はじめに
 07年4月をもって20年を迎えた国鉄分割民営化とは一体何だったのか。日本帝国主義国家権力が文字通り総力をあげて日本労働運動の中軸となっている国鉄労働運動を根底から叩きつぶそうとした戦後最大の大反動、労組解体攻撃であった。
 当時の首相・中曽根は、「国労をつぶし、総評・社会党を壊滅に追い込むことを明確に意識して国鉄分割・民営化をやった」「行政改革によってお座敷をきれいにして、立派な憲法を床の間に安置する」とその階級的狙いをあけすけに語っていた。 そして2年後の1989年に総評は解散し、当時の竹下首相が「抱擁したい」と歓喜した連合の結成が実現した。そして社会党は、翌年の90年に自民党と連立政権を樹立することによって「労働者の党」であること自ら否定するまで転落し、そして96年1月に解散した。

 確かに国鉄分割・民営化は、中曽根の言うとおりにすすんだかにみえた。それは総評が、国労が全面屈服する中でのことであった。しかし、国労指導部の無方針と裏切りのなかで二〜三年で組合員が二〇万から数万人に減少したが、「国鉄労働組合」という組織はかろうじてのこった。また国鉄分割・民営化反対闘争の継続である一〇四七名解雇撤回闘争が、混迷の中にあるとはいえ、現在も闘い抜かれている。その意味では中曽根の国鉄労働運動解体攻撃はいまだ完成していない。
 そして何よりも重要なのは、小なりと言えども動労千葉1100名が、「10万人首切り反対!分割民営化反対!」を掲げて全組合員が首をかけ2波のストライキで反撃の闘いに起ち上がり、そのことによって団結を守りぬき、そしてJR体制下で一歩も後退することなく、分割民営化から20年たった今も、毎年ストライキを打ちぬき勝利していることだ。
 動労千葉は、この20年間の闘いの中で、「路線と原則のもとに団結し、敵の矛盾を徹底的について闘えば十分に闘える」「労働者はそういう力と可能性を持っているんだ」ということ労働者階級に示していることだ。
 そして現在、3人のうち1人が首を切られ、200人もの自殺者をだした国鉄分割・民営化攻撃、まさのこれと同じ攻撃が労働者全体に吹き荒れている。社会保険庁の労働者は、国鉄分割・民営化の時の「国鉄赤字の原因は、国鉄労働者が働かないからだ」という「ヤミ・カラ」キャンペーンよりもっとあくどいメチャクチャな攻撃にさらされている。日教組、自治労の組合員、民間の労働者もそうだ。  
 そして、青年労働者の二人に一人は非正規職、いつなんどきネットカフェ難民に転落するかもしれないという、未来も希望もないような現実を強制されている。また正規職になってもすさまじい長時間労働などが強制され、肉体と精神をむしばむれ多くの労働者が死を強制されている。
 今、国鉄分割・民営化型の攻撃が全労働者に襲いかかっり、20年前の国鉄の労働者が直面したのと同じ状況にたたき込まれていると言って過言ではない。 我々が教訓としなければならないのは、この攻撃の中で既成労働運動・政党・党派が全部破産・崩壊したということ。いま同じことが、より大規模に社会全体を貫く分岐として起きていること。だから、動労千葉が首をかけて闘い、団結を守り抜いたことが、あらためて大きな意味を持ってきているのである。
 動労千葉の闘いは、韓国民主労総やアメリカILWUなどの戦闘的労働組合から大きな注目を浴び、「民営化・規制緩和と闘う国際的連帯」を作り出している。また、 動労千葉の闘いに触れた青年労働者が、「労働運動で革命をやろう」をスローガンに、体制内労働運動を根底から打ち破る新たな闘いのうねりを作り出している。
 本企画は、1982〜7年の国鉄分割民営化攻撃に対して、いかに動労千葉は闘い勝利したのか。何故に全組合員がクビをかけ2波ストライキに起ち上がることができたのか。その闘いの経過を今一度検証するなかから、動労千葉労働運動、階級的労働運動とは何かを深める一助にしたい。