座して死を待つより立って反撃へ 5・27国労臨大 与党声明への無条件屈服 

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国労は5月27日、第69回臨時全国大会を開催し、「JR不採用問題に関する与党声明」に全面屈服する方針を決定した。しかもこの「方針」は、またも多数の機動隊が導入され、会場前の道路を封鎖し、かけつけた闘争団、組合員は一歩も近付くことができない状況のなかで強行採決された。会場内外では、闘争団、組合員、そして支援労組の仲間たちの怒りの声、抗議の声が轟いた。
決定された「方針」は次の三点である。

無条件の屈服宣言
1.「最高裁での判断を公正に求める」という第67回大会決定方針を撤回し、国鉄改革法関連の訴訟を取り下げる。
2.本部方針に従わない闘争団員を速やかに査問委員会に送致し、直近の全国大会で処分を決定し、組合員の総意として『JRに法的責任がない』ことを決定したと言えるだけの結果を上げる。
3.ILOに提出した「進展がないのは政府に責任がある」という内容の追加情報を撤回し、闘う闘争団の団結破壊行為に責任があるという新たな追加情報を提出する。
一読して明らかなとおり無条件の屈服宣言というべきものだ。方針書はわずか3ページ。屈辱としか言い様のない与党声明の内容を、そっくりそのまま国労の大会方針に移しかえただけのものだ。
それどころか委員長あいさつでは、「4党合意が謳う人道とは、人間の尊厳に敬意を払い、信頼と寛容に基づくもの」「日本の政治をあずかる主要政党が崇高な理念と責任において提起した4党合意」等と自民党を神かのように崇めたてたのである。ここにあるのは奴隷の精神以外の何ものでもない。
この日も、大会会場のある永田町の国会前では、多くの市民や宗教者が有事立法制定阻止、戦争反対の横断幕を掲げ、必死の思いで座り込みを続けていた。その脇で戦時立法の制定を強行しようとしている政府・自民党を、このように美辞麗句の限りを尽くして賛美する精神は、奴隷としか形容しようのないものだ。国労本部はもはや完全に腐りきってしまったと断言するしかない。

抵抗の一線をも放棄
「最高裁に公正な判断を求める」という大会決定などは、労働組合ならずとも当然過ぎるほど当然のことであり、厳密な意味では方針とも言えないものだ。それすら撤回し、国鉄改革法関連の訴訟は全て取り下げるというのだ。その後には一体何が残るというのか。最後の抵抗のその一線までも自ら放棄してしまったのだ。
「本部方針に従わない闘争団員を速やかに処分する」といい、すでに生活援助資金や物販すら凍結して生きる手立てを奪おうとしているが、そもそも採用差別=不当解雇とは、糧道を断つことによって屈服を迫り、国労を解体する攻撃であった。それを今度は国労自らが、最も国労の基本路線に忠実に不屈に闘いつづける組合員に対して行なおうというのだ。ここにはもはや労働組合らしきものの片鱗さえ存在しない。
とくに国労の仲間たちに心から訴える。今何よりも問われていることは、この臨大で起きた事態の本質をまなじりを決して真正面から見すえることである。もはや誰ひとりとして、ここから目を避けること、無関心でいることは断じて許されない。闘う国労の団結を守るためには、このような執行部は打ち倒さなければならない。

座して死を待つのか
臨大の当日、4党合意の座長・甘利は案の定、次のようなコメントを発表した。
4党合意推進に向けた国労執行部提案が、臨時国労大会において可決されたことは評価したい。ただし、詳細については承知していないので、事実をもう少し確認したい。あわせて、残された課題について次期定期大会までに解決されることを期待する。

野ざらしにして「解決案」などださないというコメントだ。「残された課題」、つまり闘争団の必死の抵抗を「あなたたちは次期定期大会までに自らの手で根絶することができるんですか。できやしないでしょう」とせせら笑って見ているのだ。
当然と言えば当然の結果である。ここまで身ぐるみ脱いでしまえば、自民党にとっては何も「解決案」などだす必要は全くないからだ。なぜならば彼らの狙いははじめから国労を潰すことにあるのであり、「解決」のためなどではないからだ。身ぐるみ剥げば、後は足元から崩れるのを待てばいいという構えでいるのである。
事態は一点の曇りもなく明らかになった。「座して死を待つよりは立って反撃へ!」・・・我々はこの地点から乾坤一擲(けんこんいってき)反撃を開始しなければならない。それはもはや不可能なことなのか。断じて違う。われわれはこの十有余年間にわたる闘いのなかで反転攻勢への大きな地平を手にしている。その力を充分に発揮できていないだけのことだ。(つづく)

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