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全金本山労組
34年の闘い貫き見事な勝利
不屈の団結で勝ちとった勝利!この道を進もう!

 本山製作所(中堅バルブメーカー)による1名の組合員の解雇(1971年)から始まった組合潰し、ロックアウト攻撃と闘い続けた全金本山闘争は、34年にわたる「ひとりの首切りも許さない」不屈の闘いを貫いて、今年1月19日、仙台地裁での和解で、歴史的な勝利をかちとった。

労資確認の内容

1.被解雇者2名の解雇を、解雇日に遡って撤回する。
 1名は他の組合員と同じ条件で職場復帰。1名(現在63歳)は定年退職日において退職。 ※ 2名とも最高裁で上告棄却=反動判決が確定していた。
2.ロックアウト状態の組合員29名につ いては、就労を希望する者(16名)は60 歳に達している者も含めて職場復帰。
就労を希望しない者は和解成立日をもって退職とする。
3.被解雇者を含め全員の社会保険被保険者資格回復の遡及手続きを行なう。
4.小野東京分会長について、賃金是正を行い、未払い賃金を支払う。
5.解決金及び未払い賃金の支払い。
6.職場復帰は05年3月16日とする。

▼見事な勝利!

見事な勝利!全金本山労組の組合員

 まさに「完全勝利」と言っていい内容だ。
全金本山労組は、就労後も、就労を希望しなかった者も含め、全員が組合員として残り、新たな闘いを継続することを確認している。
 ロックアウトされてきた組合員の職場復帰はもとより、最高裁での敗訴をのりこえて、解雇撤回−職場復帰をかちとったこと、遡って年金資格を回復させたことなど見事な勝利だ。本山労組は34年間、ありとあらゆる弾圧をはね返し、想像を絶する困難をのりこえて見事に団結を守りぬいた。この勝利は、小泉や奥田による激しい攻撃が吹き荒れる状況のなか、原則をまげず、団結を守って闘い続ければ、必ず勝利の展望は開けることを、全国の労働者に鮮明に示した。
 これは1047名の解雇撤回闘争の勝利の展望をも示すすばらしい勝利だ。今、1047名闘争に問われているのも、こうした不屈の精神と原則的立場だ。
 全金本山労組は動労千葉とちょうど同じ時期、79年に全金本部から統制処分を受け、80年に分離・独立した。以来、兄弟組合として、支援物販や夏期・年末手当からのカンパの取り組み等、ともに闘い続けてきた。その支援の成果の結実としてともに喜びを分かちあおう。

全金本山闘争の勝利に学ぶ
協販部 白井敏行

全金本山と動労千葉
【写真上】動労千葉争議団の高石さん(左)、同 白井さん(右)、全金本山労組の菅原副委員長
【写真下】長谷委員長(左)、中野書記次長(右)

 春とは名ばかりの3月5日、白化粧の残る杜の都仙台において、本山闘争勝利報告集会が開催されました。集会・レセプションには、宮城県内の支援労組・学生を始め、34年におよぶ永き闘いを支えてきた200名をこえる仲間が全国から結集し、喜びと感動にあふれた一日となりました。
 動労千葉も兄弟組合として中野顧問が組合員からの最後のカンパを贈呈し、激励のあいさつを行いました。
 1971年に「一人の首切りも許さない」をスローガンに、本部の裏切り、仲間の死、暴力ガードマンの襲撃、逮捕、ロックアウトによる職場からの排除など、ありとあらゆる卑劣な攻撃を受けながら、労働者の筋を曲げず、アルバイトや物資販売で生活と組合を維持した不屈の団結でかちとった勝利です。
 1月19日の仙台高裁の和解協議は「2名の解雇撤回、全員の原職復帰」を基本内容とする全面勝利で、3月16日から17名が就労復帰します。
 裁判で負けても決してあきらめず、資本を追いつめた闘いの決着は、労働運動史に燦然と輝く勝利として特筆されることでしょう。これは、今日の逆風の中、全国で苦闘する労働者に限りない教訓と勝利の道をさし示すものとなりました。
 以前、私が千葉運転区で本線乗務をしていた頃、支部の職場集会に、物資販売のオルグに来た全金本山の若い組合員が参加してくれました。「労働現場を奪われて以降、物販で生活と組合を支えている」との報告を聞き、「大変だなー」と同情を禁じえなかったことが想いだされます。
 その後、国鉄分割・民営化攻撃で、私も同じような立場になり、初めて本山労組の組合員一人ことりの苦労と、それをのり越えた団結の強さに敬服の念を強くもちました。
 私も本山の組合員に学び“義”に生きる決意を新たにしました。
 動労千葉もこの道を進み、1047名闘争−05春闘に勝利しよう!

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
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