労働学校通信

第10期No.04


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労働学校通信 第4号 (2010.07.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

もう一回全部変えよう
6月13日に、1047名の政治決着という状況に対して、新しい全国運動を起こそうという集会を開くことができました。すべてはこれからだと考えています。ある、参加した人に「今日の集会、どうだった?」と話を聞きました。「参加していて、これは大変なことをはじめちゃったと思いました」と言ってくれて、そう思ってくれたらこれは成功だったと考えています。
だから本当に、眦(まなじり)を決して、自分の職場で闘いを組織していく、スタートラインに立ったと考えています。こういう時代に、新しい運動をつくっていきたい。そのために、今までのわれわれの運動のあり方とか、発想とか、そういうことをもう一回全部変えようと。
簡単に言っちゃうと、今までは反対派という感じで、批判していれば物事はすんだ。なんか一応形だけはついた。だけど、もうそんなこと通用しない。今度の和解以降、自分たちで、全部つくっていかなければいけないと。
具体的につくり出す
だから、本当に、われわれの運動のあり方、職場における団結の組織の仕方、そういうことを見直してやることができるのかどうか。職場で団結をつくるという、あたりまえというにはあまりにも大変なことです。なんで大変なのかと、中野顧問は、「職場闘争とは、資本との最大の党派闘争」なんだと。なんで、こういう言い方をするのかとあらためて考えてみると、労働者と資本がケンカするのはあたりまえ。だけど、「資本の理屈、それは今の社会の常識」みたいに考えてもいい。労働者の圧倒的な意識はそういうところに、なかばからめ取られている。これは当たり前のことです。
世の中で、職場で、マスコミ、あらゆるものをつかって流される思想、イデオロギーは、全部資本のイデオロギーです。立ち向かっても結局ダメなんだと。それだけじゃなくて、労働組合の幹部だってさんざんたれ流す。現場の労働者がからめ取られて、労働組合の団結というよりも、自分だけ、一生懸命昇進していこうと考えている。だから、そことの闘いです。
労働者こそ社会の主人公であるという、誇りを取り戻す。それは、ただ単に理屈だけではいかない。自分の職場の闘いをとおして、労働者が本当に実感としてそれをつかみ取るという具体的な闘いのあり方、それを必死になって作りあげる。資本の支配の中で、怒りの声はつねに噴き出す。
この噴き出した怒りの声を本当に1人1人の確信にして、長期にわたって維持し抜く。いろんな形でそれが押さえ込まれる。結局、それは逆にあきらめとか絶望とかを生み出して終わっちゃうということの方が多い。そうじゃないものを具体的につくり出したのが反合・運転保安闘争だと僕は思っています。
(田中委員長あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

☆先日、私の職場の給食センターに2days challengeで中学生が来て給食センターの仕事の一部を2日間体験した。感想として述べていたのは、「普段食べている給食が、こんなに大変な思いをして作られていたなんて知らなかった」と口々に言っていた。
 私たちが暮らしている社会は、賃金の支払いがある、なしに関わらず、必ず誰かの仕事によって成り立っているが、当たり前であればあるほど、その裏側の苦労には注目されにくい。
 子供の頃、電車に乗るのは楽しくてしょうがなかった。靴をぬいで高速で飛んでいく窓の外の景色を見るのも、鼻にかかった声の車掌さんのアナウンスも、駅員さんの指さし確認も運転士さんがぴたりと定位置で電車を止めるのを見るのも、全て面白かった。
 大人になってから、これらは「安全」を絶対的な前提としているうえでのことだとようやく理解した。くたくたに疲れている運転士さんは止まるべき駅を通過してしまうかも知れないし、電車に接触しそうなところに人がいても人員削減で駅員さんがいなかったら即大事故につながってしまう。線路や車両が毎日きちんと整備されているからこそ、快適な鉄道の旅を楽しむことができるというものだ。安心して揺れにまかせて居眠りしていられる。
 利潤を追求しすぎるあまり、労働者に“働くよろこび”を忘れさせて、消耗品か、というような働かせ方をさせるべきではない。
 どんな仕事も生き生きと楽しそうに、プライドを持って働いている職業は子供のあこがれる職業である。
 労働運動で闘っている人々は、本当に自分の職業も、職場も好きだからこそ、守らなければならないから闘っているのだと思う。私も毎日の仕事プラスアルファをしっかりこなし、世の中の子供に憧れられるような背中を持つ大人になりたい!
 父の日が近いので、特に世の中のオトーサンにこの文を捧げます。

☆1.田中委員長の話に、いくつも共感するところがありました。「気がついたら職場に火が広がっていたとしたい。間に合わせたい」などです。
 また、中野さんが「仕事に誇りを持っているが必ずしも組合的でない人の組織化に努めた」という話も参考になります(します)。
2.講師の話では、次のことが心に残りました。「活動家を守ることは労組づくりの核心」「労働運動を天職とする活動家」。自分にとっては重い課題ですが、「芽」だけでも作りたいと思っています。
「総括が闘争を決めます」……なるほどと思いました。
3.自分の職場(自治体)の「反合運転保安闘争」とは何なのか。時々考えますが、まだよく分かりません。「道州制−民営化攻撃との対決」ということだと思っていますが、敵の攻撃は各個撃破というか、時と場所を変えてくるので、全国統一して立ちむかうとなると、なかなかなりません。
4.最近、職場で交通事故(違反)に対する締め付けが厳しくなっていて、若い人達に不満が募っています。「職場要求運動」の中でこれを職場の団結強化につなげようと思っています。
 これはささやかではありますが、文字通りの「運転保安闘争」ではないかと思っています。
(自分も公用車の運転時に自損事故を起こしましたが、立ち直るのにはエネルギーがいりますね)

☆6月13日の感想から書きたいと思います。
 今までの集会とは何か肌に感じる空気が違っていました。いつもは捨て去るビラ等、一切を大事に保存しました。本当は、私がこれが歴史の分岐点かも知れないと、知識として理解していたわけじゃなくて、感情的な部分というか、第六感というか、何かが今日は違う!!と私に語りかけてきたのです。
 私は新潟の出身です。国鉄の職員だった叔父が胸に勤務評定反対のリボンを付けていたのをよく覚えています。今日の講義で歴史の中の位置と意味が分かりました。
 私は極めて弱虫でこわがりやで、家族にあきれられるような人間ですが、先生のお話から闘うよろこびとか情熱とかが素晴らしいものであると感じることができました。闘えるだろうか、私にも?

☆@合理化攻撃の本質のとらえ方について
 合理化攻撃について、よく「資本のあくなき利潤追求のために…」という脈絡で語られる。それ自身は事実だ。しかし今回の講義で講師が繰り返し強調していたのは、ある意味でその側面以上に、労働運動との関係で合理化攻撃をとらえるという視点だった。労働運動が高揚し、さらなる階級的激突へ突き進んでいこうとする時、労働者が職場支配権を握り労働者権力へと迫っていく時、それをたたきつぶすために凶暴な刃をむき出しにして労働者に襲いかかるのが合理化攻撃だ、という視点だ。
 そうとらえた時、合理化攻撃は資本が利潤を追求するものであるとともに、必ず労組破壊、職場の団結破壊の攻撃としてあることがはっきりする。
 だから合理化攻撃の実態も、よくイメージするテーラーシステムなどだけでなく、「小集団活動」などで労働者自身を動員していくことが重要になる。ドイツ合理化運動が社民党や労組幹部を取り込んで進行したように。戦後日本の合理化攻撃も、その焦点は総評をどう取り込めるかが攻防点であったし、生産性本部自身が労組幹部教育に力を注いだように。
 世界大恐慌の深まりと、全世界の労働者の壮大な決起の中で、日本の支配階級は完全に身構えているのだ。だからこそ労働者の決起の火種となる可能性のあるものは徹底的にたたきつぶそうと、1047名闘争解体攻撃、道州制攻撃をはじめとする日教組・自治労解体攻撃に出てきている。これらの攻撃と、職場における激しい合理化攻撃は、完全にひと連なりの攻撃であることがはっきりした。
 敵の攻撃は非常に階級的だ。攻防の核心は、合理化攻撃に対して労組がいかに相対することができるかである。すごく重要な視点だと感じた。
A勝っても負けても、重要なのは総括
 このことは、中野顧問のみならず動労千葉の役員がよく口にすることであり、動労千葉労働運動をつかむ上で重要な要素の一つだと思ってきた。その中身が、今回の講義で非常に鮮明になった。
 国鉄新潟闘争を、総評幹部・国労本部は「敵がこれだけ激しく襲いかかってきたら屈するしかない」と総括した。三池闘争を、総評幹部や炭労本部は「職場闘争の激化がこのような事態を招いた」と総括して、職場闘争を完全に放棄した政策転換闘争に転落した。
 国鉄反マル生闘争をめぐって、国鉄当局の側はこの敗北を徹底的に総括し、その後の「労使正常化」路線から分割・民営化に突き進んだ。しかし国労本部や総評幹部の側はその勝利を正しく総括できず、敵の大攻勢に飲み込まれていった。
 敗北した国鉄新潟闘争や三池闘争、勝利したマル生闘争、どちらにおいても結局、その総括がその後を決したわけだ。
 これらのまさに対極にあるのが、青森大会で事故防止委員会脱退を決定して執行部総辞職に追い込んだにもかかわらず、12月ストが中止に追い込まれるという事態に相対した、動労千葉地本の青年活動家集団の「総括」だ。地本の右派執行部に対決して階級的な労組をつくり出すため、下から反幹部闘争を組織し、青年活動家集団を強化・拡大し、地本全体への影響力を拡大していく。こうした闘いを滝口君解雇撤回闘争、反マル生闘争、安保・沖縄闘争、船橋事故闘争をとおしてやり抜いて、ついに73年10月の関川―中野体制の確立にいたる。62年時点での敗北の総括を、10年かけて、実践をもって決着つけた。これこそ、正しく総括し、しかもそれを自分たちの実践として貫いた勝利であると痛感した。
B国鉄新潟闘争や三池闘争が青年労働者に与えた衝撃
 国鉄新潟闘争について、当時の青年労働者への影響の大きさは認識してきたつもりだったが、どちらかというと“その戦闘的闘いへの共感”ととらえていた。
 しかし今回の講義で、組合幹部による敗北の強制という事態こそが決定的だったことをつかんだ。国鉄新潟闘争も三池闘争も、いずれも当該の労組・労働者が屈服を拒否する中で、総評幹部や国労本部・炭労本部により力ずくでたたきつぶされた。この現実を目の当たりにした多くの青年労働者たちが、「この現実を絶対に覆してやる」「やつらを乗り越える闘いをつくり出す」ことを胸に刻んだという意味で、決定的な闘いだったんだということ。これこそ、青年労働者の中に無数の「中野洋」をつくり出した時代背景だったのだ、と。
C反合・運転保安闘争は、怒りを解き放ち、労働者の誇りを奪い返す闘い
 最後に強調された「鬱屈した怒りが、公然たる怒りへ」「闘争が労働者の誇りとなった」のくだり。やはり反合・運転保安闘争のカギはここだと思った。
 協会、日共、カクマル、あらゆる勢力が合理化攻撃と闘いきれなかったこれまでの歴史を乗り越え、反合・運転保安闘争路線を確立してきた動労千葉が、検修外注化4月実施を阻んだ大勝利を引き継ぎ、今これから私たちが職場・生産点から反合理化闘争を構築できるか――ここに一切の勝負がかかっています。国鉄全国運動も、運動そのものの発展のために全力を注ぐとともに、やはり勝負どころは職場・生産点における闘いです。
 中野顧問に「動労千葉の反合・運転保安闘争路線を徹底的に勉強しろ。全産別で反合・運転保安闘争路線で闘う中身をつくり出せ」と話された時、「三河島事故を見て、俺は『この労働運動の現実を絶対に覆す』と決意した」と言われました。中野顧問の闘いに真剣に肉薄して、青年労働者を先頭に全産別で反合・運転保安闘争路線を貫く闘いを数年がかりでつくり出した時、日本の今の労働運動の現実は絶対に覆すことができる。あらためて強く確信しました。
 もっと勉強して、現場労働者と一緒に格闘して、反合・運転保安闘争路線を貫く闘いの路線を全産別でつくり出し、全力で闘っていきたいと思います。
 貴重な講義をありがとうございました。

☆動労千葉の闘いの基本である反合運転保安闘争の歴史と現在も変わらぬ考え方に、今さらながら感銘を受けました。
 労働者に事故の責任を転嫁しようとするJRとJR東労組は絶対に許されません。若い労働者を動労千葉に結集させていく為にも現場からライフサイクル、検修外注化を阻止していきます。

☆「マル生」は現在もある。資本の攻撃だと認識しました。事故は、「自分の責任」という考え方は、東労組松崎派で現在もあります。この松崎たちも、資本と一緒になり、労働者を「ダメ」にする原因だと、私は思います。それで、仕事で不安を感じたら、「中野洋」のような人に相談しようと思います。

☆現場を中心として何を持って自分たちを闘いの渦中に入っていくのかと言えば、やはり資本が推進している合理化というものがあるからだと単純に割り切るところに到達できました。合理化によって自分たち労働者が搾取され続け苦しめられ続け、その合理化の結果、事故が発生し我々労働者に責任が転嫁され、現場から去っていく。そんな事態にならないように反合運転保安闘争路線で、合理化反対の立場で安全を守るために闘っていくというレールを歩いていくのだ、みたいなイメージもハッキリつかめました。
 組織化の中にも楽しみも感じられていくようになっていきたいですね!

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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