそ

 この年末から、昨日も幕張で執行委員会をやって、目の色を変えてやろうと意思統一をしてきました。ここで、この年末から来年にかけて動労千葉だって、絶対に一皮むけて、みなさんの、本当の意味で前面に立てるようなところに脱皮する決意です。だから、攻撃の渦中で初めて展望が出てくる。なんか、表面上なんもない時には、何もいかないですよ。
 そういう意味で言うと、この大恐慌情勢、労働者は本当に痛めつけられているから簡単には言えませんけど、大歓迎です。僕らは、こういう大変な渦中でしか展望をつかみとれないじゃないですか。だけどその分、今までの意識でいたらいかないですよ。その分、こっちも敵以上に必死になったときに、あらゆるものが、これまでの姿を変える、変わる中でこそ展望が出てくる。
 そうしたものを含めて、11月集会で切り開いた地平があり、そこでぶつかっている壁を、僕らは明確に認識をする。とすれば、後は基本に返ってやりぬくだけだろうと思います。
(委員長あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

☆田中委員長の11・1の総括より、集会賛同が過去最高と伺い、世間の労働者の方々も、今の社会はどこかおかしいと感じていることのあらわれではと思いました。また、自らの職場、地域での団結を作ること、ちょっと気を抜くと団結を維持できないという話も共感し、どう長期的に維持していくのかを考え、とり組んでいかなくてはならないとあらためて感じました。
 藤村先生の講義の中で、共産主義者はわけのわからない思想の持ち主と思われがちであるが、とのことでしたが、私も自分が組合に入り、マルクスのことなどを知るまでは、共産主義=偏った思想という偏見がありました。ですが、共産党宣言などを学んでいく中で、共産主義者というのは、職場(現場)での闘う労働者であること、個人でもあり、集団でもあり、団結を広げていくことと、今日、とてもわかりやすく教えていただきました。自分の身近な人たちにもこのことを伝えていきたいと思いました。
質問の中でどんなに遅くなっても次の日には本当に這ってでも会社に行かなくてはならないということは、とても実感していますし、資本主義のあらわれで、アソシエーションが登場したらどのようになるのか、少し楽しみでもあります。2回にわたり、分かりやすく教えていただきましてありがとうございました。

☆あらためて『共産党宣言』をプロレタリアートとしてとらえ返すことができ、ありがとうございました。本当に今を好機と思うほかありません。今回の講義の収穫の1つの、幸か不幸か敵の攻撃はとどまることを知らない−という認識の仕方、大好きです。こちらの方はどんどん鍛えられてゆくのみです。

☆宗教や道徳、哲学、政治、法は当然無くなるというのにはビックリした。国語、算数、理科、社会などという分け方もなくなるというのにも驚いた。「どのように生まれ変わるかは将来の人たちに安心して任せよう」というのは、本当に労働者の可能性、力を信じていて、諸悪の根源は資本なんだから、これを倒すことによって、今は想像できない素晴らしい社会が実現できるんだとわかって、ワクワクしてきた。
 田中委員長の「自らの職場でオーソドックスに闘って団結を作ろう。信頼を得られるようになろう」という言葉に「そうだ。頑張ろう」と思った。
 質問の時間に、労働者は政治と遮断されているというのは、たしかにそうだなと思った。だから時代認識と情勢を労働者に伝えることが大事なんだと思った。

☆「労働者の生き方」
 自分は労働者階級なのだというハッキリとした自覚をもち、労働者階級こそが資本主義を倒し、階級のない社会をつくる存在だということ。労働者の階級的団結を基礎に資本主義の社会を根本からひっくり返す共産主義者=共産主義者の政治的結集体としての党でなければいけないということでした。
 11月集会、訪韓を通して、数は少なくても動労千葉の闘いの中に未来があると言われたことが、実はすごいことなんだということをあらためて思いました。
 そして労働者は「労働者の論理」をもたなければならないという理念交流会のレジュメの中にもあったように、とことん支配階級の思想に支配されているということでした。
 マルクスは「現在の関係を絶対視しないでくれ!」「今までの考えはやめてくれ!」と言っているという。私たちはとことん職場生産点にこだわって「話し合って」11月訪韓をつくってきました。新しい未来を模索してつくっていくために。

☆11・1日比谷、11・8ソウル、ともに参加しました。国際連帯にかなり心が高まりました。今日の講義でプロレタリアートは現在、形成している国家を超えるということに心が動きました。心の高揚だけでなく現実の日常を、職場を、頑張りたいです。またよろしくお願いします。

☆講義の初めに動労千葉の田中委員長が、11月集会と訪韓闘争についての総括を提起して下さいましたが、本当にこれからが私たち労働者が職場に帰って自分の労働現場において基本的な闘いをしていかなくてはならないということに確信をもつことができました。
 私事ではありますが、10月の半ばに入院をしまして、職場にも労働組合の組合員にも大変な迷惑をかけました。(私は労働組合の執行委員長です)私たちの労働組合は今年3月に結成し、少数の組合員しかいません。それでも私が入院中には他の労働組合員が必死になって組合運動を、11月集会を組織していきました。今まで労働組合と11月集会とは別なものなんだと考えていた組合員の一人が、11月集会の組織者として賛同署名やチケットを売る側に立ってくれたのです。これは日々の闘い、労働組合運動の成果だと思っています。しかし、この労働運動は闘い続けていかなければすぐに違う方向へ(体制内へ転落するとか……)行ってしまう可能性もあるのではないかと考えます。
 今日の講義の中で“労働者の生き方”というのがほとんどすべて“マルクス主義”の中に凝縮されていると思いました。普段、なかなか思っていても表現できない部分が、ほぼ盛り込まれていました。私も労働運動をはじめるまでは、何か世の中が間違っていても「仕方がない」とか諦めていましたが、でもどこかでやっぱり「本当はこう思うんだけど」と思うことが何度かありました。労働運動を通してマルクス主義に出会い、先生のおっしゃっていた「この世の中のルールを労働者が吹き飛ばし、社会のあり方(国家)をすべて作り替えていく、それが革命だ!」と思います。でも、ただ革命だ!と叫んでいては、労働者は獲得できませんし、やはりこれからも並大抵ではないと思います。私も執行委員長として組合員拡大を必死になってやっていこうとあらためて思いました。
 11月集会を通して、訪韓闘争を通して、やはり“万国の労働者、団結せよ!”と思い、元気にこれからも現場の闘いをオーソドックスに作っていきたいと思います。

☆   [学んだこととか疑問とか等々]
*「共産主義者とは闘う労働者」のことをいう。こう書きましたがやっぱりハッキリしません。
*『共産党宣言』が書かれた1847年当時のドイツの現状、ブルジョアはどうだったとか、英国では労働組合が結構あったとか、そういう話が面白かったですね。
*階級闘争は政治闘争である。→政治権力をめぐる対立に勝利してプロレタリアートが権力を奪取してブルジョアジーの支配を打倒し、階級へのプロレタリアートの形成が第一段階=当面の目的だとすると、まだ何十年もかかるのか……とか考えました。
*疲れを知らない熱のこもった講義、お疲れ様でした。

☆本日はありがとうございました。労働者の生き方にて、ブルジョアに対して労働者と団結はときどき勝利するとかあるが、成功にあるとはなく、やはり団結だと思う。

☆前回欠席したので、今日、話の続きから聴くことになりました。しかし、講義がとても面白かったので、とても残念な気持ちになりました。今日の講義は『共産党宣言』に学ぶという副題でしたが、現在の日本の状況に即して説明をしてもらったので、私自身の置かれている立場とかよく理解できます。やはり政府の経済対策とか外交政策、財政問題に一喜一憂しているようではダメだなと思いました。
 テレビニュースでは政権交代などと言って、世の中が変わったかのように考えている人もいますが、もっと大きな流れの中で自分自身の生き方を考えていかないといけないなと思います。ありがとうございました。

☆前回の講義で、“共産主義”とは、の問いを課され、それは“階級対立を実践的に廃棄するプロレタリアートの歴史的運動”としました。今回はそれをより深める気持ちで運動の可能的根拠を追求できたと思っています。
 まず学習の前提に、去る11月集会の総括が主催者、講師から触れられていました。すべての労働運動が世界的にブルジョア体制と癒着して生き延びようとしてゆくのか、それともそれらを打破して展望を拓くのかの岐路に立たされてきた中で、“宣言”を捉え直すことに独特な実践的意味を感じとれます。問題は、プロレタリアートの運動をどのように捉えるかに運動の性格の違いがあると思いました。その歴史的意義とその理論的根拠の解明が今回の講義のテーマでした。2つ特に印象深く受け取りました。
 一つは講師もくり返しパンチを込めて強調していましたが、変革の根本は賃労働と資本の関係を転覆すること。階級社会の究極的姿である資本制の中心、価値形成過程そのものの中で、労働力商品でしかなかった存在が階級的な自覚をもった組織に転化することの意味です。団結です。そのとき資本は存在、可能性を失う。そのことを根拠にして生産手段を結合した労働者のものにすること。それは外からブルジョア社会を侵害するという意味ではなく、労働者が自分たちでつくったもの=資本を社会に返すという意味でしょう。
 いまひとつ、“共産主義”とは現にある賃労働と資本の対立関係に根ざした今の課題を徹底的に理論的につきつめた運動と言われました。根本の革命にとって自覚ということが決定的な意味を持つということです。プロレタリアート自身が実力を鍛え、決意し、次の社会建設に向けていっさいを引き受ける。そうしたことの意義と可能性を認識するということでしょう。
 現実の中で“党宣言”の内容が物質化されてゆく可能性が迫っていますが、来年の11月集会を一つのメルクマールにして、そのことを示してゆくことを誓おう。それが本日の結論でした。

☆☆11月1日(日)の全国労働者総決起集会(場所:日比谷野外音楽堂)、私は今回初めて参加しましたけど、5850人というすごい人数が参加していただきました。田中委員長は「チケット6千枚以上捌けた。一万人の予定でしたが、大成功だったと思う」とおっしゃっていました。あと「韓国から来た人は、驚嘆して帰って行きました。他国(アメリカ、ブラジルなど各国々)も賛同して、「帰国したらすぐにまねしたい」ともおっしゃっていました。私はさいたまユニオン代表として壇上で原稿を読み上げました。大分緊張しました。原稿の方だけに目がいって頭を上げて前の観客席の仲間達を見ることができませんでした。けど良い経験をさせていただきました。組合の同志達は信頼し合い、仲間を大切に、大事にしていこう、とも。私も田中委員長の意見に賛成です。「一人は万人のために、万人は一人のために闘おう」をスローガンにさいたまユニオンもがんばっていきます。
☆「生産力の発展とともに恐慌は手に負えなくなる」とは生産力が高くなると労働者(賃金)は低くなるという意味だそうです。労働者が主役に立ってブルジョア(資本家)社会を打倒して、プロレタリア(賃金労働者)革命に勝利する。一週間前に地元で勉強会をしました。「労働基準法について」ですが、組合に入っている人と入っていない人の違いがいくつかあることがわかって良かったです。「入っていない人はストはやってはいけない。団体交渉は一人ではほとんど相手にされない」などなど、勉強になりました。
☆今日の内容は「ブルジョアジーは支配できなくなってきている」「組織による労働者の革命的団結をもたらす」、それと「プロレタリアートの勝利はいずれも不可避である」という文面を読んで力づけられました。
☆「闘う労働者」とは、労働者階級の団結をつくり出すために闘うということである。

☆宗教、道徳、哲学、政治、法などの問題のことで、当然なくなるとありますが、階級がなくなれば宗教などは自然に消滅すると思います。
 「神か仏か」のありがたい話を聞いて、お布施を要求されることが多くあります。「貴方のためと言われます」が、資本と行っていることは同じような気がします。労働者階級が主人公になれば、学歴など不要になるので、「特定の人物」が偉いということはなくなると、私は思います。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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