原発事故がもたらした恐るべき現実

原発事故がもたらした恐るべき現実
こんな社会をかえよう

爆発する福島第一原発3号機(3/15)

 3月11日の大震災・原発事故から4ヶ月が経過した。しかし、未だ5千人もの行方不明者、家に帰ることもできない10万人の避難者がいる。
 高度の放射能汚染のために現場に立ち入ることさえできず、行方不明者を捜すことも、遺体を埋葬することも、汚染されたがれきを処理することもできない。その方策さえ決まっていないからだ。被災地は復興どころか汚染されたがれきの処理もままならない。震災の被害だけだったら、とうに復旧に向けて動き出していただろう。
 また、全国各地でも牛や魚、野菜、茶葉などの食品、あるいは下水道の汚泥、ゴミ焼却場の焼却灰など、放射能汚染が次々と明らかになっている。
 「原発さえなければ…」と納屋に書き残して自殺した酪農家をはじめ、多くの農業従事者が自殺している。原発事故とそれがもたらした恐るべき現実は、人間が生き、生活していくことそのものを奪いとったことだ。

なぜ原発が推進されたのか

 いったん事故がおこれば止めどない被害と損害を拡大する原発がなぜ、地震国日本に54基も建設されたのか。とりわけヒロシマ・ナガサキで核の恐ろしさを身を以て体験した被爆国として世界に原水爆禁止を訴えてきた日本で。
 1954年、米のビキニ環礁での水爆実験で被曝した漁船「第5福竜丸」事件で、国内では原水爆に対する大きな怒りが渦巻いていた。これに対し「毒を以て毒を制す」としたのが、「原子力の平和利用」というとんでもないイデオロギーだ。国鉄分割・民営化を仕掛けた張本人・中曽根康弘、米CIA、読売新聞元社主・正力松太郎などがマスコミを使って核というものが、あたかも制御可能であり、人類に多大な利益をもたらすと意図的にあおりたてたのだ。

「我が亡き後に洪水よ来たれ」

 しかし、実際には制御可能どころか、79年米・スリーマイル島原発事故、86年旧ソ連・チェルノブイリ原発事故、57年英・セラフィールド核燃料再処理工場事故など、多くの大事故で甚大な放射能汚染、死者・被曝者をもたらしている。しかも当時も今も、核の廃棄物を何百年も保管し続けなければならず、定まった処理法も放射能汚染を消し去る技術も何もない。保管だけでも気の遠くなるような歳月と膨大なエネルギーと費用を要し、地中や海中に埋められた核廃棄物がその先どうなるのかも誰もわからない。文字通り「我が亡き後に洪水よ来たれ」なのだ。こんな連中が「地球環境保護」を掲げて原発を推進してきたこと自体がとんでもない欺瞞だ。

独自の核武装政策―電気は副産物

 それでも、原子力政策推進に突っ走った背後には、日本独自の核武装への執念があった。原発は原爆の原料であるプルトニウムを産み出す。これを独自で持ち、いつでも核兵器をもてる核保有国になり、世界の中で軍事力を背景に進出し、利益を得ることが最大の目的なのだ。電気は原発の副産物であるにすぎない。それをあたかも電力をつくりだすために必要だと本末転倒した二枚舌を使って推進してきたのだ。そこには、事故などによって放射能汚染が拡がったらどうなるのかなどは全く考慮されていない。安全問題など一切を不問に付して推進してきたのだ。労働者人民の生活のことなど全く考えていない。その結果が今日の福島に強制されている現実だ。

25年目のチェルノブイリの現実

 菅政権は、最近になって福島の原発事故収束の見通しについて、燃料を取り出し、廃炉にするのに数十年単位でみなければできないことを認めた。
 チェルノブイリでは、原発事故から今年でちょうど25年。今なお着の身着のままで強制避難した人たちは帰ることができず、半径30キロ圏内は昨年まで立ち入りが禁止されていた。原発の周囲には、事故処理の際に使用された大量のブルドーザーやヘリコプター、工作機械がそのまま放置されている。放射能汚染がひどく、移動することも解体することもできずにうち捨てられているのだ。石棺に覆われた原発は老朽化し、今も放射能が漏れ続け、石棺をどう修復し、放射能を防ぐのかが問題になっている。

こんな社会をかえよう

 目先の利益のみを追い求め、後のことなど何も考えていない―これは今日に至る新自由主義と全く同じ考え方だ。すべてが競争原理の下にあり、利益をいかにあげるか、そのためには安全対策も、公共のものも、福祉政策もコスト削減のために切り捨てる―こんな社会を今こそ変えなければならない。労働組合は団結した力でそれを実現する力がある。原発廃止にたちあがっている多くの人々とともに、労働組合こそその先頭に立とう。