反対同盟  萩原進事務局次長の逝去を悼む/韓国民主労総本部への暴力的襲撃弾劾

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反対同盟  萩原進事務局次長の逝去を悼む

12月22日、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長の萩原進さんが急逝されました。あまりの突然の悲報に言葉を失いました。今も信じることはできません。

萩原さんは初代青年行動隊長として当初から空港反対闘争の先頭にたち、1983年「3・8分裂」後は事務局次長として北原事務局長を支え、反対同盟の大黒柱として三里塚闘争を指導されました。

萩原さんは、2008年に出版された著書・『農地収奪を阻む』のなかで「反対同盟と動労千葉は闘いの初期から共に闘い、切っても切れない絆を固めてきた」「67年の出会い以来、代執行決戦、77~78年開港阻止決戦、80年代中曽根による臨調・行革、国鉄分割・民営化による労働運動つぶし、86年三里塚に対する二期着工攻撃という嵐の時代を、動労千葉との労農連帯の絆で闘いぬいた。だから今の動労千葉も反対同盟もある」と語っておられます。DC会館で開かれた出版記念会でもジェット燃料阻止闘争での「拒否から阻止へ」の闘いに触れ、「農民は農地を武器に、動労千葉は鉄路を武器に」という故戸村委員長の言葉どおり、後に空港公団との話し合いに応じていった当時の青年行動隊の中で孤立しながら動労千葉の闘いを支持してきたことを語り、「動労千葉、三里塚闘争、この両輪が日本の階級闘争の中にあるかぎり、闘いは勝利します」と訴えられました。萩原さんは三里塚闘争にとってだけでなく、動労千葉にとってもかけがえのない存在でした。11月集会に参加する民主労総ソウル本部の仲間を、毎年三里塚にあたたかく迎えて下さり、2009年には動労千葉訪韓団と共に韓国を訪れ、民主労総の労働者とも交流を深めました。11月集会の壇上から労農連帯のはちまきをしめて檄を発する姿は忘れられません。

敵は危機にあえぎ、三里塚闘争はますます輝いています。47年間の全てをかけた決戦が始まろうとしています。この時に萩原さんがいないなんて! 闘う全ての労働者人民にとって、それがどれほど大きな損失だったか、今も愕然とした思いの中に沈んでいます。しかし、その遺志は残された私たちが必ず引き継ぎます。「霞ヶ関に攻めのぼる!」と烈々たる決意で来春方針を出した萩原さんの遺志を引き継ぎ、市東さんの農地を守り、三里塚闘争の勝利と1047名解雇撤回を必ずや闘いとることを固く誓います。

47年間の長い闘い、本当にご苦労さまでした。どうかこれからも私たちの闘いを見守り鼓舞激励してください。

鉄道労組の民営化阻止ストに連帯しよう!韓国民主労総本部への暴力的襲撃を弾劾する!

12月22日に韓国パククネ政権は警察権力による民主労総本部事務室への暴力的襲撃と強制捜索、130名をこえる民主労総組合員を連行し、建物をめちゃくちゃにする暴挙を行った。労働組合のナショナルセンターである民主労総の本部事務所に、このような形で警察が泥靴で押し入るのは、民主労総結成以来初めてのことだ。この暴挙は労働組合と労働運動の存在そのものを認めず、圧殺しようとする攻撃であり、韓国労働者階級に対する宣戦布告だ。強制捜索は、鉄道労組指導部の逮捕が目的だったが、1人の幹部も逮捕できなかった。しかも民主労総本部に対する捜索押収令状は裁判所が発行を拒否しており、令状なしの強制捜索だった事実が判明した。

12月9日から開始された韓国鉄道労組の民営化阻止のストライキは、組合指導部28人への逮捕令状発行と懲戒処分7千人という大弾圧にもかかわらず、勝利まで不退転の決意で闘いぬく宣言を発し、現在もなお不屈に続けられている。

12月23日、民主労総は、パク政権打倒! 鉄道民営化阻止を掲げて12・28ゼネスト、100万市民行動方針を提起した。重大な情勢だ!

新自由主義の民営化攻撃と闘ってきたわれわれは、この大弾圧を絶対に許さない。鉄道労組、民主労総の民営化阻止の闘いと連帯し、2014年を歴史に残る民営化・外注化粉砕の勝利の年として勝ち取ろう。

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