民営化-市場原理と組合潰しが生んだ職場の荒廃 ―闘いなくして安全なし―その2

 尼崎事故の根本的原因は何か、107名の生命を奪ったのは誰か。

▼国鉄分割・民営化という犯罪的政策によって殺された!
▼JR西日本によって殺された!
▼政府-国土交通省の規制緩和政策によって殺された!
▼資本の手先となった労働組合によって殺された!

利潤追求、首切り、そして組合潰し

国鉄分割・民営化がもたらしたものは、20万人に及ぶ国鉄労働者の首切りと鉄道輸送を利潤追求の手段としてしか考えない発想、組合潰し・団結破壊を一切に優先するJRという歪んだ企業であった。
動労本部(現JR総連)は激しい攻撃の前にすくみあがって転向し、国鉄分割・民営化の手先、資本の手先になり果てた。現場には怒りの声が渦巻き、組合員は闘いの方針を待ち続けていたにも係わらず、国労本部も全く無為無策であった。そして、安全という問題を真剣に考え、安全を守るために闘う者は誰もいなくなった。
分割された本州三社のなかで最も経営基盤の弱かったJR西日本は、最も露骨に競争原理一本槍で突っ走った。
さらに「新自由主義」と呼ばれた市場原理至上主義、「構造改革」-規制緩和政策がそれに拍車をかけた。拍車をかけたというよりも、国鉄分割・民営化こそがその原型である。その必然的結果が尼崎の大惨事だ。

国鉄時代には絶対になかった!

「事故当日にボウリング大会」だとか、宴会をしていたとかいう問題が繰り返し取り上げられ「今も国鉄時代の悪習を引きずる体質」などと、連日大キャンペーンがはられている。事故の本質には煙幕がはられ、「何という連中だ」という憎悪が煽られている。
だが、こんなことは国鉄時代だったら絶対になかったことだ。かつては少なくとも職場に団結があり、一体感・連帯感があり、「事故」という問題、「安全」という問題が、鉄道に働く者にとってどれほど切実で、大切で、そして深刻な問題なのかについて共通の認識があった。これほどの重大な事故が起きれば、とるものもとりあえず飛んでいくというのが国鉄時代の感覚であった。
別に「モラル」で自粛したわけではない。東中野事故で乗客と運転士の生命が奪われたとき、大菅踏切で運転士がおし潰されて生命を失ったとき、ボウリング大会に行こうなどという者は絶対にいなかった。職場の労働者の目は怒りと悔しさでつり上がっていた。

なぜこんなことが起きたのか?

なぜそうした感覚が失われてしまったのか。職場をズタズタに切り裂いた国鉄の分割・民営化こそが潰したのだ。「三人に一人はクビ」という現実のなかで、仲間を蹴落としてでも自分だけは生き残ろうという感覚。その手先となった労働組合。組合潰しだけに腐心する管理者。嵐のように吹き荒れた不当労働行為。西日本ではJR連合、東日本ではJR総連を手先とした、今も続く徹底した差別支配。こうした職場支配を20年もの間続けた結果が、この荒廃した職場の現実に他ならない。
さらにこれは、競争原理を徹底して強い続けた結果でもある。競争はマスコミが報ずるような私鉄との関係であおられているだけではない。JR各社が競い合い、同じJRのなかでも支社どうしで営業成績を競い合わされ、職場どうしで競い合いが行なわれ、そして一人ひとりの労働者の間でも蹴落とし合わされるということだ。その結果生み出されるのは、団結を解体され、自分のことしか関心をもたない人間像である。

競争原理が生み出す人間像

事故列車に乗り合わせていた運転士から連絡を受けた管理者は、自分が管理する運転士を遅刻させないことしか関心がない。遅刻でもさせたら自分の責任だということで頭が一杯で、事故の状況について報告を受け、大変なことだと判断することもできない。だがそれは「1秒も遅れるな!」と労働者を徹底的にしめ上げることが日常の仕事となっていれば、ある意味で当然のことである。
事故当日のボウリング大会も、会社主催のいわば官製サークル、労務政策のためのサークルだ。東日本でもそうだが、区長にして見れば、そうした集まりにどれだけ社員を集めたかが点数となり、現場の労働者にとってもそれに参加することが点数稼ぎになる。多くの者が、陰では「区長や助役なんかとボウリングして酒飲んだっておもしろくもクソもねえや」と言いながら参加するのだ。
そして、点数を稼ぐこと、上からの命令を下に強制することしかできないロボットのような管理者がつくられ、自己保身だけを考え、それに従う労働者が生み出される。

JRこそ理想のリストラモデル?

5月8日付の『東京新聞』で、ジャーナリストの斎藤貴男さんが次のように書いている。

 この間、報道の圧倒的多数は民営化を手放しでたたえてきた。結果、JR各社の労務管理こそ理想のリストラモデルとされるに至ったのだが……。(略)
天王寺車掌区のボウリング事件が、何もかも市場原理、企業の論理に支配されていく国の安全性や人命軽視の奔流の一断面としてとらえられるならいい。間違っても関係者のモラルの問題に矮小化(わいしょうか)されることだけはあってはならない。
その意味で、脱線事故の続報と郵政民営化関連法案の閣議決定を芸もなく並べた報道各社の姿勢には不満が残る。すでに郵便局の現場にはトヨタ式労務管理が導入され、それかあらぬか過労死や自殺者が激増。生存権を保障した憲法違反だとの訴訟沙汰にもなっている。地続きなのだ。

全くそのとおりだ。問われなければ
ならないのは、国鉄分割・民営化という犯罪的政策そのものである。その手先となった労働組合の責任が厳しく問われなければならないことも言うまでもない。
闘いなくして安全なし。今こそ職場に団結を取り戻さなければならない。今こそ、労働組合の原点、階級的立場が問われている。