動労千葉12名-当初は、採用名簿に載っていた!

動労千葉鉄建公団訴訟第23回公判行われる(12/16)
動労千葉12名-当初は、採用名簿に載っていた!

葛西(JR東海会長)が動労千葉12名を排除した張本人だった!
伊藤嘉道証人(JR東日本・高崎支社長)の証言で事実が明らかに

 公判終了後、東京地裁前で、採用名簿からの
排除に抗議の声をあげる動労千葉争議団

 全ての組合員のみなさん!
 1047名闘争勝利に向けて、重大な事実が明らかになりました。

 12月16日の「動労千葉鉄建公団訴訟」第23回公判において、伊藤嘉道証人(元国鉄職員局補佐、現JR東日本高崎支社長)に対する証人調べが行われ、この中で、新会社への採用を拒否された動労千葉12名については、当初、新会社の採用名簿に載っていたこと、しかも、採用名簿から動労千葉12名を排除した張本人がJR東海会長・葛西敬之であったという、極めて重大な事実が明らかとなった。
 国鉄分割・民営化から23年を経てようやく動労千葉12名のクビを切った張本人が明らかとなったのだ。
 東京地裁民事19部・白石裁判長は、今回の証人調べについて、動労千葉側が申請した葛西や中曽根元首相、松崎明等17名については採用を拒否した上で、伊藤嘉道証人だけを採用するという不当な訴訟指揮を行ってきた。しかし、今回の伊藤証言により動労千葉12名が当初は採用候補者名簿に搭載されていたこと、その名簿から動労千葉12名を排除した張本人が葛西であったことが明らかになった以上、葛西の証人調べを絶対にかちとらなければならない。
 動労千葉12名ー国鉄1047名の解雇撤回に向けて全力で闘いぬこう!
 伊藤証人に対する証人調べは、13時20分から始まった。

87年1月段階では、定員割れ=「全員採用」だった
 動労千葉弁護団の担当弁護士からはまず、分割・民営化直前までの役職等について確認が行われ、職員局の補佐を務めており、直属の上司が葛西課長(現JR東海会長)であると証言が行われた。そして、分割・民営化に向けて86年11月末に国鉄改革法が成立、それを受けて12月11日に第1回設立委員会で採用基準、同19日の第2回設立委員会で労働条件が決定し、16日には全体で21万5000人、東日本で8万9540人を採用する基本計画が決定されたこと、新会社への採用にあたっては名簿の内容を決定する権限は国鉄にあったこと、問題があった場合には国鉄が責任を負うことになっていたこと、そして87年2月11日の第4回設立委員会で名簿搭載者全員の採用が決定されたことが確認された。
 一方、具体的な名簿作成に関しては、86年12月末から87年1月7日にかけて国鉄職員全員を対象にして希望調査が行われ、1月末の段階では「定員割れ」の状態であり、「全員採用」という状況であったが、こうした事態について伊藤証人からは、「『採用基準』によって採用するためには、『ふさわしい者』についてどうするのかという議論があった」「1月末頃に、さらに選別するかどうかを悩んだことがあった」「9割9分名簿はできていたが、その後の変化もあった」との証言が行われた。
 一方、「鉄道労連からは、『7万人台の名簿(新会社は2割の余剰人員を入れており、その2割を削った名簿)を作れ』という要望があった。しかし国鉄としては『7万人台の名簿』を作る方針は取らなかった」と証言し、最終的に87年2月2日~7日の間に人数を削った名簿を作成したとの証言を行った。そして、その「運用基準」(停職6ヶ月又は停職2回以上)を最終的に適用するように指示した人物について問い質すと「(運用基準に基づき)名簿に載せないと指示したのは、葛西さんから来た」との証言が行われ、葛西課長からの指示に基づいて伊藤証人ら3人で各鉄道管理局に指示したことが明らかとなった。
 弁護団からの尋問が終了した後、裁判官からも、「運用基準」を最終的に作った時期が問われ、「1月終わりから2月に入った頃」との証言が行われた。

鉄道労連からの圧力の中で「運用基準」により排除
 今回の伊藤証言により、動労千葉12名をはじめ、本州などで「停職6ヶ月、停職2回以上の『運用基準』」で不採用になった70名以上の国鉄職員については、1月末までは新会社への採用名簿に登載されていたことが判明したということだ。
 しかも、鉄道労連からは「7万人台の名簿」作成が要求されるという状況の中で、「基本計画」で定めた採用数から大幅に人数を削減できないという状況の中で、最終的に葛西の指示で『運用基準』が適用され、動労千葉12名をはじめとした国鉄労働者が新会社への採用を拒否されたのだ。
 こうした事実が明らかになった以上、JR東海・葛西敬之会長の証人調べは絶対に必要だ。
 1047名解雇撤回へ全力で闘おう!