川又の手は国鉄労働者と家族の血と涙で染まっている 組織破壊、分社化・転籍攻撃の 手先=革マル・川又を許すな!

明日12月1日、革マル分子・川又吉正が、エルダー再雇用というかたちをとって、幕張車両センター構内業務に送り込まれてくる。外注化反対闘争の先頭で闘いぬいてきた幕張支部を破壊することがその目的だ。
JR東日本は、「検修・構内別会社化」を拡大しようとしている。分社化・転籍に踏み切るために、外注化反対闘争をつぶすことを狙った意図的な人事異動だ。職場全体の声を結集して卑劣な組織破壊攻撃を粉砕しよう。

川又は10万人首切の手先だった

川又は、1986年に動労本部青年部書記長に就任し、JR総連初代本部青年部長となったゴリゴリの革マル分子だ。その後、「千葉対策」のために会社と結託して東京から千葉に異例の転勤。千葉でも地本の専従副委員長等に就任している。要するに一貫として革マル分子として動いてきた人物だ。
川又が動労青年部書記長になった1986年は、特別な意味をもつ年だった。この年「国鉄改革法」が成立し「3人に1人はクビ」が通告されたのだ。職場には差別・選別の嵐が吹き荒れ、その苦しみの中で200人もの国鉄労働者が自殺に追い込まれた。国労はこの1年で7万人が脱退している。その先兵となって「労使共同宣言」を結び、民営化と10万人首切りに合意し、選別・首切りをあおったのが旧動労=現在の東労組だった。 それは、日本の労働運動の歴史の中でも最も卑劣な裏切りだった。毎日職場で本当に多くの仲間たちが、一日全く仕事の無い「職場」に配転・隔離され、退職に追い込まれていった。
自分だけ生き残ればいいと動労本部がそれをあおりたてる。その渦中で本部青年部書記長に就任したのが川又だった。川又の手は国鉄労働者と家族の血と涙で染まっている。

その怒りは今も忘れない!

われわれは「絶対に仲間を裏切るわけにはいかない、どんな困難も団結した力でのりきろう」と首をかけて闘いに立ち上がった。
今幕張にいる組合員のほとんどがその当時、「人活センター」と呼ばれた収容所や売店、無人駅、貨車解体業務等に配転され、それでも屈することなく、誇り高く闘い続け、自らの力で検修職場に戻った仲間たちだ。
あるいは、運転士の国家資格を持ちながら、不当な差別によって今も本線運転のハンドルを奪われたままの仲間たちも大勢いる。
JRと結託して、そうしたすべてを強制し続けたのが東労組だった。われわれはそうやって職場も守ってきた。その職場に革マル分子が来ることなど絶対に許さない。

外注化推進の裏切り!

それだけではない。東労組はJRになってからももっと重大な裏切りを続けた。
2000年に「労使はグループ会社への鉄道業務の委託をさらに深度化して着実に推進する」という「外注化協定」を結んだのだ。今幕張では、仕業構内や信号所、車輪転削、検査派出が外注化され、そこで働く仲間たちは強制出向させられているが、それを進めたのも東労組だった。
しかも、当初会社と東労組が結んだ協定は、外注化推進を認めた組合に所属する者だけ、60歳以降も雇用継続するという卑劣なものだった。
動労千葉は外注化だけは絶対に認めることはできないと決意した。なぜなら、その攻撃は「強制出向」にとどまらず、間違いなく転籍・非正規職化まで拡大していく攻撃だからだ。しかし、それによって33名の先輩たちが60歳で首になっていかざるを得なかった。そうやって守りぬいてきたのがこの職場なのだ。実際、幕張では東労組の裏切りから12年、2012年まで外注化に全く手をつけることができない力関係を維持し、強行された今も闘い続けているのだ。

分社化・転籍攻撃の手先=川又

それは、当初の計画からすれば外注化を10年以上おくらせる力をもつ闘いになった。業を煮やしたJR当局は、昨年から「水平分業」を主張し、JRを駅運営会社、車両検修会社、保線会社等に分社化し、労働者を転籍に駆り立てていく攻撃に踏み出している。そして2017年を、外注化を異次元に拡大していく突破口と位置づけたのだ。川又はその先兵として幕張に送り込まれたのだ。強制出向レベルで裁判闘争も含めて衝突しているような状況をつぶさなければ「別会社化・転籍」まで進めない。そのために幕張支部をつぶすということだ。転籍・非正規職化攻撃の手先=川又を許すな。
外注化・転籍攻撃との闘いは、われわれだけの問題ではない。子供や孫たちのためにも非正規職だけの社会を残すわけにはいかない。
組織破壊を許すな。川又徹底弾劾! 外注化・転籍攻撃を粉砕するために闘おう。