労働学校通信

第Y期No.02

次回講座のお知らせ

5月20日(土) 13:00〜
 賃労働と資本について
 講師 藤村 一行(社会問題研究家)
 賃金労働者とは、資本とは何か、資本主義社会の経済的基礎を学ぶ
*親睦会も楽しみです(会費千円)

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労働学校通信 第2号 (2006.05.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

本質を見る力

 難しい話をします。難しいけれど、労働者ならちゃんと分かる話をする。そういう学校です。ですから毎回、毎回、1つだけ覚えてもらえばいい。
 今日きて、これだけは分かったと。全部分かろうなんて思わないで下さい。分かるはずがないんだね。そんなに生半可な事じゃありません。自分で勉強する、いろんな人の話を聞く。
  いろいろなものごとを、起こったことだけ(現象)を見るんじゃなくて、なんでこんなことが起こるのかということ(本質)を見る力というかな、そういうものをぜひ、1年間で培ってもらいたいと僕は思っています。

資本と労働者の関係という、基本

 藤村先生の方から、今月と来月やります、「賃労働と資本について」−資本と労働者の関係という、基本ですね。ここからまず入っていきます。 
 企業があるから我々が雇われているというのは真実だけど、我々がいないと世の中、何一つ動かないという核心を学んでほしい。
 だけど資本は賃労働を前提とし、賃労働は資本を前提とするといって、賃金労働者というのは資本がないと働く場所がないんですよ。同時に資本家の方も労働者がいないと成り立たないんですね。この悪しき関係を打倒しよう、粉砕しようというのが、言葉で言うと革命なんですね。
 労働者は資本家がいなくても立派にやっていけます。そのことをぜひ、今月と来月の労働学校で学んでほしい、少し覚えてほしい。これが基礎です。

労働者という誇り

 1年間通じて、今、みんなあまり誇りがないから、労働者というのはとくに。ニートだとかなんとか言われて、ないから、誇り高き労働者になってもらいたい。労働者がいなかったらこの世の中、ひとつも動かないんだと。労働者が社会の主人公であるんだということをぜひ、この労働学校を通じて学んでほしい。僕はそこだけ分かってくれれば、他のことを忘れてもいいというふうに思っているくらいなので、ぜひお願いしたいと思います。1年間頑張りましょう。
(開校式・代表あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

、僕たちが生きているこの世界は、2つの階級ができていて、資本家の人々と労働者の人々がいて、資本家っていうのが労働者を搾取することで回っている世界。そして僕らはあきらかに労働者の側で搾取される側だということは知っていたけど、いまいちピンとこないというか、なんか腑に落ちませんでしたけど、やっぱりそうだなあと思いました。
なにより「おお」と思ったのは、前半が終わって後半が始まる前、となりの人としゃべったんですけど、その中でその人が「今の世界がこんなふうにできているとは知らなかった」というのが、とても印象的でした。そうか、みんな普通に暮らしていると、そういうことって分からないんだなあと。自分以外の人が分からない、知らなかったということに気付けたのが今日の最大のポイントでした。

ルクス主義の学習の機会がなくなったことが、いまの時代をつくったのだなと思いました。マルクス主義の立場に立てば当たり前である有給の療養休暇や育児休業制度が否定されてきているし、能力給なるものもマルクス主義とは相いれないものであると思います。
 私達の公務職場はまだまだ「生活給」の考え方が残っています(近年否定されてきましたが)。それらマルクス主義をつぶすことが今の資本家階級の願いであると考えれば、公務員攻撃にも合点がいきます。
 また一つ攻撃の本質を見つけることができたと思います。

分の労働が「疎外された労働」になりたくないと思った。でも、この資本主義社会であるかぎり、それは無理であるということがよく分かった。資本家と労働者が「自由で対等な契約というかたち」をとっているように、今の社会では思わされてしまっている。これに気がつかないとだめだなと思った。
 資本家たちは、自分のもうけのためならどんなことでもするが、私達労働者がいなければ何もできないのだから、明らかに私達のほうが、力が強い。資本の支配にとって都合のいい自由と平等に惑わされないよう闘っていきたい。

本家と労働者の関係がなんとなくわかりました。資本家の人たちは、地位やお金をたくさんもらうことが生きがいになっているってことなんですかね?! 何を大事に生きているのか聞いてみたい気がします。

回の講義は、そういった意味で私達の職場である福祉関係の職場に働く労働者にとって私達が寄って立つ職場をこの資本主義社会の中で根本的にとらえ直す良いきっかけになったと思います。
 福祉のように資本家から見れば、何も生み出さない分野は、せいぜい老人やその家族、あるいは障害者といった社会的弱者から搾取するための仕組みしか必要とされていないのだと強く思いました。
 今後、私達福祉労働者にできることは、この社会の矛盾をはっきりと認識し、認識したことをお互いに共有し、さらに多くの労働者と連帯して社会に訴えていくことだと思いました。そういった活動を通じて、多くの人たちの意識を変えていくことでしか、私達福祉労働者は生き残ることさえできないのだと強く思いました。
 私は遠い未来において、人々が共に互いの成長と平和で人間的に豊かな生活のためにのみ労働することができる世の中になることを夢見ながら、そのような世の中が1日でも早く実現されるように一生を尽くして努力していきたいと改めて思いました。

後の方で質問があったが、「(今の労働者が自然を壊しながら生産活動をすることに対して)嫌な場合はどうするのですか?」という質問は重要だと思った。今の社会の中において、理不尽なことはいろいろとあると思う。賃労働が今の社会におけるブルジョアジーの統治形態であるならば、それが嫌なら壊してやればいいということがストレートに入っていくのではないかと思った。
 今回の講義で出てきた「労働者の価値」を規定する意味がよく分からなかった。説明するだけであれば労働力商品の価格までを言ってやれば十分だと思うのだが……。次回の講義で何か出てくるのだろうか?

義の内容はかなり濃くて、こういうのにはかなり慣れていると思った私ですが、いっぱい頭に詰め込まれた感じで、充実した学習になりました。「本当の生産費」と「資本にとっての生産費」を別にして展開する方法は、ちょっと難しいなと思いましたが、あとの展開でわかりやすく説明されたのでよかったです。
 労働力の価値、生産費の説明と展開は、そのまま賃金闘争、職場闘争に直結する内容であり、一気に核心部分に突入した感があり、いくつかの前提を欠いた人にとってはわかりにくい側面もあったかなと思いました。このあたりは次回もう少し補足してくれたほうが良いかなと思いました。

分自身がどういう存在なのかを考えていくことではないかと思う。
 講義の内容としては、労働者階級はどういう階級なのか、賃労働と資本という転倒した社会、自分たち自身がおとしめられている。この社会を打破していく存在=主体であることを常に明確にさせながら、話を展開した方がよかったのではないかと思います。
 最初の「はじめに」は抽象的でわかりにくいので、簡単にする方がよかったのかとも感じました。
 賃労働と資本の関係を自覚していった時、いわば最後にこんな社会はぶっ飛ばすべきではないのか、その力は我々自身にあるという提起と結合した時、講師の意図はより鮮明に伝わったのではないかと感じました。
 賃労働と資本は、やはりマルクス主義の基本であり、ここを基礎にした労働運動をつくっていかなければならないとあらためて考えているところです。
 今回の話を聞いた参加者たちが感じた感想は、私も大きい関心があります。他の人たちの感想も聞いてみたいと希望します。

常に白熱的な学習会で、ものすごくためになりました。「労働者こそが社会の主人公だ」、みんな社会的に働き(自覚のあるなしにかかわらず)、社会を動かすために労働している。しかし資本のもとでは自分自身が主体的に行う活動であるにもかかわらず、資本のため、本人的には金のため、食べていくためという非主体的な逆のものになっている。資本の支配は、"ボランティア"というような人間の(労働者の)善意まで常にゆがめられていくような社会になっているということは、よくわかった。労働者の労働とは、本当はそんなためのものではないのだ!と強く思いました。

長が最初に提起されていたことの中で、特に労働者が労働者としての誇りをとりもどす、ということがものすごく大切なことだと思います。自覚してしまったら勝ちというか、もうそれだけでほとんど勝っていると言えるくらい大切なことだと思います。
〈今日の講義〉
▲はじめに(問題意識)は、抽象的でちょっとわかりづらいという感想です。人間というものがとても抽象的に語られていて、こうしたことを『賃労働と資本』の学習会の最初に考えなければならないのかなと思いました。
▲全体としては、私の理解の問題なのか、「要するにここでは何が言いたいのか?」がつかみにくく、途中から聞き流してしまいました(すみません)。各大見だしごとに「ここでは○○ということをつかんでほしい」とポイントを絞って提起していただけるとわかりやすいと思いました。
 賃労働と資本の学習会は何度か出たことはありますが、ちょっと今日はむずかしかったです。すみません。

らためて『賃労働と資本』を基に社会の仕組みを考えることがすごく重要だと思いました。
 特に自分の中では「赤字だから賃金を引き下げる」主張に屈服していたところがあり、それに対して賃金を上げること、賃金をきちんと要求する必要があると思いました。賃金は本質的に前払いであるから。
・「資本が認めない社会的労働は切っていく」、これを「社会的に必要がない」という言い方をブルジョアジーはするということ。いろいろな、例えば福祉、医療、行政関係の労働を考える時に重要だと思いました。(安全問題、等)
・賃金は実際には最低ギリギリまでおし下げる力が働き、決められていくこと。ただ、労働者の消費手段の生産費という静的なとらえ方だけではないアプローチが、問題をリアルにしてくれました。
・賃労働自体に人間としてのイカリがある!!
・時間給ということについて、二重、三重にひどいということがわかった。
・講義の後半は、白熱的で面白かった。
・あい間、あい間の質問もおもしろいですね。

達の生きる社会とはなんだろうと考えると……非常にむずかしい問題であり、私の頭の中では整理できません! 私達はこの社会では商品なのか! そう言われると悲しいものです。いろいろと考えさせられる1日です。もっと分かりやすい話が……(次回)お願いします。

働者と資本家については、もっと詳しく教えてほしいです。それと、無理につじつまをマルクスと労働に合わせるのはやめてもらいたい。はじめの1ページ目は何が言いたいか分からない。先生は労と資の事を両方言うが、どちらですか? 今回の説明では結構当たり前のことですが、次回の時には最終的に何が言いたいか、はっきりして欲しい。
 世の中を変革する力を持っているのは労働者階級だけだと言ったとあるが、結局労働者同士で階級を作れば同じではないですか?

は今回、初めて動労千葉労働学校に参加させていただきました。最近、仕事や生活をしている中で、何かがおかしいと疑問を持ちながら生活をしていました。今回、講義を受けているなかで、今まで自分が思ってきたこととは違うことに少し気がつき始めました。講義の内容は自分的には難しかったけれど、労働者とは本来素晴らしいもので主役であることが分かりました。この社会は労働生産活動を基本として成り立ってきており、根本的に人間とは労働し生産する動物で、労働が人間と他の動物の一番の違いであることが分かりました。労働は人間が行う最も基本的な活動であり、労働力とは自分が主体になって行う活動であることから、やはり労働者はこの社会の主役であるということが分かりました。誇り高き労働者を目指して頑張っていこうと思います。

本主義をおかしいと感じてたり、会社とかで働いていて資本家に利用されていると思っていたりする人も、仕方ないじゃないか、こうなっているのだから、こうなっている中で楽しく生きることを考えようという人もいる。利用されていると思わずに、自分のためだと言って利用されにいくような人もいる。何故だろうか。
 考え方が違うとかいうのも、そりゃ当然だけどさ。自分たちが利用されて加担している、依存しているという仕組みが、その矛盾を許していかなきゃ生きられないんだという観念がある。もう小さい頃から体験しているのだと思う。何でだろう。
 いろいろ質問多くてごめんなさい。面白かったです。どうもありがとうございます。

変申し訳ないことですが、今回が第6期目の労働学校であることすら知りませんでした。若々しいエネルギーに満ちあふれた"学校"の様子に触れることができ、感動しました。
 講義の内容は、決してやさしい内容ではありませんが、それに必死に食らいつき、次々と講師に質問を浴びせた女性の存在は、長時間の講義にもかかわらず、緊張感あるものにしてくれたと思います。
 講義そのものについての感想ですが、抽象的な話をする場合でも、もう少し身近な具体例を取りあげて、話を展開してもらえればと感じました。

場から新しい仲間をむかえて、なんとなく興奮している中で、校長先生の話を聞いて、なんというか、気合いを入れ直しました。はちまきをギュッと締め直す感じです。

*代表あいさつも含め、感想文全文を読みたい方は、お気軽に事務局までどうぞ。次回もファイツ!

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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