総入れ替えとなった東労組地本執行部

新執行部は、まさに革マル!会社連合!

東労組千葉地本大会が終わったが、嶋田派であった地本執行部は、本部・松崎派に蹴落とされ、総入れ換えされる人事となった。

革マル-会社連合

委員長には、元委員長の木村博がもってこられ、組合書記として革マルから送り込まれていた石井俊郎が本部から書記長として送り込まれるという人事だ。全 体を見ても、労働組合の執行部としての体をなしていない人事となっている。文字通り革マル・会社連合で、現場とは全く無縁な執行部である。
▼副委員長2人をはじめ助役や駅長、支社の課員が5人、▼委員長をはじめ出向者が3人。▼そして、これに組合書記でJRと関わりのない人物を書記長にすえ、▼さらに川又や長谷川、篠巻など東京から送り込んできた革マル分子を加えたのが今度の執行部だ。
管理者を執行部にすえることで、「会社はわれわれの側についているんだ。だから従え」ということを組合員に見せ、実質的には松崎に言いなりの革マル分子が上からの指令で組織を運営するという人事である。
また、会社は会社で当面、表面上は本社の方針のもとに、革マルとの結託体制を維持するという方針のもとに、多くの管理者を執行部に据えたものと考えられる。

さらに矛盾は噴出

だが、こんな関係はもはや絶対に長続きはしない。浦和電車区の退職強要事件と組合員の逮捕、この6月の新たな家宅捜索事件など、事態は急速に動いてい る。国鉄分割・民営化-10万人首切り攻撃の忠実な手先、JRにおける労務政策の会社の忠犬として、一旦は革マルを利用した権力側も、JR東日本が東労 組・革マルの結託体制を延々と続ける状況にごうを煮やしているのだ。
今回の東労組の分裂・抗争も、こうした切羽つまった状況に震え上がった革マルが、内部分裂を起こしたのが本質だ。当面は「嶋田派」に対する陰湿な攻撃が 続くであろうし、さらに東労組は、切羽つまればつまるほど革マルむき出しで強権的な組合員支配を強め、矛盾をさらに噴き出すことも間違いない。
何よりも大切なことは、こうした状況に断を下すのは、組合員一人ひとりの声以外ないということだ。JR連合のように警察の動きに拍手喝采を送ったり、い つかは会社が革マルと手を切って自分たちと手を結んでくれるだろうなどという発想は、断じて労働組合のとるべき立場ではない。こんなことをしていたら、労 働者はどこまで行っても会社に支配されるだけの存在になってしまう。

あまりにひどい!

そもそも、革マルどおしがどちらが会社とうまくやるのか、カネと利権を手にするのかを巡って抗争を繰り広げ、組合員はそれによって振り回され、今度はま たも組合員を完全に無視したやり方で、松崎の指令のもとに地本執行部が総入れ換えされるということ自体、東労組が組合員の利益とは全く関係ない存在である ことを示すものだ。組合員など将棋の駒と同じにしか見ていない。
普通の労働組合であればこんなことが通用するはずはない。だが、なぜこんなことがまかり通るのか。理由はただひとつ。東労組は、組合員の団結力ではな く、ただ会社の力をバックにして成り立っているだけの組織だからだ。「執行部などどう決めようが関係ない。いざとなれば会社の力を使って絞めあげればい い」という発想だ。
組合員の利益や権利を守るための論争だったら、いくらでも激しくたたかわすべだ。だがそれならばその論争は、一体何が対立点なのかを明らかにし、全組合 員をあげた議論をしなければ意味がない。しかもそうであるならば、今の東労組の抗争みたいな陰湿な対立にはなりようがない。議論の結果団結はより強化され ることになるだろう。今起きていることの本質は、少しでも目をこらせば誰にでも分かることだ。

原点が問われてる

問われているのは、労働組合とは何のために存在しているのか、という原点だ。労働者には団結権、つまり団結して会社(資本)に対抗し、自らの権利を主張 する権利がある。また団体行動権、つまり会社が労働者の権利を侵害したら仕事を放棄し、生産をストップさせてでも自らの正義を守る権利がある。
問題はなぜこうしたことが、あえて憲法や労働法で定められているのかということだ。
労働者と会社(資本)の利害は必ず対立し、労働者が対抗する手段を持たなかったら、資本は利潤追及のために労働者を無限に搾取し、虫けらのように犠牲にするものだからだ。
だから労働組合が会社と手を結んだら、いかに口先でうまいことを言おうが、それはもはやその時点で労働組合ではない。会社は、労働者に団結されるのが一 番嫌なことだから、それに対して陰に陽に攻撃を加え、労働者を団結させないようにする。だが、それに負けたら、それは労働者としての誇りを自ら捨てること だ。
今こそ、JRの職場に団結を取り戻そう。ともに闘おう。