JR労組(嶋田グループ)では東労組と何も変わらない

ライフサイクル粉砕に向けともに闘おう

「会社発展のために、営業職場に打ってでる」?

東労組から分かれた「JR労組」も、結局は東労組と何も変わらない御用組合だ。東労組以上に会社派だと言っても間違いない。
例えば、ライフサイクル制度をめぐっても、「その内容は、要求が全て受け入れられたものとは言えませんが、大幅な改善が確認できるものです」(本部情報・№53/08年3月24日付)と言って妥結してしまっている。
しかも、JR労組千葉地本は、次のとおり「会社の発展のために、全員が営業職場に打って出る決意を固めろ」とまで言っている。自分で妥結しておいてこんな言い方はないだろう。これでは労働組合じゃない!

 「施策が実施される以上、年令差に関係なく全員が営業職場に打って出る腹構えをしっかりもって決意を打ち固めること。……会社の発展と組織の担い手としての質を高めあうこと」

JR労組の千葉地本情報№24
/08年4月26日付より

そればかりか「お客さまから満足いただけるより良いJR東日本会社にしていくために」と言って、『労使共同宣言』の締結まで会社に求めている。
つまり、JR労組の幹部たちが考えているのは、現場の労働者のための組合をつくろうとというのでは全くない。東労組と同じで、どうやって会社の懐(ふところ)に飛込んでうまくやるのかということだ。

発端は利権抗争だった

それは、JR労組結成のきっかけは何だったのかを考えれば明らかだ。そもそも、東労組の幹部同士、もっと正確言えば、革マル同士の利権争いから生まれたのがJR労組だ。
事の発端は、02年11月13日、当時東労組の副委員長だった嶋田、執行委員の本間(現在JR労組委員長)など、新潟、長野、横浜出身の8名の執行部が松崎支配に反旗をひるがえし、集団辞任したことだった。
直ちに双方がビラなどで非難の応酬をはじめた。記憶にある人もいると思うが、その内容は、どうみても労働組合の論争とは呼べない腐り果てたものだった。例えば次のとおりだ。

●嶋田グループの主張

 松崎は別荘をいくつも持って、できの悪い息子をさつき企画の社長にして自分だけ金儲けをしている。松崎は常にトップの位置に居ないと気がすまない。くそジジイとしか思わない。結局東労組はMの私党になっている。

●松崎グループの主張

 嶋田は会社から6百万円以上のセルシオ(高級車)を与えられ、40万円以上のローレックスをつけて高級車を乗り回し、最近立派な家を新築した。会社の幹部に向って『2千万を俺にくれれば新潟のローカル線を第三セクターにしてもいい』と会社に金を要求した。

目くそ、鼻くそを笑う

ここにあるのは、犬も食わないようなおぞましい利権抗争だ。嶋田たちのグループにしてみれば「おこぼれ」だけでは満足できなくなり、「松崎も表向きは引退したんだし、もうそろそろ俺たちの番だ。松崎だってその位のことは分かっているはずだ」と思ったのだろう。だが、それが大きな勘違いで、松崎の怒りをかったのだ。要するに「目くそ鼻くそを笑う」レベルの抗争に過ぎない。
しかも、会社との関係では、どちらも会社に忠誠を誓い、「労使一体」を求めているに過ぎない。
一番肝心なことは、彼らの眼中には現場の組合員など全く存在していないことだ。労働組合とは一体何なのか、労働組合は誰のために存在しているのか、という最も大切な問題が完全に忘れ去られている。

労働組合の原点に帰ろう

労働組合は組合員のためのものだ。労働組合は労働者が団結して闘うためにある。労働組合の主人公は現場の労働者だ。労働者から搾りとっていかに利潤をあげるかを目的としている資本とわれわれは絶対相容れない関係だからこそ、労働者は労働組合に団結して闘う。仲間を大事にし、団結すること
こそが労働者の最大の力だ───この当たり前の原点を取り戻そう。
東労組は会社から切り捨てられようとしている。今月開催された東労組大会には、ついに会社が来賓の挨拶にも来なくなっている。JR労組は「会社には逆らいません」と何度も誓っているのに相手にされていない。
今こそ動労千葉に結集し共に闘おう。ライフサイクル制度を粉砕しよう。

7・2鉄建公団訴訟に結集を
▼7月2日/10時~
▼東京地裁・506法廷