安全運転闘争、幕張構内事故闘争の教訓・上 「事故」に対し、いかなる立場をとるのか

11・5労働者集会へ
反合・運転保安闘争路線とは何か
安全運転闘争、幕張構内事故闘争の教訓・上

われわれはこの5年間、第二の分割・民営化攻撃と対決し、尼崎事故や羽越線事故、レール破断の多発、幕張構内事故という現実に立ち向かい、この時代に通用する動労千葉への飛躍をめざして必死で闘いぬいてきた。動労千葉の原点である反合・運転保安闘争路線について改めて確信を深め、さらに闘いを前進させよう。

資本との絶対的な対立関係をあいまいにしない

反合・運転保安闘争路線の核心は、「安全」「事故」という問題を労働組合の課題として真正面から位置づけ、安全の確立は、労働組合の闘いによって資本に強制する以外に実現するいかなる方法もないという立場にたちきったことにある。それが反合・運転保安闘争路線、「闘いなくして安全なし」のスローガンに込められた思想だ。
企業の目的は利潤の追求であり、資本主義社会にあって、企業がつねに安全を無視・軽視するのはある意味で当然のことだ。莫大なコストや人員を要する一方、直接的な利潤を生まない安全対策はつねに犠牲にされ続ける。資本主義社会の本質、資本と労働者の絶対的な対立関係のなかで安全という問題をとらえ、労働者の団結と闘いの問題として安全という問題を見すえる・・・・・反合・運転保安闘争路線の核心はここにある。

「事故」に対し、いかなる立場をとるのか

とくに「事故」という問題に対し、労働組合としていかなる立場をとるのかが、反合・運転保安闘争の核心問題だ。反合・運転保安闘争は、これまでのあらゆる事故が、当該の労働者一人に責任を転嫁することで処理されてきた現実への職場の怒りの声を体言し、それを船橋事故闘争以降の闘いのなかで路線として確立したものである。
船橋事故から30年以上たつ今も、事故に対する労働組合の対応は、穏便にして軽い処分を請願するというのが「常識」だ。
だが、ひとたび事故を起こせば徹底的に追及され、処分され、最悪の場合には逮捕され、生命まで失う。乗客の生命も一人の労働者の肩に重くのしかかり、誰もが「あすはわが身」と思いながら働いているのが職場の現実だ。
こうした現実と真剣に向き合い、仲間を守り、組織をあげて闘うことができるか否か。ここには根本的な立場・路線の違いがある。そしてそうでなければ、労働者が労働組合のもとに団結するはずはない。われわれはそうした闘いによって、どんな困難な状況にも屈しない団結をつくりあげてきた。

幕張構内事故闘争の教訓

この間の安全運転闘争や幕張構内事故闘争でも、「事故は当局の合理化-安全無視の結果である」「構内の安全対策は三河島事故以前の状態のままだ。否、激しい合理化=業務融合化や要員削減によってもっと酷くなっている」「当該労働者への事故責任転嫁を許すな」と言いきって、安全対策を放置し続けたJRの責任を徹底して具体的に追及し、ストライキを構えて闘うという立場にたちきったことが決定的であった。
当初当局は、居丈高に「懲戒免職」を叫びたてたたが、この闘いの構えが、われわれの要求・主張を基本的に全て認めざるを得ない状況まで追込んだ。そして力関係は逆転した。しかも、組織をあげた闘いは、事故後の沈痛な職場の状況を一変させた。「断じて本人の責任ではない。本人を処分すれば安全が確保されるというのか、闘おう」という構えによって職場は元気を取り戻し、団結が強化された。ここに闘いの重要な教訓がある。

安全運転闘争の教訓

一方、安全運転闘争は、「運行管理権を奪う違法な争議行為」と叫びたてるJR資本との非和解的な衝突となった。とくに、乗務中ずっと監視されることは運転士にとって一番きついことであった。徹底した職場規律攻撃のなかで、7~8秒に一回という不可能な「指差喚呼」が義務づけられ、それをしなかったことが処分の対象とされる状況のなかで二人の監視がつくわけで、大変な闘いだったのである。それ自身が喧々囂々(けんけんごうごう)の議論となった。
このときに問題となったのは、やはり労働組合として絶対に譲ることのできない闘いの路線とは何かということであった。尼崎事故で107名の乗員・乗客が殺されているという現実や3年連続してレール破断が頻発している現状が眼前にありながら、これに対して労働組合が闘うことができなければ、その労働組合は、「その程度」の存在となり、いずれは団結が瓦解する。困難な状況のなかで闘いぬくことができたのは、反合・運転保安闘争という、組合員の団結の中心となり、労働者としての誇りをかけた闘いの伝統と路線があったからであった。

反合・運転保安闘争の本質は反合理化闘争

運転保安確立の闘いの本質は反合理化闘争だ。反合闘争は資本の本質と最も鋭く衝突する闘いである。だからこそ、反合闘争を本気で闘いぬくことができるか否かは労働組合にとって試金石だ。しかし、日本の労働運動は、反合理化闘争を本当に闘いぬくことのできた経験をほとんどもっていない。その結果が現在の労働運動の現状を招いている。
反合・運転保安闘争は、5万人反合闘争(67~69年)の敗北によって、国鉄における反合理化闘争が壁に突き当たる状況の下で、船橋事故との闘いのなかから確立されたわれわれの基本路線である。それは、スローガンとしては「合理化絶対反対」を掲げながら、具体的な反合闘争の方針を提起することができず屈服を深めていくこれまでの労働運動の在り方、とくに動労本部・革マルとの激しい路線論争、「事故は労働組合の闘いの課題にはならない」という「常識」との格闘のなかから生み出された。
安全問題こそ資本の最大のアキレス腱であり弱点であることを鮮明にさせ、徹底してここにこだわり、その弱点を突くことによって、具体的、実践的な反合闘争の新たな地平が確立されたのである。
とくに、船橋事故闘争と一体で闘われた線路改善闘争(線路の荒廃に対する速度ダウン闘争)では、それによって生じた一日2000~3000分の列車の遅れを次期ダイ改でダイヤに組み込ませることによって労働条件の改善をかちとる等、「合理化によって奪われた労働条件を奪い返す防衛から攻撃の反合・運転保安闘争」が実現した。そしてこの闘いによって、三里塚ジェット闘争や、国鉄分割・民営化反対闘争を闘いぬける階級的労働組合に脱皮したのだ。

幕張事故闘争、安全運転闘争が切り開いた地平

その意味で、線路破断や尼崎事故に対する安全運転闘争は、線路改善闘争の地平を引き継ぎ、発展させる闘いであった。
また、幕張構内事故闘争は、船橋事故闘争の教訓にふまえ、それを引き継ぐ闘いであった。
そして、安全運転闘争をはじめとした千葉での小さな闘いとわれわれの指摘は、管内で2年間に60㎞近いレール交換を実現させただけでなく、コストだけを追求し続けた近年の日本における鉄道技術の危うさについて、資本の側も認めざるを得ないところまで問題をおし上げた。
例えば、団交の場では否定し続けたが、JR当局は、その後の実験で、ボルスタレス台車の新型列車は、旧型列車に比べて、曲線でレールに対して強い横圧を発生させていることを初めて明らかにせざるを得なくなったし、きしみ割れから剥離に至るレールの傷の多発は数年前から発生するようになった現象であることや、それは「速度向上、車両構造の変化、車輪踏面形状の変更等が影響していると考えられる」(日本鉄道施設協会誌)ことも認めざるを得なくなっている。
また、幕張構内事故闘争は、安全問題を職場規律攻撃にすり替えて幕張支部の団結を潰そうとした組織破壊攻撃をはね返して、当該の運転士を守りぬいて勝利しただけでなく、車両センータ(電車区)構内入へのATS設置という画期的な成果をかちとった。
【つづく】